(この記事は、2020年10月26日に配信しました第308号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、「世界の果てまでイッテQ!」というテレビ番組のお話です。

世界各地に芸人さんが出かけていき、秘境を探検したり、現地の生活をレポートしたり、現地のお祭りに参加したりする番組です。最近は、新型コロナウイルスの影響で海外ロケが無くなり、国内の様々な場所や、いろいろな体験などを取り上げています。

そんな中、先日は「みやぞん 秋の芸術入門 世界の名曲50曲を学ぶ」というテーマで放送されました。

有名なクラシック音楽の作曲家50人の名曲を、顔写真パネルを見て、作曲家の名前と曲名を当て、ピアノで曲の一部を弾くというチャレンジです。顔は知らなくても、どこかで聞いたことがある名曲を、作曲者の顔と一致させて、その曲の一部を弾けるようにするという課題です。

番組では、このチャレンジの前に、作曲家について豆知識のように解説がされていました。

例えば、ベートーヴェンの一番有名な肖像画ですが、描かれた日の朝食に大好物のマカロニチーズを食べたそうです。しかし、それがまずかったので、肖像画もどことなく怒っているような不機嫌そうな顔つきになったのだそうです。

また、バッハやモーツァルトなどは、髪の毛が白くカールされていますが、あれはカツラで、シャンプーなどがなかった時代、清潔に保つために髪の毛を剃っていて、人前に出るときは正装としてカツラを被っていたという解説もありました。

みやぞんさんは、バッハの写真を見た後、ヘンデルの写真を見て、「もはや、バッハさんだと思う」と話していて、思わず笑ってしまいました。確かに、カツラのせいもありますが、似ていますよね。古い時代ですと油絵の肖像画ですが、段々と白黒の顔写真になってきますから、例えば髭が生えている作曲家などは、みんな似ているように見えます。

リストの肖像画を見て、「チャーリーとチョコレート工場(映画)に出てくる人」と冗談まで飛び出していましたが、結局みやぞんさんは、チャレンジ前に肖像画を見て名前がわかったのは、バッハとベートーヴェンだけという結果でした。

かなり少ないなあと思いましたが、作曲家の肖像画は、学校の教科書や音楽室に掛けてあったものくらいで、他はあまり見る機会がありませんから、ピアノを習っている方でも、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンはわかると思いますが、ショパンは顔写真を自信をもって正解できる人は減ってしまうのかもしれません。

その後、クラシックの勉強がスタートしました。

最初は、パッヘルベルを取り上げていました。曲が流れ始めると、みやぞんさんは、「カノンって、パッヘルベルさんなんですね。これは知らないとマズいですね」とコメントしていました。みやぞんさんは、独学で習得したギターで即興演奏ができるようですが、ピアノも独学で学ばれたのか、カノンの曲もたどたどしいとはいえ、すぐにピアノで演奏していました。ちなみに、番組では楽譜通りでなくても、何の曲かわかる演奏であれば合格としていました。

バッハについては、肖像画と名前が一致していましたが、代表作については、ピンとこないと話していました。バッハの代表作の一つ「G線上のアリア」が流れますと、すぐに「足立区の接骨院で流れていました」と笑いを誘っていました。確かに、リラックスできて心地よい音楽ですから、治療するような場所のBGMにはピッタリですね。

番組では、「なぜ、バッハは音楽の父と呼ばれているのか?」という話に移りました。バッハ=音楽の父というフレーズは、誰もが聞いたとこがあると思いますが、その理由を知っている方は少ないかもしれません。

クラシック音楽の始まりは紀元前の古代ギリシャの時代で、冠婚葬祭などで演奏されていましたが、それから長く、中世・ルネサンスを経て、17世紀のバロック時代に、バッハが様々な技法を使った曲を後世に残し、西洋音楽の基礎を作ったという事で、音楽の父と呼ばれるようになりました。

バッハの時代が終わると、西洋では古典派の時代になります。西暦1750~1827年頃です。日本は、江戸時代後期です。その頃、これまで貴族や教会のものだった音楽が、一般庶民に広まり、モーツァルトやベートーヴェンが活躍します。

ショパンやシューベルト、リストなどが活躍したのは、その後のロマン派の時代です。1820~1910年頃で、日本では江戸時代後期から明治時代にあたります。一般家庭にも楽器が広まり、音楽がより身近なものになった時代です。

番組では、ショパンの代表作として「別れの曲」を選んでいました。みやぞんさんには、ドラマ「101回目のプロポーズ」で使用されていた曲としてお馴染みだったようです。

シューベルト作曲の「アヴェマリア」では、「歌が入るんですね」と少し驚かれていて、「シューベルトさんの声ですか?」などとジョーダンを言っていました。この曲は、結婚式などでもよく使用されます。

この時代になりますと、肖像画の身なりにも変化が現れます。髪の毛が、白ではなくなります。それまでは、髪の毛を小麦粉で白くしていたのだそうです。これは初耳でした。みやぞんさんが、「べとべとになりそうですよね」とか「そこまでして、白くしたいんですかね」などとコメントしていましたが、トイレで髪の毛を白くしていた名残りで、今でもトイレのことをパウダールームと呼ぶのだそうです。お化粧直しでファンデーションを付けるからだと勘違いしていました。

明治中頃から昭和までは、西洋では近代音楽の時代になります。ラヴェルやプロコフィエフなどが活躍しました。音楽に新しい要素を取り入れて、より自由な表現が追求されました。

ラヴェルの「ボレロ」やプロコフィエフの「モンタギュー家とキュビュレット家」が流れますと、「知っています」「いいですね~」とみやぞんさんがコメントしていて、「僕が死んだときに流してほしい」とコメントしていたほどでした。

みやぞんさんは、名曲50曲は全て聞いたことがあり、知っていたそうですが、曲を聴いてすぐに作曲者名が出てこない状況で、1週間クラシックの猛勉強を始めました。

バラエティー番組という事で、勉強中に無人島へ出かけて行き、無人島生活と音楽の勉強をコラボさせていました。どうやってコラボさせるのか想像できませんでしたが、磯遊びでカニに指を挟まれた時に、スタッフさんが「ちょっと待ってください」と言って、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」を流し、みやぞんさんが苦笑していました。何かあった度に、その場に合う音楽を流すというコラボです。

その後も、カニとの別れでは、ショパンの「別れの曲」を流し、草むらを散策して何かを見つけたときには、ムソルグスキーの「<展覧会の絵>よりキエフの大門」を流したり、海をバックに岩がゴロゴロしている場所にキーボードを持ち込み、メンデルスゾーンの「結婚行進曲」などを練習していました。

「結婚行進曲」というと、ワーグナーも同じタイトルの曲を作曲していますが、西洋ではあまり結婚式で演奏されないそうです。この曲が入っているオペラ「ローエングリン」は、2人の男女が結婚式で祈るのに破局して、花嫁がショックで亡くなってしまうというストーリーだからだそうです。みやぞんさんは、「メンデルスゾーンさんの方がいいですね。でも、もし僕が使うんだったら…」と少し貯めてから、「CAN YOU CELEBRATE?」と答えると、大爆笑が起こっていました。

その後も、夕食作りで火を起こしている時には、オッフェンバックの「天国と地獄」フチークの「剣士の入場」をかけ、ドラム缶のお風呂に入ってる時には、ホルストの「<惑星>より木星」をかけて曲を覚えていました。

翌日には、ピアノの先生に曲を弾いてもらい、耳で曲を覚えて真似して弾くという勉強法をしていました。曲をキャラクターとして捉えて、先生の演奏に熱心に耳を傾け、メモを取っていました。アンダーソンの「トランペット吹きの休日」では、「運動会」とメモを書き、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」では、「財布落とす」、グリーグの「ピアノ協奏曲イ短調」でも、「財布落とす」と同じ感想を漏らしていて、「被ってくると覚えるのがきついなぁ」とコメントした後、「スマホ落とす」に変えようと話していて、笑ってしまいました。

ロッシーニの「セビリアの理髪師」では、なんだか聞いたことがあるという事で、スタッフさんに聞くと「やめてけ~れ、ゲバゲバ…という歌に似ていますよね」という事になり、検索すると「左ト全とひまわりキティーズの「老人と子供のポルカ」が出てきて、みやぞんさんが「50曲聴いてきましたけれど、やめてけれしか入っていない」と、この曲のインパクトの強さを笑顔で話していました。

チャレンジ最終日は、丸1日最後の追い込み練習という事で、作曲者と曲名を覚えていました。サティの「ジュ・トュ・ヴ」は、「サティ(スーパー名)でほうれん草をジュ・トュ・ヴ買う」、スッペの「<軽騎兵>より序曲」は、曲のメロディーに合わせて「梅干し食べて酸っぺっぺ…」と笑いながら、しかも若干申し訳なさそうな表情で歌っていて、番組の出演者が大笑いしていたり、「覚え方のアイディアが、上手いなあ~」と感心していました。

卒業試験の当日は、テレビ画面にみやぞんさんの顔写真と本名、クラシック名曲50奏破というタイトルが輝かしく描かれ、本物のクラシックリサイタルのポスターさながらの雰囲気を漂わせていました。大きなホールの舞台で、スタインウェイのフルコンサートピアノを使用し、タキシードに身を包んだみやぞんさんが登場します。

最初こそ緊張で、度忘れしそうになっていましたが、次々と答えて演奏もこなしていました。そして、47人目の作曲家が出たところで、曲名を間違えてしまいましたが、それ以外は全て正解という結果に終わりました。

1週間で50曲の作曲者と曲名を覚え、なおかつピアノで弾くというのは、かなり大変で凄いなあと思いました。弾くのは、曲の有名な部分を少しだけですが、しかし暗譜ですから驚きです。

このようなバラエティー番組でクラシック音楽を扱いますと、かなり敷居が低くなり、とても身近に感じられますから、クラシック音楽を趣味にする最初の第1歩として、とても良いきっかけになるのではないかと思いました。

ちなみに、みやぞんさんが唯一間違えた曲名ですが、ロッシーニの「セビリアの理髪師」を「セビリアの理髪店」と勘違いして覚えていました。確かに、ややこしいですね。

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(この記事は、2020年9月28日に配信しました第306号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、波乱万丈のピアニストのお話です。

9月も残すところ僅かとなり、もうすっかり秋ですね。相変わらずコロナの話題は消えることがありませんが、様々なイベントも徐々に再開し始めており、先日は本当に久しぶりに映画を見てきました。「20世紀最高のバッハの演奏家」と呼ばれているジョアン・カルロス・マルティンスの半生を描いた「マイ・バッハ 不屈のピアニスト」という作品です。

ジョアンは、リオで開催されたパラリンピックの開会式で国家を演奏し、日本でも話題になりましたので、ご存知の方もおられるかもしれません。

映画を見た感想ですが、こんなに波乱万丈の人生を送っているピアニストがいたのかと強い衝撃を受けました。

幼少期のジョアンは病弱で、学校には通っていましたが、外で友達と遊ぶこともままならない少年時代でした。そんなジョアンは、ピアノで頭角を現し始めます。

ピアノの先生に、「この子は、天才です。あと数年で、私を超えてしまう」と言わせてしまうほどで、すぐに音楽大学の教授のレッスンに通うようになります。

13歳でプロデビューし、アメリカの副大統領から声を掛けられるほどの評判を呼び、20歳でクラシック音楽の殿堂であるカーネギーホールでリサイタルを行いました。その後も、世界各国でリサイタルを行います。

ここまでは、天才のサクセスストーリーですが、徐々に暗雲が立ち込めてきます。

近所の公園でサッカーの試合をしている最中、転倒して右腕を負傷、神経を損傷して、右の指3本が動かなくなる不幸に見舞われます。

指や手が何より大事なピアニストは、万が一のことを考えて積極的にスポーツをする人は少ないように思いますし、いくらサッカーが手を使わないからと言っても、なぜ避けなかったのかと疑問にさえ感じました。

しかし、考えてみますと、サッカーが大変有名なブラジル生まれのブラジル育ちで、幼少期に友達がサッカーを楽しんでいる姿を家の中から見ているだけだったという事を考えると、参加したくなる気持ちも、わからなくもありません。しかし、それがピアニストとして最悪の事態になるとは、人生は皮肉なものです。

懸命のリハビリで、少しずつ回復はしますが、医者の指示を守らず、無理な練習をしてしまいます。

鉄製のギブスをはめて練習にあけくれるところは、作曲家のシューマンが、指がよく動くためと、拷問器具のようなものを作成して練習に明け暮れ、指を壊してピアニストを断念したことを思い出させます。

世界的なピアニストのジョアンですから、無理は禁物という事を頭ではわかっていたのでしょうが、ピアノを弾かずにはいられないという、内から湧き出る衝動的な気持ちを抑えることは難しかったのかもしれません。

リサイタルでは、鉄製のギブスをはめて、鍵盤が血まみれになっても、憑りつかれたように演奏を続けていて、ここまでくると正気の沙汰ではなく、気が狂ったのかとさえ思えますが、その後、倒れて救急車で運ばれるシーンは、あまりに衝撃的で痛々しく感じました。

その後も、様々なことが起きます。家族や子供との別れ、新しいパートナーとの出会い、そして、強盗に襲われて頭を殴られ、脳が損傷してピアノ(右手を動かす)を取るか、会話を取るかという大きな選択も迫らます。これ以上アップ・ダウンの激しい人生は、見たことがないというくらいです。

2度の大きな事故は、ピアニスト生命に大きなダメージを与えましすが、どちらも、もう少し注意深く過ごしていればと思ってしまいます。しかし、それで終わるのではなく、どん底から立ち上がり、懸命にリハビリを行い、左手のピアニストとして練習を始めたり、指揮者への道を模索したりと、難聴に苦しんだベートーヴェンが自殺を思いとどまり、その後、彼の代表作が次々と生み出されていった話にも似ていて、天才とはこういう人なのかとも思いました。

最後のシーンも、見たことのない衝撃的な姿でのピアノ演奏があり、涙を誘いました。

この映画は、ジェットコースターに乗ったような、ジョアンの波乱万丈の人生が目を引きますが、それだけではなく、様々なシーンでのピアノ演奏も、大きな魅力の一つです。幼少期のシーンで、バッハのインヴェンションやシンフォニアが流れたときは、とても素晴らしいと思いましたが、後になって、映画で使われている音楽は、全てジョアン本人の演奏だと知って大変驚きました。バッハだけでなく、いろいろな作曲家の曲がふんだんに使われていて、音楽も十分に楽しめます。

特に、映画の後半の方で、バッハ=ブゾーニのシャコンヌが、楽譜の1ページほど流れていました。私もこの曲が好きで、以前練習していたのですが、とにかく大曲ですし、テクニックも内容も難しい曲で、大苦戦した覚えがあります。そんな曲を軽々と弾きこなし、圧倒するような迫力と奥深さと味わい、バッハの神髄を感じるような感動的な演奏で、映画とはいえ忘れられない名演奏でした。

とても見ごたえのある映画なので、大人の生徒さん方には、ご紹介しようと思っています。

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(この記事は、2020年9月14日に配信しました第305号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、「ららら クラシック」という番組で放送された「戦国武将を癒した音色」のお話です。

織田信長や豊臣秀吉などの戦国武将が、どのような西洋音楽を聴いていたのかというお話でした。

はじめは、織田信長が聴いていたクラシック音楽の話です。

1549年に、ザビエルが日本に初上陸し、キリスト教を広めました。信長は、自分の領地でキリスト教の布教を許可していました。キリスト教が普及すると、宣教師が次々と来日し、音楽も持ち込まれます。

信長が活躍していた時代、ヨーロッパはルネサンス音楽の全盛期でした。

バッハなどのバロック音楽よりも前の時代になりますが、バロック音楽と同じく、いくつもの旋律が絡み合って、和音を響かせる作りの音楽でした。日本に古来からある音楽は、一つの旋律だけでできているので、和音を響かせることはありません。同じ時代でも、音楽は大きく異なります。

ルネサンス時代、音楽の中心は声楽でしたが、宮廷では管楽器や弦楽器が使用されていて、この中のいくつかの楽器が日本に持ち込まれました。その一つと考えられているのが、ビウエラという楽器です。小型で持ち運びがしやすく、宣教師たちの出身地スペインで使用されていました。

信長は芸能好きで、自身でも語りながら舞を踊っていたそうです。無類の新しい物好きとしても知られていますから、きっとルネサンス音楽も興味深く聴いたかもしれませんね。

古い文化や体制を変えて、新しい時代を切り開いていく時だったので、違う角度から新しさを見せなければならないという使命が、信長にはあったのかもしれません。宣教師たちがもたらした物や音楽は、信長の意向に合っていたようです。

信長は、「セミナリオ」という宣教師の養成所を作ることを許可します。キリスト教の子供たちが、ラテン語や音楽などを学んでいたそうで、信長自身も足を運んで、音楽を聴いて楽しんでいたそうです。

番組では、ビウエラの演奏が流れました。見た目は、少し小型のギターのようで、弦が張ってある部分に少し装飾がありました。明るめの落ち着いた音色で、とても癒されるような、心地良い音色です。

当時、ヨーロッパではリュートという弦楽器が主流でしたが、リュートは、中東などのアラブ音楽で使われるウードという楽器が先祖で、イスラムに侵略された過去があるポルトガルやスペインでは、敵の楽器となり、受け入れられなかったのだそうです。しかし、多くのヨーロッパでは、花形の楽器だったリュートは、歌や踊りの伴奏としても活躍し、宮廷や貴族の家では欠かせないものだったそうです。

番組では、リュートの演奏も流れ、当時愛された踊りの曲が披露されました。ビウエラよりも、少し線の太い、よりまろやかな音色でした。細い板を張り合わせて作られています。弦の貼ってある面の裏側が、結構コロンとした丸みがあり、空洞が大きいので、柔らかい音が出るのだそうです。

番組では、メインキャスターの俳優さんが、実際に楽器を持って音を出していましたが、リュートはものすごく軽いと感想を話していました。ビウエラの方が少し重さがあるそうです。

両方の楽器とも、音量が小さいのですが、多くの聴衆に聴かせるものではなく、小さな部屋で音楽を演奏するので、この音量で十分なのだそうです。

次に、豊臣秀吉が聴いていたクラシック音楽の話になりました。

秀吉も最初は、織田信長と同様キリスト教を受け入れていましたが、キリスト教が強くなり過ぎて、天下構想の妨げになると考え、1587年バテレン追放令を出して、宣教師を国外に追放します。しかし、キリスト教そのものを排除した訳ではなかったようです。

そんな中、キリシタン大名たちの名代として派遣されていた、天正遣欧少年使節団が帰国します。ポルトガルやスペイン、イタリアなどのキリスト教世界を周り、帰国後に豊臣秀吉に謁見しました。

しかし、バテレン追放令を出した秀吉に、キリスト教の話をするわけにはいかないので、音楽を演奏してキリスト教世界の素晴らしさをアピールしました。すると、秀吉は西洋音楽の響きが気に入り、3回もアンコールをしたという記録が残っているそうです。ただし、残念ながら、何の曲を聴いたのかなどは記録がありません。キリスト教には厳しく対応していましたが、西洋音楽の響きには癒されていたようです。

番組では、豊臣秀吉が聴いたかもしれない「皇帝のうた」が演奏されました。元々は、フランスのシャンソンで、恋人を失って悲しいという内容の音楽でしたが、神聖ローマ帝国の皇帝が好んでいた音楽として、「皇帝のうた」というタイトルで広まっていったのだそうです。聴いてみますと、確かに悲しげな音楽ですが、とても美しい音楽でした。

戦国武将と西洋音楽という視点は、とても新鮮ですが、バッハ以前のルネサンス時代の音楽も、普段演奏する機会や聴く機会がとても少ないので新鮮でした。これを機に、このような音楽もいろいろと聴いてみようかという気持ちになりました。

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