(この記事は、2020年8月17日に配信しました第303号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、左手のピアニストのお話です。
先日、「こころの時代」というテレビ番組で、左手のピアニスト智内威雄さんを取り上げていました。
智内威雄さんは、海外でも個展を開く画家のお父様と、かつて劇団四季で活躍していたお母様の元で育ちました。小さい頃から、「美しいか、美しくないか」という教育方針で育てられ、味わい深いもの、いびつなものの中に美しさを見出せるかという事を、お父様が一緒に探してくれたそうです。
食器の欠けている部分に、生活の営みを想像し美しさを感じるなど、美しさは、常に自分で探していかなければならないという事なのでしょう。なかなかユニークで、芸術一家ならではという感じがします。
3歳でピアノを始め、音大付属の音楽教室でピアノの英才教育を受けましたが、その生活スタイルもまた一風変わっていました。
朝の3時に、家族全員で起きて、お母様が朝ご飯を作り始め、お父様は4時に絵を描き始めていたそうです。朝3時というと、夏でもまだ夜が明けていない時間ですから、早朝というよりも夜中に起きているような感じですが、毎日清々しく起床されていたそうです。朝食などを済ませ、4時半頃からにピアノの練習を始めていました。
「人と違うことをやりたければ、人とは違う時間を過ごしなさい」という教育だったのだそうです。
グレングールドというピアニストに憧れて、演奏のスピード感や超絶技巧に憧れて、ひだすら技術を磨く練習をしていたそうですが、小学5年生の時に学校でピアノを弾く機会があり、「自分が演奏して喜んでくれる人がいる」という事に気が付きます。
東京音大付属の高校に特待生で入学し、その後大学、ドイツにも留学をします。
コンクールでも結果を残せるようになり、ピアニストとしてやっていこうと思った25歳の時、演奏中に右手に違和感を覚えます。「局所性ジストニア」という病気で、今でも画一された治療法がありません。脳の誤作動で起こる病気で、現在でも、ピアニストやヴァイオリニストなどの演奏家で苦しんでいる人が何人もいます。
智内さんの場合、これまで難なく弾けていた個所が、段々と弾きにくくなり、そのような箇所が徐々に増えていったそうです。
その時は、練習不足が原因と思い、練習をどんどん増やしていきました。しかし、実際は練習してはいけない状況で、急速に悪化させてしまいます。
問題のある指を、他の指がかばって弾き、今度はその指が問題を起こすようになり、最終的には、ピアノ演奏の時だけでなく、日常生活にも支障が出てきます。髪の毛を洗うとき、通常は指先で洗うと思いますが、無意識のうちに指先が手の平の方にどんどん丸め込まれていき、気が付くと握りこぶしになってしまうのだそうです。
病気だと知った時には、自分の努力不足が原因ではないとわかり、少しほっとしますが、しかしそれからが大変でした。
1本の指をゆっくりと動かし、最小限の力でピアノを弾き、指先の感覚を研ぎ澄ますというリハビリを懸命に続けます。このリハビリは2年続き、日常生活に問題がないほどには回復しましたが、それでもピアノが弾けるようにはならず、逆に絶望感を味わうことになります。
そんな時、小学生の頃を思い出し、自分がピアノを弾きたいのは、人を喜ばせたいからだということに気づき、それなら他の手段もあるのではないかと考え始めます。
指揮や声楽など他の分野も探り始めますが、なかなか見つからず、そんなときに音大の恩師に呼び出され、スクリャービンやブラームスの左手のための作品を渡されます。
以前から左手だけで弾く音楽の存在は知っていたそうですが、片手しか使えない人が仕方なく弾いている分野で、両手に比べ半分くらいの魅力しかないのではないかと思っていたそうです。しかし、練習を始めてみると、左手だけのピアノ音楽は両手の音楽に比べてシンプルで、妙に迫ってくる感じがして驚いたそうです。
文章や言葉なども、たくさん書けば人に伝わるわけではなく、たくさんの言葉を使うよりもシンプルに伝えた方が、受け手がいろいろと想像することができるのと同じで、シンプルな分、音楽の行間を読ませる事ができ、場合によっては、両手の演奏よりもピアノの能力を引き出すことができると左手の音楽に新たな希望を感じるようになります。
「これまで、ピアノの勉強はたくさんしてきたけれど、ピアノが出す音にそんなに耳を傾けていなかったのかもしれない。ピアノの声みたいなものを、片手で弾くことになって初めて気が付いた。思ったよりも、たくさんピアノが語りかけてくれていたんだと気がついて驚いた」と話していました。
左手のピアノ曲は、第1次世界大戦の頃に多く作られ、戦争で右手を失ったピアニストのためにラヴェルやプロコフィエフなど有名な作曲家が、左手のためのピアノ曲を作曲し、当時 3000曲以上の左手のためのピアノ曲が書かれました。
戦争という絶望の中で生まれた左手の音楽にこそ、音楽の原石があると感じ、音楽の持っている強さや癒しを紹介していく事が、自分の使命なのではないかと思い始めます。主治医や先生には反対されますが、家族は、「素晴らしい。やるべきだ」と賛成してくれたそうです。
練習を始めてみますと、曲の途中で体や精神的にも疲れてしまい、かなり大変だったそうですが、右手のリハビリでの動きを左手に応用し、新しい演奏法を見つけていきます。そして、29歳の時に左手のピアニストとして、本格的にデビューすることになりました。
現在では、ピアニストとしての活動だけでなく、同じように左手だけでピアノを弾いている方々にレッスンも行っているそうです。
かつては超絶技巧のピアニストとして、国際コンクールにも入賞し将来を嘱望されていた智内さんですが、大きな挫折の後に、新たなピアノの世界を切り開いて進まれていく姿勢と、冷静かつ秘めた熱意にとても感動しました。
番組内で智内さんの演奏が少し流れていましたが、両手の音楽よりもすっきりとしていて、音楽の奥にあるメッセージがストレートに伝わってくる感じがしました。
コロナの影響でコンサートがなかなか開催されない状況ではありますが、再開された時には、生で聴いてみたいと思いました。
(この記事は、2020年7月20日に配信しました第302号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、前回の続きで、先日放送された「駅・空港・街角ピアノスペシャル」の第2部のお話です。
この番組は、世界15の街に置かれたピアノでの演奏を、定点カメラで2年間取材したものです。視聴者のリクエストをテーマごとにまとめて、スペシャル番組として放送されました。
オランダの古都ユトレヒトの駅に置かれたピアノに向かったのは、南米スリナム出身でガラス工事職人です。ピアノ歴10年で、即興演奏をしていました。
そこへ大きな荷物を抱えたギニア出身の男性が現れ、演奏に合わせて、持っていた大きな荷物を叩き始めました。アフリカの伝統楽器(打楽器)が入っているのだそうです。
セッションが終わった後、ピアノを弾いていた男性が、「いいねえ。素敵だ」と言ってハイタッチをすると、打楽器を演奏していた人が「なんか弾いてよ」と催促し、「あまり上手じゃないけど弾いてみるよ」といって、今度は少し軽快な即興演奏で歌い始めます。
「すごい音だ。心が掴まれちゃったよ」とピアノを弾いた男性が話すと、「音楽に国境はない。今日初めて会ったんだよ。モダンなピアノとアフリカのジャンベの組み合わせが。ワーオ!、驚きでしょ」と楽しそうに話していました。
次に現れたのは、1週間前にこのピアノで出会った2人組でした。音楽の専門学校生の女性が弾き語りを始めると、一緒にいた男性も歌い始め、美しい2重唱が始まりました。男性は、大学の音楽科を卒業したばかりなのだそうです。とても息の合った演奏につられて、聴いていた男性も口ずさみ始めます。
この男性に、「あなたの声、素敵よ。歌は好きなの?それともピアノを弾きたい?」と、ピアノを演奏していた女性が声をかけ、他の女性も誘って歌い始めると、ライブ演奏に行く途中だったバンドマンもギターを一緒に演奏を始めて、どんどんと演奏の輪が広がっていきます。「音楽は人を結びつけるの。すごいわ、本当に。」と感激した様子で話していました。
マルタ島に置かれたピアノでは、真っ赤なTシャツをきた男性が、たまたまその場にいた女子大生を誘って演奏を始めました。女子大生が、伴奏の音楽のキーをもっと下げてほしいとリクエストすると、即座に答えていました。調性を変えて演奏するという事ですから、凄いですね。
赤ちゃんを前側に抱っこしたピアニストの女性は、そのままの姿でショパンのアンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズを演奏していました。赤ちゃんは、じっとお母さんの指の動きと演奏に興味津々で、笑顔で聴き入っていました。時折一緒に弾こうとしたり、演奏を聴いている人に向かって微笑んでいる姿も、とても可愛らしく、演奏しているお母さんの穏やかな表情もとても素敵でした。
次は、男性がドビュッシーの月の光を弾いていました。かつてプロのサッカー選手を目指し、アメリカの学生リーグでも活躍していたのだそうです。しかし、5年前に怪我でプロへの道を断念し、その頃に、独学でピアノを覚えたのだそうです。
「サッカーに全てをかけて、プロを目指していたからショックだったよ。でも、人生とはそういうもの。前に進まなきゃね。それで、ピアノを始めようと思ったんだ」と話していました。
アイルランドのダブリンでは、カラフルなペイントを施されたピアノで、近くに住む大学生が演奏を始めました。自宅にピアノがないので、ここで毎日練習しているのだそうです。すると、iPhone を片手に持った女性が近づいてきて、「素敵だったわ」と話しかけ、今度は、この女性がピアノの前に座ります。この女性は、ピアノを教えているのだそうで、ブルースを弾き始めます。
先程の大学生が、「ブルースは弾けなくて…」と話すと、「ホント?ちょっとしたコツを教えるわ」と言って、ブルースのレッスンが始まり、連弾の演奏も始まりました。「ありがとう。しっかり練習します。弾けるようになりそうだ」と嬉しそうに話していました。そして、「こうやって、誰かと出会って一緒に演奏できるのは最高さ。音楽は共通の言語で、誰かとつないでくれる」と話すと、ピアノ教師も、「そう、言葉を超えてね」と頷いていました。
ロンドンでは、ミュージシャンがピアノに向かっていました。弾く前から、通行人に「一緒にベートーヴェンを弾こう」と誘い、「好きな鍵盤を叩けばいいんだよ」と話して、ベートーヴェンの歓喜の歌を一緒に演奏していました。ノリの良い演奏に誘われて、どんどん聴衆が増えていき、盛り上がっていきます。演奏後は、一緒に演奏していた女性とハイタッチをして、とても楽しそうでした。
「俺は、ピアノが大好きさ。人生そのものだ。ピアノが無かったら死んだも同然。死んだらこの駅のそばに埋めてくれ。そのくらいピアノを愛しているんだ」と、情熱的に話していました。
プラハでは、夜勤の仕事に向かう男性が、今の心情を綴ったオリジナル曲を演奏し始めました。「心を穏やかにして、正しいことだけを考えよう。悪の誘惑に打ち勝つんだ。そうすれば、新しい人生を始められる」と歌っています。若い頃、事件を起こして服役していたのだそうです。ピアノは、刑務所の中で覚えました。
この駅でピアノを弾いていたら、女性が声をかけてきてくれて、最近一緒に暮らし始めたのだそうです。「今まで、いいことなんてなかったけど、でも、この愛を見つけたのは、最高の幸せさ」と話していて、拍手が沸き起こっていました。
シンガーソングライターのさだまさしさんが、このシーンを見て、「音楽は、本当に人を救う事ができるんだなあと思った。いいことなんて一つもなかったという言葉が、胸に刺さりましたね。音楽は、こんなに人を変えるんだなあ」と話していました。
ハリウッドでは、4ヵ月前に引っ越してきた 59歳のコメディー俳優が、ピアノの演奏を始めました。32年間連れ添った妻と離婚し、ニューヨークから車でハリウッドまで来たのだそうです。人生の再出発をかけ、オーディションを受ける日々を送っています。通りかかりの家族が演奏に加わり、大合唱が始まりました。
「年齢なんて関係ない。僕は、棺桶に入るまで夢を追い続けたい。僕たちは、世の中に何かを与えるために存在しているんだ。音楽は、言葉の壁を越えて、誰もが心と心で通じ合えるステキなものだよね。だから、歌うし演奏もする。それで周りの人が幸せになるのなら本望さ」と話していました。この決心と行動力は、スゴイと思いました。
エストニアのタリンでは、恋人と来たポーランド人の銀行員が、ショパンのノクターンを弾いていました。ピアノは、7歳から弾いていて、ポーランドの国立音楽院に通っていたそうです。親友が、ショパンコンクールで優勝したそうで、彼には勝てないと思ってピアニストの道を諦めたのだそうです。
「私より上手な人は、いくらでもいますよ。私の才能はこんなものです。銀行員になるなんて思っていなかったなあ。これが人生なんです」と言いつつ、また笑みを浮かべて2曲目を弾き始めました。ちなみに、コンクールで優勝した親友は、大切な人生の宝物なのだそうです。
日本の神戸では、車椅子に乗った女性が左足で器用にペダルも使って、AKB の曲を演奏していました。目が不自由ですが、幼稚園生の頃に音色に心を奪われて、ピアノを習い始めたのだそうです。今では、お気に入りの曲をアレンジして弾いているのだそうです。弾き終わると、満足そうな笑顔を見せていたのが、とても強く印象に残りました。
「小さい頃から音楽が好きで、聴くのも演奏するのも好き。ピアノを習っていてよかったと思いました」と、感慨深そうに話していました。
オーストラリアのブリスベンでは、真っ赤なピアノで、海洋学者のオランダ人がパッヘルベルのカノンを弾いていました。10歳からピアノを弾いていて、楽しくて毎日弾いているのだそうです。深海に憧れて海洋大学に進学し、学費を稼ぐために、ピアノ弾きのアルバイトをしていたら、それが評判を呼び、ピアニストとしても活躍していたのだそうです。学者とピアニストという2足のわらじを履いているなんて、憧れてしまいました。
昼間は、海洋学の先生をして、夜はホテルでピアノを弾いているそうで、ピアノを弾くことでエネルギーが湧いてきて、やる気がみなぎるのだそうです。「周りも喜んでくれると、自分の喜びにもなる」と話していました。
オランダのアムステルダムの駅では、イスラエルから来た18歳の青年が、ショパンの幻想即興曲を弾いていました。プロのピアニストになるのが夢なのだそうで、ピアノを見つけると弾かずにはいられないそうです。本当にピアノが好きなのだという事が伝わってきます。情熱に満ちた演奏で、気が付けば多くの人が拍手を送っていました。
いろいろな人生を歩んでいる人が奏でるピアノの演奏は、どれもが演奏の出来栄えを超えた味わい深いもので、音楽の神髄を改めて感じることができました。普段、ピアノに向き合うと、音のミスやら上手に弾こうという事を気にする事が多くなってしまいます。もちろん、向上心も大切ですが、出来ないところばかりに目を向けて、一番重要な楽しむという事を忘れがちな気がしています。大いに反省する良い機会にもなりました。
(この記事は、2020年7月6日に配信しました第301号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、先日放送された「駅・空港・街角ピアノスペシャル」のお話です。
この番組は、世界15の街に置かれたピアノでの演奏を、定点カメラで2年間取材したものです。視聴者のリクエストをテーマごとにまとめて、スペシャル番組として放送していました。3時間くらいの番組なので、まずは前半編を見ました。
アメリカ・ミネアポリスの空港に置かれたピアノでは、靴磨きの仕事を終えた男性が演奏していました。この方は、全米を回って米軍基地のバーでプロのバンドマンをしていて、先日引退したばかりだそうです。その時にリクエストの多かった曲を弾いていました。
「僕が弾くと、みんなハッピーになれるんだ。それが一番大事。僕もハッピーになれるけど、人を幸せにできるのは凄いことだ。音楽は、パワフルな魂を放つすばらしいものだ」と話していました。
カリフォルニアからの旅行帰りの高校生カップルは、彼がピアノを弾いて、彼女に歌うように誘い、レ・ミゼラブルを演奏していました。彼女は、子供の頃から教会の聖歌隊で歌っていたそうで、とても上手でビックリしました。音楽が終わると、2人で笑顔でハイタッチしていた事が印象的でした。
オランダの古都ユトレヒトの駅に置かれたピアノでは、移住のため、もうすぐお別れするという15・6歳の学生が演奏していました。1年前に、この場所を見つけ、毎週セッションをしてきたそうです。演奏が終わると、はにかんだ笑顔で拍手に答えていました。
ジャーナリズムを学ぶ専門学校生は、ハーモニカを吹くおじいさんと一緒にピアノ・マンを演奏していました。5歳からピアノを弾いていたそうで、レパートリーが60曲以上もあるそうです。すごいですね。彼の演奏に合わせて、横で小さな女の子が踊りだしていて、かわいらしかったです。音楽の道も諦められないそうで、駅ピアノで練習をしているのだそうです。いつの間にやら、多くの人が集まって聴いていました。
「音楽無しの人生は考えられない。悲しいとき、嬉しいとき、いつでも音楽が僕のそばにあった。しゃべる言葉も音楽。心に響くすべてが音楽だ」と話していました。
次に演奏していた、IT企業の営業マンは、生後すぐにインドネシアから養子で来たそうで、7歳の時に養子先の祖父からピアノを習ったそうです。義父がギターを弾き、家族みんなで合奏していたそうです。「音楽は生活を豊かにすると、義母がいつも言っていた。音楽で自分の思いも表現できる」と話していました。
イギリス・ロンドンの駅では、ロシア出身のシステムエンジニアの男性が、クイーンの曲を笑顔で楽しそうに弾いていました。子供の頃からクイーンの大ファンで、自分なりのアレンジをして演奏しているのだそうです。出勤途中に必ず1曲弾き、それによって落ち着いて仕事が始められるそうです。歓声が飛ぶほどの盛り上がりで、何度もお辞儀をして答えていました。
スコットランドの都市グラスゴーでは、パーカーのフードを被り、リュックサックを背負ったままの看護学生の男性が弾いていました。素朴な雰囲気の男性が、切ない音楽を弾いていて、ピッタリだなあと思いました。学校で友人がサッカーをしていても、音楽室で一人ピアノを弾いていたそうで、就職したら、お給料を貯めてピアノを買うのが夢なのだそうです。本当にピアノが好きなんだという事が、とてもよく伝わり、思わず応援したくなってしまいます。
アメリカ・ロサンゼルスの駅では、日本のアニメ曲を、両親と旅行中の中国の高校生が弾いていました。日本のアニメが大好きで、曲は何度も聴いて覚えるのだそうです。ピアノは、インターネットで独学で学んだそうで、今の時代ならではという感じです。それにしても、日本のアニメの人気ぶりを改めて感じました。
チェコ・プラハの駅では、映画「タイタニック」の曲を、スーパーの男性店員が仕事帰りに弾いていました。美しいメロディーが多いので、映画音楽が大好きなのだそうです。弾いていると、一人の男性が荷物を置いて携帯で撮影しながら聴き入っていました。演奏が終わると、その男性はすぐに近づいてきて、「すごくよかった」と言いながら握手を求め、「これでも食べてくれ」と言って、サンドウィッチを差し出し、立ち去っていきました。「誰かに聞いてほしいと思いながら演奏している。喜んでもらえると嬉しい」と話していました。なかなか日本では見られない光景で、感動を表現しているところに、凄いなあと感心しました。
また、愛犬と散歩の途中、アメリカ人の英語講師は、バッハを弾き始めました。演奏が始まると、犬は床に伏せてじっと聴いているように見えました。他の犬が通りかかると、近寄ってなにやら話しているようにも見えるのですが、その後はまた元に戻って伏せていました。演奏が終わると、そばでじっと聴いていた男性が近寄って「素晴らしかったよ。ビールでも飲みなよ」と言って、小銭を渡していました。
オーストラリア・ブリスベンの空港に置かれた真っ赤なグランドピアノでは、74歳のジャズピアニストの男性が、映画「オズの魔法使い」の曲を演奏していました。奥様との旅行の帰りだそうです。1年前に膵臓がんが見つかり、化学療法を行ってきましたが、ファンの支えもあって辛い治療を乗り越えられたのだそうです。弾いているたたずまいが絵になっていて、かっこいいなあと思いました。
「またピアノを弾けて、私は幸運です。みんなのために弾けることは、とても嬉しいです」 いろいろな困難を乗り越えたからこそ演奏できるような、味わい深い音楽でした。
フランスから来たバンド仲間の4人組は、ノリの良い音楽を演奏していました。「みんな笑顔になる、良い雰囲気を作りたいね。音楽なら、地球上のあらゆる魂と繋がれる。それがミュージシャンの役割さ」と答えると、仲間の一人が「良い答えだね」といって、一同笑っていたのが印象的でした。
イタリアのシチリアでは、バカンス帰りでほろ酔い気分の女性が、「男と女」を弾いていました。学生の頃から弾き続けている曲で、若き日の思い出が詰まった曲なのだそうです。30年前にミラノの音楽院を卒業して、ピアノ教師を長年してきたそうで、どうりで雰囲気のある音楽を演奏しているなあと思いました。とても魅力的でした。
8歳の男の子は、ノリの良いブギウギを即興で弾いていました。上手だなあと思って見ていますと、通りかかった男性が演奏に加わります。子供よりも、むしろ男性の方が楽しそうに弾いていました。この男性は、なんとプロのミュージシャンなのだそうで、いつの間にかとても多くの人が取り囲んで聴いていました。
男の子は、「ピアノは大好き。テレビゲームよりも断然楽しいよ。ピアノは多くの人に聴かせられるし、ハッピーにできるからね」と答えますと、一緒に演奏したミュージシャンも、横でうんうんと頷きながら聴いていて、「彼は素晴らしいよ。今度2人でレコーディングしようよ。みんな買ってくれるよ思うよ」と笑顔で話していました。男の子に、大きな夢を与えているようにも見えました。
ノルウェー・オスロの空港では、卓球の試合に遠征するチームの女の子を、男の子が何回も誘って連弾を弾いていました。初めての連弾なのだそうです。男の子は、弾きながら終始、弾きなれない女の子の演奏に合わせていて、やさしいなあと思いました。演奏が終わって、2人ともはにかんだ顔をしたのも素敵でした。
兵庫県の神戸では、高校生の女の子とお母さんが、ラ・カンパネラの連弾をしていました。お母さんは、ピアノ講師をしているのだそうです。お母さんは、「娘が反抗期なので、ピアノを一緒に弾くことしかできなくて。でも、一緒に弾くと心が通じ合うかなと思って、一緒にコンクールに出ようと誘った」と話していました。娘さんは、お母さんとのコンクール出場をお友達に話したら、「まだ、そんなことを(お母さんと)しているのと言われたそうで、変なのかなあと思ったけど、いざ弾いてみると、これはこれでいいかも」と思ったそうです。ちなみに、その親子は後日コンクールに出演して、賞をもらったのだそうです。
アメリカのミネアポリスでは、同棲1年目のカップルがピアノを弾きながら歌を歌っていました。ピアノを弾いている男性は、プロのピアニストだったのですが、今は医大生なのだそうです。母親が病気になったことをきっかけに医療の道を志す決心をし、今は会社勤めの彼女が支えているのだそうです。とっても楽しそうに演奏していて、見るからに幸せそうなカップルでした。
前半だけでも、いろいろな人が、いろいろな形でピアノを楽しく弾いている姿が見られ、とても興味深く見ることができました。
私も以前、海外の空港でピアノが置いてあるのを見かけましたが、気恥ずかしくて、とてもとても演奏することはできませんでした。しかし、この番組を見ますと、あの時勇気を出して1曲だけでも弾いておけばよかったなあと惜しい気持ちになりました。
後半編も楽しみに、見てみたいと思います。
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