(この記事は、2021年10月11日に配信しました第332号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回は、10月3日から開催されているショパンコンクールのお話です。
5年に1度、ポーランドのワルシャワで行われている国際ピアノコンクールですが、コロナの影響で1年延びて今年開催しています。
ピアノの国際コンクールでは最高峰で、アルゲリッチやポリーニ、ツィメルマン、ダン・タイ・ソン、ブーニンなど、巨匠クラスのピアニストが続々と誕生しています。
ちなみに、前回のショパンコンクールでは、韓国のチョ・ソンジンが優勝し、韓国では初めての優勝者となりました。アジア人としては、ダン・タイ・ソン(ベトナム)、ユンディ・リー(中国)に続く3人目です。
今年の優勝者は、誰なのか。そもそも、参加者の中で仮に1番上手だとしても、歴代の優勝者と肩を並べるくらいでないと「1位 該当者なし」という事になりますので、優勝者が出るのかも含めて大変注目されています。
ショパンコンクールは、これまで多くの日本人ピアニストが参加していますが、残念ながらまだ優勝者が出ていないコンクールです。今年こそは、日本人ピアニストの優勝者が出るのか、いや出てほしいと願っている方も多いでしょう。
コロナの影響が、どこまでコンクールに影響しているのか心配していましたが、映像を見ますと、予備予選の時からお客さんが入っていて驚きました。この予備予選の模様も、インターネットで配信されていましたが、既に400万回以上も再生されており、注目度の高さが伺えます。
10月3日からの第1予選から、ポーランドの国立ワルシャワ・フィルハーモニーのホールで行われていますが、たくさんのお客さんが聴きに来ているようで、羨ましく思いながら見ています。コロナ以前は、ショパンコンクールを聴きに行くツアーもあり、私の先生もかつてツアーに参加したとお話されていました。当たり前ではありますが、朝から夜までずっとひたすら聴くそうです。とても楽しかったと、感想を話されていて、「あなたも一回行くといいわよ」と勧められたくらいです。
1次予選には、日本人ピアニスト14人を含む87人が登場しました。コンクールは、1次予選、2次予選、3次予選、ファイナルとあり、次の予選へは約半分の人が進めることになります。なかなか厳しいですね。
審査のルールは、しっかりと決められていて、25点満点(ファイナルは10点満点)で点数を記入する他に、次の予選に進ませたいか否かを YES または NO で記入します。そして、平均点と YES の数で次の予選へ進むピアニストが決定されます。もちろん、審査員でも、自分の生徒さんは審査できません。生徒の定義も決められていて、現在レッスンに来ている人だけでなく、過去に定期的にレッスンに来ていた人や、親戚などの近親者も入ります。
前回は、ダン・タイ・ソンの生徒さん3人がファイナルに進出し、それぞれ素晴らしい成績を収めましたが、ダン・タイ・ソンはその審査には関われません。しかし、ダン・タイ・ソンの指導力は、相当凄いと言えますね。
ショパンコンクールは、大会終了後に審査結果を公式サイトで公表していますが、とても興味深いことに、どの審査員が誰の演奏に対してどういう点数を入れたのかも公開されます。それを見ますと、前回のファイナルでは、第1位のチョ・ソンジンが圧倒的な高評価で優勝していますが、ある審査員だけは10点満点中1点しか入れていないことが分かりました。これには驚きますが、見方を変えれば、それでもぶっちぎりで優勝したのですから、圧倒的な実力と言えます。ちなみに、コンクール中は誰が予選を1位で通過したのか審査員の先生方には伝えないそうです。これも公平性の一貫ですね。
さて、1次予選に登場した日本人ピアニストたちですが、音大の大学院や医大の学生さんから、既にピアニストとして活躍している方々まで多彩な顔触れです。学生さんで、このような大舞台に立っているなんて、それだけで本当にすごいと思いますし、既にピアニストとして活躍している方々にとっても、憧れの舞台であると共に、本職でもあるので、負けられないどころか入賞くらいしないととの思いから、すごいプレッシャーなのではないでしょうか。もちろん、ショパンコンクールで良い成績を収めれば世界デビューとなり、活躍できる場がさらに広がりますから、夢も膨んでいるのかもしれません。
インターネットのライブ中継で、この国際コンクールを見ることができるわけですが、本当に会場で聴いているかの如く、こちらまでドキドキしながら聴いていました。また、客席からでは見ることができない、舞台に登場する前後のピアニストの様子を見ることができるのも、ライブ中継ならではです。ピアニストたちは、あらかじめ演奏に使用するピアノや椅子を選定していますので、ピアニストが変わるごとにスタッフがピアノや椅子の出し入れをします。(使われないピアノと椅子は舞台の端の方に寄せておきます)。その間、カメラが切り替わるのですが、出番を待つピアニストたちは、ストレッチなどをして体をほぐしている方がいたり、飲み物を飲んだり、出番直前に何か食べている方もいて、様々な様子が映し出されていました。
ちなみに、ショパンコンクールの会場の舞台は、ちょっと面白い作りになっていて、舞台の奥に細い下り階段があり、廊下に繋がっています。そのため、舞台に登場する時には、控室から廊下へ出て、細い階段を上がることになります。すれ違う事はもちろん、一人でも狭そうな階段なのです。出番前のピアニストは、主に廊下に待機していて、名前の呼び出しを聞いてから階段を上がって、舞台の奥から登場していました。裾が長くて、ふわっと広がるようなドレスを着ている女性ピアニストなどは、細い階段で躓きそうで、少し心配してしまいました。この会場は、ワルシャワ・フィルハーモニー(ファイナルのピアノ協奏曲では、このオーケストラとの共演になります)の本拠地でもあるので、普段はここで練習をしていると思いますが、チェロやコントラバス、チューバなどの大きな楽器の方は、どうやって楽器を持ったままこの細い階段を行き来するのか疑問に思うくらいです。
1次予選は、最初の予選ではありますが、ショパンのエチュード(練習曲)2曲とノクターンなど1曲、バラードやファンタジー、スケルツォなどを1曲が課題曲となります。おおよそ1人25分くらいかかるプログラムです。エチュードについては、予備予選でも2曲弾いているのですが、同じ曲は NG なので別の曲を弾く事になります。このようなコンクールに出ているピアニストですから、普段から24曲全てのエチュードをそつなく弾きこなしているわけですが、どの曲をどの予選に選んで勝負するかという戦略も大変重要になります。
ピアノを普段弾いている方は、ご存じと思いますが、ショパンのエチュードは、他の作曲家のエチュードとは別格で、難曲ぞろいです。歴史上最高のピアニストだったフランツ・リストでさえ、ショパンのエチュードを初見で弾きこなすことは出来なかったと言われています。(初見でというところで、恐ろしいほど凄いピアニストだという事がわかります。少し練習して、後日ショパンの前で再び演奏し、ショパンが大変満足していたそうです)。
エチュードは、全曲の中からではなく、ある程度の枠の中から選ぶことになりますし、大変な割にあまり凄さが伝わりにくい曲もあるので、おのずと同じような曲を選ぶピアニストが多くなります。あからさまに比較される事になるのですが、聴く側からすると、演奏の良し悪しというよりも、ピアニストによって音色やテンポ感、音の強さ、解釈などそれぞれかなり異なっていることが大変わかりやすく、聴いていてとても楽しいものです。そして、いろいろと思うところも出てくるもので、私の周りでも「どうしてみんな、ショパンのエチュードを凄い速さで弾き飛ばすのかしら」という感想すら聴こえてきていました。
この1次予選では、思わぬハプニングも起こりました。前回ショパンコンクールで、日本人として唯一ファイナルに進んだ小林愛実さんが再挑戦されているのですが、舞台に上がりお辞儀をして、さあこれから演奏というときに、舞台から降りてスタッフのもとに駆け寄ったのです。その後、スタッフと共に舞台に戻ってきたのですが、椅子の高さが指定していたものより低かったそうです。スタッフが再度チェックしても、今の高さ以上には設定できず、他の椅子に取り換えてみても思った以上の高さにすることができなかったようで、結局、元の低い椅子のまま弾き始めました。
椅子の高さがちょっとでも違うと違和感がありますし、演奏直前のバタバタで集中力が途切れ、演奏に影響してしまわないか心配しましたが、演奏が始まりますと、それまでのドタバタがなかったかのように、素晴らしい音楽が奏でられていて、さすがだなあと思いました。
この小林愛実さんや、予備予選免除で1次予選で初めて登場した牛田智大さんは、共に天才少女、天才少年として幼い時から話題となり、デビューした方々です。その時から大人顔負けの表現力で圧倒していましたが、時を経て大人となり、テクニックや音色、音楽性などに磨きをかけていて、すっかり成熟したピアニストに変貌していました。そのような成長の過程が見られるのも、コンクールのおもしろさかもしれません。
このお二人を含む8人の日本人ピアニストが、2次予選へと進みました。2次予選に進んだのは、全部で45人です。
2次予選は、10月9日から始まっています。まだまだショパンコンクールは続きます。応援しながらこれからも見ていきたいと思います。
(この記事は、2021年8月30日に配信しました第329号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、テレビ番組「世界の果てまでイッテQ!」のお話です。
以前、この番組の「世界の果てまでイッタッきり」というコーナーで、芸人のみやぞんさんが、世界の名曲50曲を覚えてピアノで弾くというコーナーのお話をしましたが、その第2弾が放送されたので、見てみました。以前の話は、みやぞん 秋の芸術入門 世界の名曲50曲を学ぶで読むことができます。
既に以前の番組で名曲を取り上げていましたから、それ以外の被らない名曲を50曲、しかも50人の作曲家の作品ともなりますと、どうなるのかと少しドキドキしてしまいました。しかし、世の中には膨大な作品がありますし、今回は以前とは異なり、クラシックの枠にとらわれずに選曲したそうで、映画音楽やジャズなど幅広い名曲が揃っていました。その点では、以前の第1弾よりも、更に身近な曲が揃ったとも言えるかと思います。
大きなパネルに世界の名作曲家50人の写真があり、みやぞんさんがご対面するところから番組はスタートしました。みやぞんさんは、パネルを見ながら「○○さんに似ている」とか、「甲子園で流れている曲「アフリカン・シンフォニー」ですよね」などと感想を話していました。
そして、作曲家の顔と名曲のタイトル、メロディーを覚える勉強が始まりました。写真を見てスタッフさんが、「この人は、前に出てきているんじゃないですか?」と話し、みやぞんさんが「いや、出てきていないです」と言うので、正解のチャイコフスキーの名前を伝えますと、すかさず、「あ~、写真変えちゃだめですって。人間って1年で変わっちゃったりするんで、1年前の写真とか無理です。顔の向きも変えちゃだめです。もう一人覚えることになっちゃうんで」などと話していて、笑いを誘っていました。
ちなみに、番組ではチャイコフスキーは、「弦楽セレナーデ第1楽章」の曲を名曲として取り上げていましたが、「これは、もう、オー人事 オー人事の曲ですよね」と、テレビCMと繋げて覚えようとしていました。
ショパンは、ピアノ曲の「子犬のワルツ」を名曲として取り上げていました。恋人(ジョルジュ・サンド)の犬が自分の尻尾を追いかけまわす様子を表現した曲ですが、「ちょっといいですか、子犬ってそんなスピードで走りませんよ。こういう事ですよね」と曲に合わせて人差し指をぐるぐる回して話していました。
翌日は、ピアノ曲以外の曲を、ピアノ用にアレンジした演奏を聴いて、覚える勉強を始めました。
ケネス・アルフォード作曲の「ボギー大佐」の曲では、「サル・ゴリラ・チンパンジーの曲ですよね。先生もそう?」とピアノを弾いている先生に聞いていましたが、先生も頷いて「がっつり、サル・ゴリラ・チンパンジーです」と答えていて、スタジオでも笑いが起きていました。
フォスター作曲の「ケンタッキーの我が家」では、「ケンタッキー、食べフォスター」、マスネ作曲の「タイスの瞑想曲」では「ゆったりしてマスネ」、その他にも、ゴセック作曲の「ガボット」では顔写真がベビーカステラに似ていることから「ベビーカステラ」と話していて、あまりに似ている所からスタジオでは大爆笑が起こりました。「覚え方がいいよね~」と感想を話していました。
ボッケリーニ作曲の「メヌエット」を聴いた時には、「CAN YOU CELEBRATE」と答えていました。スタッフさんが、「なんで?安室奈美恵さんの曲のタイトルなの」と聴くと「曲の出だしが同じですね」と言うのです。確認してみますと確かに同じでしたので、スタジオでも「へえ~」と感心していました。音楽を聴いて、すぐに○○の曲と同じ出だしだと気づくところがスゴイですね。
今回の名曲50曲の中で一番面白い曲が、ルロイ・アンダーソン作曲の「タイプライター」という曲です。曲の節々に高音でちょっとした装飾音符が付くのですが、原曲のオーケストラでは、タイプライターというパートがあり、タイピングしながら実際にベルを鳴らすという大変ユニークな曲になっています。
みやぞんさんは、「これをやれるなら、コレで食べていきたい。うちの母ちゃんが勘違いし始めて、この番組の中で私はいろいろな事をやっているじゃないですか。そろそろ1個に絞りなさいと言われたんですよね」という話をしていて、またまたスタジオでは大爆笑が沸き起こっていました。これは音楽のテンポなどを掴んでいないと、良いタイミングでベルを鳴らせないので、これをピアノを弾きながらとなると、なかなか難易度が高そうだなあと思いました。
別の日は、名曲強化合宿と題して、浜松に移動して勉強をしていました。朝の目覚めにはグリーグ作曲の「ペール・ギュント」第1組曲より「朝」を流し、朝食にはベビーカステラを出して、「ゴセック作曲のガボット」というように、何かの度に作曲者とタイトルを答えるという名曲付けの日々を送っていました。
「ピアノって難しいですよね。僕は知っている曲なら弾けるんです。知っていますからね。知らない曲は弾けないんですよね。だって知らないんですもん」という、当然のことを話していましたが、それで笑いを取ってしまうので、さすが芸人さんだなあと改めて思いました。
本当に、みやぞんさん自身が話している通り、知っている曲が即興で弾けるのかという事で、「某大型古本屋さんの曲」「某ディスカウントショップの曲」などとお題を出されますと、本当にすぐに即興ですらすらと弾いていました。
番組では、浜松という場所を選んだ理由として、楽器メーカーが集まっていて「楽器の街」「音楽の街」と呼ばれているという話を、浜松市楽器博物館の映像と共に紹介していました。かつて、私も見学に行きましたが、世界中のたくさんの楽器が展示してあり、大変見ごたえのある博物館で、生徒さん方にもご紹介したことがあります。趣味の音楽:浜松市楽器博物館のページも、ご覧ください。
その後も練習が続き、番組では他にもいろいろな曲が登場していました。例えば、リヒャルト・シュトラウス作曲の「ツァラツストラはこう語った」は、映画「2001年宇宙の旅」のオープニングの曲、ルイージ・デンツァ作曲「フニクリ・フニクラ」は、イタリアの登山鉄道の宣伝のために作られた曲で世界最古のコマーシャルソングとも言われています。「これは、ハワイアンズの曲ですね」というみやぞんさんのコメントもありました。ヴァンゲリス作曲「炎のランナー」は、パリ・オリンピックの実話を元にした映画のテーマ曲で、アカデミー賞作曲賞も受賞した曲です。
そして、肝心の本番ですが、第1問の曲名で迷いが出て危うさを感じましたが、その後は順調、そしてまた途中でも、メンデルスゾーン作曲のヴァイオリン協奏曲というタイトルで、協奏曲で合っているのか交響曲なのかで迷いが出ていましたが、なんとかクリアして、見事50曲の作曲家とタイトル、ピアノ演奏が出来ました。
おそらく、かなりの短期間だったと思いますが、全て弾けるようになっていて、本当にすごいなあと思いました。「曲を覚えるだけでも大変なのに、ピアノを弾くというのが、本当にすごいんだよね」と司会者の芸人さんもコメントしていて、その通りだなあと思いました。
バラエティー番組で、このように音楽が取り上げられると、より身近に笑いながら楽しく学ぶこともできて、とても面白いひと時でした。
(この記事は、2021年7月5日に配信しました第326号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、「十六歳のモーツァルト」という本のお話です。
十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの 小倉孝保著 KADOKAWA
先日、インターネットでたまたまこの本の紹介を見つけ、興味を持ったので読んでみました。モーツァルトと言えば、クラシック音楽の世界では天才中の天才で、幼い頃より音楽的な才能を発揮して、3日でオペラを書いたなど神業とも思えるような偉業を成し遂げ、数々の傑作を生みだし、若くしてこの世を去った作曲家です。
ピアノや音楽に携わっている方だけでなく、普段ほとんど音楽とかかわりがない方でも、「トルコ行進曲」や「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」「きらきら星変奏曲」、オペラ「フィガロの結婚」「魔笛」、交響曲第41番「ジュピター」などは、曲の題名はわからなくても、音楽を聴くと「聴いたことがある」と思うのではないでしょうか。
そんなモーツァルトのような、いやモーツァルトを超える才能を持ったと言われる加藤旭さんという作曲家を、今回初めて知ることができました。
1999年に生まれた加藤旭さんは、生まれた時からいつも穏やかで騒ぐこともなく、周りをよく観察し落ち着きのある子供でした。特に音楽に関心がある家庭ではなかったにもかかわらず、音に敏感で、音の出るおもちゃを好み、穏やかな音楽がテレビから流れてくると、いつの間にか聴き入っていたそうです。
また、絵本を読んでもらう事も好きで、2時間でも3時間でも飽きずに聴いていたそうで、聴くこと自体が心地よかったのでしょう。3歳前後からは、ピアノの鍵盤をたたいて遊び始め、他のおもちゃに興味を示さなくなったそうですから余程のピアノ好きだったのですね。
その後、ピアノを習い始めましたが、習得する能力の高さに指導者も驚き、1年程経つと楽譜をアレンジするようになりました。作曲家としての出発点ですね。
五線譜に楽譜を書くようになり、4歳で五線譜のノートに曲のタイトルを付けて、ゆったりとした音楽や暗く寂しい感じの曲、とびきり明るい曲など、様々な表情の音楽を作曲するようになりました。
「おかあさんがだいすきおとうさんもだいすき」「しゃぼんだまふいた」「ちょうちょがとんでる」など、曲のタイトルを見ただけでも、身の回りの出来事を音にして、音楽にしていることが伝わってきます。
消しゴムを使わず、猛スピードで楽譜を書き、頭の中で鳴っている音楽に書いている手が追い付かない程で、次々と浮かんでくる音楽を追いかけ、音符にしていく様は、モーツァルトやシューベルトと同じで、読んでいて驚きました。
また、旭さん自身が「音が色に変換される」と言っていたそうで、音を聴くと色を感じる共感覚をお持ちだったようです。これは、リストやリムスキー=コルサコフ、シベリウスなども持っていたと言われます。
幼稚園に入園すると、ピアノと並行してヴァイオリンも習い始めました。演奏の腕が上がると、ピアノと同じように作曲を始め、1ヵ月に20曲も作曲していたそうです。
お母様も、次第に旭さんの才能をどう伸ばしたらよいのか、いろいろと悩み考え、できるだけ多くクラシックコンサートに連れて行き、コンサート終了後には楽屋に突撃訪問して、指揮者の佐渡裕さんや船橋洋介さんに、旭さんが作曲した楽譜ノートを見てもらい、アドバイスをもらっていたそうです。
この幼稚園時代に作曲した作品は、サントリーホールで行われる東京交響楽団による「こども定期演奏会」のテーマ曲に選ばれました。小学校に入学したばかりの頃ですが、これまでの最年少受賞者です。この頃には、毎日作曲していて既に427曲も作り上げていました。家族で出かけるときには、必ず曲が浮かぶそうで、五線譜を常に持ち歩いていたそうです。
この演奏会のテーマ曲を選んだのは、指揮者の大友直人さんだったのですが、「旭さんの楽譜は、しっかりとした音楽で、魅力的なフレーズやアイディアが間違いなくある」と評価していて、コンサートでは、大友さんの指揮で演奏されました。演奏後は、客席に向かって大友さん自ら、「将来のモーツァルトかベートーヴェン、ラヴェルかドビュッシーになるかもしれません」と、旭さんへエールを送ったそうです。
入学したばかりの小学校でも、音楽の研究主任の先生に才能を高く評価されます。30冊を超える楽譜ノートには、音符が実に正しく書かれ、消した後さえなく、オーケストラ用の曲もあり、才能の原石に出会ったような感覚で、「まるでモーツァルトの生まれ変わり」だと衝撃を受けたそうです。
この先生は、自身も作曲をしていましたが、「作曲は、何度も音を確かめて楽譜を書き直し、小さなピースをあれこれ試しながらジグソーパズルを作るような作業なのに、旭さんは、一瞬にしてカメラで全体像を掴んでしまっているようで、天賦の才能を与えられた子とは、旭さんのような存在だ」と思ったそうです。
小学3年生の時には、再び「こども定期演奏会」のテーマ曲に選ばれます。テーマ曲に選ばれると、プロの音楽家がオーケストラ用に編曲するのですが、編曲を担当した音楽家の長山善洋さんが旭さんの楽譜を見て、「ピアノで作曲をしながらも、オーケストラの音色を意識した作品作りをしていて、明らかに小学1年生の時とは違っている」と驚いたそうです。
その後、中学受験をすることになり塾に入りますが、入塾時からかなりの成績優秀者だったそうです。そして、灘、開成、栄光学園と、関西と関東の名門最難関中学に全て合格し、通学がしやすい栄光学園中学に入学しました。
中学受験の準備あたりから、作曲のペースはだいぶ減ったようですが、ピアノのレッスンを受けながら文学や化学にも興味の幅を広げていきます。しかし、中学2年生の秋から頭痛を訴え始め、検査をすると頭部に腫瘍ができていました。
本の中では、その後の体調の悪化や家族の動揺などが事細かに書かれていて、段々と読むのが辛くなるほどの生々しさでした。そして、ついに余命3ヵ月と宣告されます。
まだ中学生という若さで、プロが認める作曲の能力を持ち、成績優秀、人柄も申し分ないという非の打ち所がない旭さんを襲った運命は、あまりにも悲しく不条理で、言葉さえ見つかりません。
日々、旭さんが苦痛と衰えに苦しむ中、ご家族が旭さんの生きた証として、また旭さんと同じように難病と闘う人達が治療に前向きになってほしいという気持ちから、旭さんの作品のCD制作を考え、旭さん自身も誰かの役に立てるのは、自分の作った曲しかないと思うようになります。
あと1ヵ月かもしれないという旭さんの残された時間内にCDが完成するように、ピアニストや関係者が準備を行い、遂にCDが完成します。CDが発売されると、その反響は大きく、たくさんの感想が寄せられたそうです。その後、旭さんは再びピアノへの情熱を呼び起こし作曲を始めます。
目が見えなくなり、「明るい世界への憧れが捨てきれない。やはりお母さんの顔が見たい」と泣いていた旭さんが、突然左手の旋律を思いつき、楽譜制作ソフトを使って作曲を始め、16歳の誕生日の翌日、遂に「A ray of light (一筋の希望)」という曲が完成します。
その後も、木管三重奏曲などを作曲し、周囲からは奇跡が起きるかもしれないとも思われていましたが、年を越すと発作やけいれん、運動性失語など病状は悪化していき、遂に16歳で生涯を終えることになります。
旭さんの死後、住んでいた鎌倉市からは、彼の楽曲と前向きな姿勢が多くの市民に勇気と感動を与えたとして感謝状が贈られ、厚生労働省の自殺対策推進室は、ゲートキーパーソングとして彼の曲を採用しました。
本を読んだ後に、旭さんの「A ray of light (一筋の希望)」を聴きました。重々しく苦しくなるような悲しみの音楽が鳴り響き、もうだめかと思えるような世界から、微かに一筋の細い光が見えてくるという音楽で、親しみやすく聴きやすい音楽なのに、メッセージ性が大変強く、「凄い」という言葉しか見つからず、思わず泣けてくるような感動を覚えました。
モーツァルトなどクラシックの作曲家は、両親のどちらかが音楽に精通している事がほとんどで、早くから音楽の英才教育を受けてきた人ばかりです。しかし、旭さんはそのような家庭環境ではなく、自らの様々な体験を、まるで小さい子が自由に絵を描くように音楽を作り、生涯作曲を習う事はありませんでした。彼のような人こそ、「真の天才」なのかもしれません。
他の作品も大変興味があるので、これから聴いてみようと思いますし、ピアノの生徒さん方にも彼のことや作品について話してみたいと思います。
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