(この記事は、2021年2月15日に配信しました第316号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、音大生の生態のお話です。
漫画家・コラムニストの「辛酸なめ子」さんの本を読んでみました。「愛すべき音大生の生態」という本です。辛酸なめ子さんは、皇室から恋愛、スピリチュアルなど幅広い分野で本を執筆されていていますが、音大生をテーマにした本も書かれているのですね。
私もかつては音大生でしたが、卒業してからだいぶ月日が経ち、母校には、新しい学部ができたり、ピアノ科などの募集人数も変わり、校舎も新しくなりました。最近の音大生は、どうなっているのかと気になっていました。
辛酸なめ子さん自身も音大付属の幼稚園に通っていたようですが、この本は、3年近くも時間をかけて、いろいろな音楽大学を取材して書かれたものです。
第1章の音大生の話では、音大とはどういうところなのか、東京近郊の音大が紹介されています。
昨今、音大も学生集めが大変なようで、ピアノ科、ヴァイオリン科のように専門の楽器を勉強する学科だけでなく、音楽文化教育学科やミュージックリベラルアーツ専攻、アートマネジメントなどのように音楽だけではない総合カリキュラムを学ぶ学科も登場しています。
第2章では、音大のイベントについて書かれていました。学園祭や公開レッスンなど3つのイベントを通して、音大を知ろうというものです。
学園祭は、ホールやスタジオ、各教室、野外のいたるところでジャズやガムラン(インドネシアの民族音楽)、オペラ、室内楽など殆どプロのような音楽が無料で聴き放題、お客さんも十分楽しめるお祭りと書かれていました。
多くの音大では、気軽に学園祭へ行って楽しめますが、芸大(東京芸術大学)は厳正な抽選に当たらないと演奏が聴けないしくみです。なかなか当たらないようで、芸大に入るより難しいのではとぼやいている人もいたと書かれていました。以前、テレビで芸大の学園祭(芸祭)を見たことがありますが、美術科と一緒になって作品を作ったり、とても盛り上がっている様子でした。コロナが落ち着いて、一般にも見学が可能になったら、一度は行ってみたいと改めて思いました。
公開レッスンは、音大ならではのものです。普段は個人レッスンなので、他の方のレッスンの様子を見ることはできないですし、自分が習っていない先生のレッスンを見ることもできませんが、スタジオやホールなどで、みんなの前で特別にレッスンが行われます。教授や外部の演奏家、海外の音大教授などが来日して、公開レッスンを開くこともあります。
この本では、指導役の演奏家が、的確に慈愛に満ちた笑顔で、また時には自分の体を実験台にして触らせることも厭わない白熱のレッスンで、素人でも分かるような神がかったアドバイスに釘づけだったと書かれています。
私が以前見たヴァイオリンの公開レッスンでは、レッスンの初めに一曲通して演奏をするのですが、演奏が始まって少し経つと、指導役の演奏家がさっと舞台から降りて客席に座り、じっと演奏に耳を傾けていました。そして、演奏が終わると立ち上がって笑顔で「ブラボー」と声をあげて拍手していて、びっくりしました。もちろん、その後レッスンが始まるのですが、とてもフランクで笑いもあり、聴講していてとても楽しいものでした。ちなみに、この時の生徒は、卒業後プロのオーケストラのコンサートマスターに抜擢されていました。
卒業演奏会も、音大ならではのイベントです。卒業試験の演奏で優秀な成績を修めた学生たちのコンサートで、ほとんど無料で聴くことができます。この本では、どの演奏も昔の曲なのに前衛的で、大衆に受け入れられるクラシックとはレベルが違っていたと書かれています。知らない曲ばかりで、素人には不協和音にしか聞こえないような複雑な和音、メロディーもどこにあるのかわからず、キャッチ─なサビもなく、難解な曲を暗譜で弾きこなす音大生は、コンビニのチョコと有名パティシエの高級ショコラほどの違いがありそうだと例えていました。
ちなみに、モーツァルトやベートーベンなどの分かりやすいメロディーやキャチーなサビがある音楽は、一部の曲を除いて卒業演奏ではまず選ばれません。というのも、曲がシンプルで、テクニックも比較的容易なので、高得点が取りにくいからです。実際、モーツァルトを弾きたかったのに先生に反対されて、泣く泣く違う曲に変えたという友人もいました。
第3章では、音大生の不思議な日常がテーマになっています。
音大生のイメージは、声楽科の女子は華やかで、楽器の人はカジュアルとか、だまって息をしているだけならいいけれど、よく見ると動きがおかしいとか、男子学生も、変わっている人が多くて一人でディズニーに行くとか、水族館の年間パスポートを持っていて一人で年間百何十回通っているとか…。専攻の楽器や科によって、キャラクターが異なり、指揮科は変なTシャツを着ていたり、歩きながら手を振っているので(練習している?)、よく職務質問されるとか、声楽科は、声種によってもキャラクターが異なっていて、主役体質だったり、何となく褒めておけば調子に乗るとか、様々な話が書かれていました。
確かに、私が通っていた時も、走り格好が妙に不器用そうだったり、ピアノ科の男子学生が円陣を組んでカップラーメンをすすっていたり、芸人さんさながらの全身黄色のスーツを着ている人などがいましたから、昔も今も学生のキャラクターは変わらないのかもしれません。
音大生がよく使う隠語や必需品などについても書かれていました。「なにもんか?」という隠語?は、「何門下」、つまり、どの先生の生徒(門下生)なのかを尋ねるときのフレーズです。そこから話が広がることも多いのですね。
必需品については、声楽科はみんなが龍角散の「のど飴」を持ち歩いています。やはり喉に良いらしいですね。ピアノ科の学生にとっては、爪切りや製本テープ(楽譜を貼るテープ)、楽譜が入るサイズの大きめのカバンは必需品になると思いますが、音大を卒業してもよく持ち歩いています。
音大の潜入ルポや音大生の光と闇、未来などについても取り上げられていました。
最後には、音大生が想像以上にストイックで厳しい世界に生きていて、普通の大学生のように遊ぶ暇はなく、日々練習して学費捻出のバイトに明け暮れ、精神的にも自立していて、一人でも群れたりせず、音楽と向き合っているという感想が書かれていました。
ありそうでなかった本なので、音大生の生活や実態に興味がある方にはおススメです。
(この記事は、2021年2月1日に配信しました第315号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、バッハの職人気質のお話です。
先日、「ららら♪クラシック」というテレビ番組を見ました。司会を務める俳優の高橋克典さんが、作曲家でピアニストの加藤昌則さんをゲストに迎えて、バッハの面白さを楽譜の中から読み解くという番組です。
楽譜の中に、バッハの職人気質が表れているというのです。
番組では、洗練された技術が楽譜に現れている「卓越した技術」、次の世代に技術を伝えるべく楽譜にメッセーズが込められている「技術の伝承」、手を抜かずにこだわりぬいて作曲する「こだわりぬく姿勢」の3つキーワードで解説をしていました。
高橋さんが、「興味深いですね。楽譜から作曲家の気質まで読み取ることができるか?」と発言されると、作曲家の加藤さんが、「楽譜だからこそ、読み取れるのです。楽譜を読めない方も、デザインのように楽譜を見ていただいて、感じていただけたら」と話します。
最初に、「卓越した技術」の解説ですが、一枚の肖像画を紹介していました。バッハの肖像画では大変有名な絵画で、バッハはボタンのたくさん付いた黒いジャケットを着て、右手に楽譜を持っています。
こちらのサイトで、この肖像画を確認できます。
バッハは、1747年 音楽家たちのコミュニティである「音楽学術協会」に入会しようと決意します。そこには、当時ヨーロッパの音楽文化をけん引していたテレマンやヘンデルが所属していました。超エリートしか入会が許されず、音楽家として名声があり、なおかつ音楽の根本的な理論に通じている必要がありました。入会するには、作曲した楽譜を提出する必要がありましたが、バッハは、自身が持っている技術をつぎ込んで作曲し、見事に入会が許されます。
この有名な肖像画は、「音楽学術協会」への入会が決まった記念に描かれたものです。手に持っている楽譜は、入会する時に提出した「6声の3重カノン」の楽譜です。五線を3段使用した3パートからなる音楽で、わずか3小節だけの楽譜です。おそらく誰が見ても簡素な感じがする楽譜ですが、これが楽譜の全てで、これだけで完璧な作品なのだそうです。超エリートしか入会できない協会に提出する作品としては、たったこれだけ?という印象しかありません。
番組では、繰り返し記号の付いた2、3小節目のみを、実際に3人で演奏しました。
高橋さんが、「楽譜通りに演奏していたことは分かったのですが、これがスゴイ技術なのですか?」と不思議そうに聞きますと、加藤さんがわかりやすく解説をされました。実際には6人で演奏する曲なので、同じ楽譜をもう一つ用意して縦に並べ、「カノン」という輪唱の曲なので、1小節ずらして置きます。3つの声部(パート)がそれぞれずれてカノン(輪唱)しているので、3重カノンになるのだそうです。
この6人での演奏を実際に聴いた高橋さんが、「聴いたことがあるようなバッハの音楽ですね」と話していましたが、アナウンサーが思わず、「これで完成なんですよね?」と腑に落ちない感じで話していました。加藤さんが、「でも、どうですかね。超エリートしか入れないようなところに、ただコピペして1小節ずらしただけで入れるなら、簡単すぎますよね。僕も入りたいなあ」と話しつつ、楽譜の解説の続きが始まりました。
2、3小節目の音符を裏返しに読んでいき、3人は楽譜通り、残りの3人は楽譜を裏返したように音を読んで演奏しますと、ずっと聴き続けられるような美しい音楽になっていきました。
「肖像画の中に描かれていた楽譜に、こんな秘密があったとは」と、高橋さんも驚かれていました。
「技術の伝承」の解説では、職人が弟子に技を伝えていくように、バッハも技術の伝承に力を入れていたのだそうです。長男のウィリアム・フリーデマンへ、楽譜を使って技術を伝えていました。その一つが、インベンション第1番です。インベンションは、発想という意味で、バッハは「良い音楽の発想を身に着け、それを巧みに展開する手引き」を伝えたかったようです。インベンションで技を身に着けたバッハの息子たちは、それを次の世代に伝えていきました。カールフィリップ・エマヌエル・バッハは、ベートーヴェンに、ヨハン・クリスティアン・バッハは、モーツァルトに伝えていったのだそうです。
バッハは、「音楽を学ぶ人は、まずインベンションを勉強しなさい」と言っていたそうです。インベンションでバッハが行った技術の伝承とは、どのようなものなのか、加藤さんが解説していました。
良い音楽の発想を展開する力とは、分かりやすく話すと、小さな一つのメロディーだけを使って曲全体を作ってしまう事なのだそでうす。
インベンション第1番の楽譜を見ますと、冒頭部分に16分休符の後、16分音符でドレミファレミドが書かれていて、これこそがバッハが伝えようとしていた発想なのだそうです。このたった7つの音のフレーズが、この曲全体を支配しているという話をしますと、「これだけを?全体を?」と疑問の声が上がっていました。
番組では、この箇所全てにチェックが入った楽譜を写していましたが、実に37回も出てきています。22小節の曲の中に、小節数よりも多くの同じ形のフレーズが出てきているなんて、凄い技ですね。この限られた一つの素材だけで、音楽を作っていく事の素晴らしさを、バッハは伝えたかったのです。それは、今でもピアノや作曲の勉強としても使われています。いかに、バッハが技術の伝承を大切にしていたかがわかりますね。
次は、「こだわりぬく姿勢」の話です。バッハは、38歳の時に教会の音楽監督に就任しました。信心深いバッハは、自分の音楽によって神を身近に感じ、そして、音楽を心から楽しんでほしいと思っていました。そして、30分もの長さの教会カンタータを、週に1回の礼拝に合わせて、新しく作り直していました。たいていは、型にはめて簡単に作り、練習して歌うようですが、バッハはそれでは満足せず、常に全力投球で新しいサウンドや新しい組み合わせを試しました。それが自分の義務でもあり、そしてチャンスでもあると考えていたようです。弟子たちのレッスン、音楽学校の授業、礼拝のリハーサルと多忙を極めていましたが、個性あふれるカンタータを作曲し続けました。
番組では、バッハの一番有名なカンタータである147番のカンタータ「主よ、人の望みの喜びよ」を紹介していました。まずは、元の讃美歌を一節演奏します。「まあ、これだけでも美しいですけれど、賛美歌っていうだけの音楽ですよね」という感想の後に、解説が続きました。
元々の讃美歌のフレーズと同じタイミングで、バッハは新しいフレーズを付け加えていて、とてもカラフルで華やかな音楽に様変わりしています。それだけではなく、また同じタイミングで、少し動きを加えるような新しいメロディーも作曲しています。このフレーズは、目立つものではなく、いわば隠し味のようなものですが、有るのと無いのとでは雲泥の差があります。このような見えないところにもこだわって、毎週作曲をしていました。
これら全てを同時に演奏すると、元の讃美歌からは考えられないくらい華やかな音楽になり、これを知っていますと、逆に元の讃美歌だけでは物足りなくなってしまいそうです。
バッハの作品は、実際に弾いたことがある方も多いかもしれませんが、このようにじっくりと楽譜を見て、その奥深さを感じることは、意外に少ないかもしれません。楽譜を読む事の大切さを改めて感じました。
(この記事は、2020年12月21日に配信しました第312号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、前回の続きで、ベートーヴェンの難聴と作品作りについてのお話です。前回の記事は、以下で読むことができます。
ベートーヴェンは、難聴のあらゆる治療法を試しますが、良くなるどころか日に日に悪化していき、遂に自殺を考えるまで追い詰められます。
「僕は絶望し、自殺することすら考えた。しかし、芸術への思いがそれを引き止めた。僕は、自分に課せられている使命を果たすまで、この世を去ることはできない」と、弟に手紙を書いています。
当時、「自由・平等・博愛」を掲げたフランス革命を指揮していたナポレオンの姿から刺激を受け、尊敬もしていたそうです。ナポレオンに捧げるため、「交響曲第3番英雄」を書き、彼の代表作の一つになりました。その後、「傑作の森」と言われる奇跡の10年を迎えます。
絶望から這い上がって、傑作を生み出していくという不屈の精神が、ベートーヴェンの凄いところですね。
ピアニストの清塚さんも、「音楽家として、難聴は命を取られた事に近い。ベートーヴェンは、難聴になるまで、むしろピアニストとしての方が売れていた。それが難聴でピアニストは無理となり、作曲家として生きていくという別の道を見つけたことで大作を生み出している」と話していました。
次は、ベートーヴェンとその前の時代に活躍したモーツァルトの音楽の比較です。
「モーツァルトは、貴族のパーティ─や食事に合うような、軽い感じの音楽を作曲していて…」と、清塚さんがモーツァルトのトルコ行進曲を演奏し、ゲストの方も、「軽い音楽ですよね」「聴きながらお食事できますよね」と話していました。次に、清塚さんがベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」の冒頭部分を弾き出した途端、ゲストの方々が苦笑して、「食欲がわかないですよね」「暗いですよね」と口々に話していました。
「ベートーヴェンは、食事に合うような音楽を書く気はさらさらなくて、広い劇場で多くの人々に自分のストレスや不安、苦悩などを込めた音楽を聴いてほしいと思っていたので、モーツァルトとは音楽作りのコンセプトが全然違うんですよね」と話していました。
ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」も取り上げていて、第1楽章の冒頭部分を弾きながら、「タタタタという一つの小さなパーツであるリズムだけで、ほぼ作られている曲で、このリズム独特の切迫感が必ず音楽の中のどこかに鳴っている状態の音楽です。このような手法はベートーヴェンが編み出したもので、ベートーヴェン以降、この手法を用いて(1つのパーツで)お城のような音楽を作った作曲家は現れていない」と話しますと、「怖いおじさんというイメージから、魅力的な人に見えてきましたよね」「革命児ですよね」と、ゲストの驚きの声が上がっていました。
交響曲第6番「田園」やベートーヴェン自身が最高の出来と評したピアノソナタ第23番「熱情」など、傑作を次々と生み出した時に使用していた補聴器なども紹介されていました。ヘッドセット型から、大きいものは、マグカップよりもはるかに大きなラッパが付いたサイズのものまでありました。難聴の初期のものは小さく、難聴が酷くなるにつれてラッパ部分のサイズは大きくなっていきました。大きなサイズのものは、手に持って仲間の声を聴くには重いので、ピアノの上に置いて使用していたそうです。
ベートーヴェンが難聴になって引きこもっていたハイリゲンシュタットの家は、現在「ベートーヴェン ミュージアム」になっていますが、そこにはベートーヴェンが使用していたボックス付きのピアノがあります。茶色いグランドピアノで、蓋が閉められピアノの弦は全く見えませんが、譜面台がある場所の一部が切り取られていて、そこにボックスが付けられています。作曲や演奏をする時は、このボックスに頭を入れて音を聴いていたのだそうです。難聴を受け入れてからのベートーヴェンは、このような涙ぐましい努力をしていました。
ベートーヴェンが40代半ばになると、音はほとんど聞こえなくなってしまいます。会話も困難となり、コミュニケーション手段として筆談をしていました。その筆談帳が、400冊以上もありました。話すことはできたので、相手の質問のみ書かれています。家政婦に頼んだ買い物の金額など、買った品物や価格などが事細かに書かれていました。
ベートーヴェンの曲を分析をすると、難聴の進行に合わせて、高音部の使用頻度が減ってきて、聴き取りやすい低音と中音を使うようになっていきます。
耳が聞こえなくても絶対音感があれば、作曲は可能ですが、ベートーヴェンは当時としては珍しく、楽譜に細かく具体的な演奏の指示を書き込み、意図する曲のイメージを演奏者に正確に伝えていました。そして、本当に楽譜通りに演奏されているか自分で確かめていたのです。音楽は自分の感情を表現するもので、確実に人々に届けたいと思っていたのでしょう。
50歳で黄疸になり、3ヵ月も寝込んでしまいます。毎日ワインを1本は飲んでいたそうで、それが原因でアルコール性肝硬変になってしまったと考えられます。音楽家として致命的な難聴に苦しみながら作曲活動をしていたわけですから、飲まずにはいられない心境だったのでしょう。
黄疸は、当時の医学では治せない病気で、死刑宣告を受けたようなものですが、その頃、王侯貴族が復権しつつあり、自由と平等を求める市民が、また各地で弾圧にさらされていました。
自分に残された時間はそんなになく、自分が思っていた「世の中は、こうあってほしい。世界は、こうあるべきだ」というメッセージを、最後に形にして、音楽を市民の元に取り戻すとばかりに、交響曲第9番の作曲に着手します。ドイツの詩人シラーが書いた「歓喜に寄せて」の一節「時の流れが厳しく分かつものを、喜びの神秘的な力が再び結ぶ」を使用しています。
このドイツ語の「喜び」という意味の「フライデ」のよく似た綴りで「フライハイト」という言葉があり、自由という意味なのだそうです。シラーは、もともと「フライハイト」(自由)という言葉を使用したかったそうですが、当時の政府の検閲を恐れて「喜び」という言葉に替えたのだそうです。そのため、このシラーの一説は、自由の力が身分や階級の差をなくすという意味になり、ベートーヴェンが第九に込めた思いとなります。
この思いを人々に届けるため、交響曲に合唱を取り入れるという大変画期的な作品となりました。人類の理想を、音だけでなく具体的な言葉を伴うものにしたのです。
しかし、この合唱の練習が始まると、歌手たちは不満を爆発させ、「あなたの作る歌は、発声器官への拷問だ」と言い始めます。第九を聴いてお分かりかもしれませんが、ソプラノの高音がものすごく高く、悲鳴に近いもので、しかもずっと長く伸ばさなければなりません。真ん中のドからドレミ…と数えてラがありますが、その1オクターブ高いラを、8小節くらい伸ばすのですから、不満が出るのは当たり前ですね。
この部分の歌詞は「全世界に」という部分にあたり、自由の力が身分や階級の差をなくし、全世界に広がってほしいというメッセージを伝えるため、人間の肉体の限界に挑戦している部分でもあり、また難聴だからこそ理想通りに書くことができた音とも言えます。
耳が完全に聴こえなくなり、心に耳を傾けて高音の使用が復活しますが、それがベートーヴェンの音楽を豊かにし、不朽の名作を生み出していったのです。
ゲストの方々は、「年末になると、なんで第九ばっかりやっているのかと疑問に思っていたけど、今日初めて意味が分かった」「中学生の時に第九を歌ったことがあり、貧血を起こしていた人が何人もいて、なんて体力のいる歌なんだろうと思っていた」と話していました。
ピアニストの清塚さんも、「第九は、好きとか嫌いとかを言ってはいけない曲で、音楽家というより人類の到達点の一つとも言える」と話していて、ゲストの方も共感されていました。
第九の聴きどころについて、有名な歌の部分はサビが出てくるまでに、約1時間かかるという話をされていて、ゲストの方々は、「え~、そうなんだ。じゃあ我々はサビから聴いているわけですね。じゃあ、第九の最初の方を聴いたら第九だってわからないわけですね」「サビから始まるものだと思っていた」と口々に話していました。
清塚さんが演奏を交えながら、「有名な歌のメロディーも、ちょっと出てきては消えて、高さが変わって出てきてと、ずっとお預けを食らっていて、じらされた上に、フレーズの最初の方で終わってしまったリして、来る?来ない?という状態があり、その後暗くなって、いよいよ来るぞ来るぞという状態になって、最後のフリの後に間髪入れずに有名な歌の部分が出てきて鳥肌が立つので、1時間の前振りに耐えた後の、このオチは最高」と話していました。
そして、「音楽家にとって、ベートーヴェンは尊敬を超えてある種コンプレックスを感じるもので、ずっとベートーヴェンが付きまとっていて、何かを生み出しても、ベートーヴェンがあの作品でやっているよねと、何をやってもベートーヴェンにやられてしまう。ベートーヴェンがいなきゃよかったのにとさえ思う(笑)。でも、彼が切り開いてくれて、音楽の時代を100年は早めてくれたおかげで、我々はコンサートが出来ているので感謝したい」と話して、番組は終わりました。
作曲家の人となりを深く知ることで、その音楽も深く知ることができますから、とても良いきっかけになりました。
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