(この記事は、第240号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、日本音楽コンクールのお話です。
日本音楽コンクールは、日本で最も伝統がある音楽コンクールで、第1回目は1932年に開催されています。クラシック音楽の本場である西洋でも通用する音楽家の育成を目的に始められました。現在、日本の音楽コンクールの最高峰とも言われ、若手音楽家の登竜門となっています。
このコンクールには、毎年審査対象となる4部門と、3年に一度審査対象となる6部門があります。毎年審査対象となるのは、ピアノ、ヴァイオリン、声楽、作曲で、3年に一度は、オーボエ、フルート、チェロ、ホルン、クラリネット、トランペットです。
これまでに、ヴァイオリニストの江藤俊哉さん、諏訪内晶子さん、千住真理子さん、作曲家の一柳慧さん、中田喜直さん、三善晃さん、湯山昭さん、ピアニストの小林仁さん、舘野泉さん、中村紘子さん、フルート奏者の宮本明恭さんなど、日本を代表する演奏家の方々が、このコンクールで優秀な成績を残しています。
現在、このコンクールは、毎日新聞社と日本放送協会(NHK)の主催となっており、コンクール本選会の模様は、NHKのBSやFMで放送されますが、昨年秋に開催されたピアノ部門の舞台裏を密着取材したドキュメンタリー番組が12月に放送されたので見てみました。
ピアノ部門は、9日間かけて第1次予選から第3次予選までが行われ、その後、本選へと進み優勝者が決まります。
17歳から29歳までが参加でき、昨年は202人が第1次予選に参加、そのうち47人が2次予選へと進みました。その中から9人だけが第3次予選に進み、最後の本選に出場できたのは、わずか4人です。
審査員は、音大の教授やピアニストなど9人で、25点満点で採点し、最高点と最低点はカットして、残り点数の合計が得点となります。
番組の中では、5年前のコンクールで優勝したピアニストの反田恭平さんがコンクールについて語る場面があり、以下のように話していました。
「コンクールは、出場した方の人生がかかっているもので、自分の個性を審査員に目を付けてもらえるように、記憶に残る演奏をしなければならない。コンクールだけれどオーディションの様な感じで、夢を掴もうとする人がたくさんいるのだから弾けて当然であり、コンクール独特の緊張感も味方にして場を制した者だけが覇者となる。コンクールに勝つ意味は、第1位という肩書が付く、それが全て。それで、プロとして、1人の人間として自立させてもらえる。」
第1次予選は、課題曲6つの中から1曲10分程度の演奏を行います。第2次予選は、以下の3つの課題それぞれの曲を選び、20分程度演奏します。
課題1: 練習曲、基本的なテクニックなどが見られる
課題2: ショパンの作品、表現力や資質が問われる
課題3: ラヴェル、ドビュッシー、フォーレから1曲、音楽のセンスを問う
第3次予選は、35分の演奏時間があり、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンから1曲以上、シューベルト、ショパン、シューマン、リスト、ブラームス、フランクから1曲以上選びます。
本選は、ピアノ協奏曲12人の作曲家の作品から選びます。本選の前日にリハーサルがあり、60人のオーケストラと初顔合わせとなり、1人1時間のみ練習ができます。ピアノ協奏曲は1曲で30分くらいはかかるものなので、いかに少ない時間なのかがわかりますね。
本選の選曲は人それぞれですが、ご自身の思いや演奏の特性、オーケストラとの演奏効果も考えて選んでいるようです。
今回、本選に残った4人の中には、最年少17歳で初参加の高校生がいました。
本選出場が決まった時には、「憧れのコンクールで、まさか自分が本選に残ってしまうなんて思ってもいなかった」と語っていました。同級生の話では、どこまでもストイックで、真面目だけど頑張りすぎな感じもある人なのだそうです。
本選では、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を演奏しました。「派手な演奏効果があって、ちょうど今の自分の弾き方や演奏の仕方に合っている。和音の使い方が印象的」と話していました。
汗をかきながら、エネルギッシュな演奏をされていて、本選演奏後にはブラボーの声が上がっていました。
インタビューで練習時間について聞かれると、毎日9時間くらい練習していて、朝4時間弾いて、その後は弾けるだけ弾くのだそうです。高校で授業を受ける時間と睡眠時間以外は、ピアノの練習をしている感じですね。
他の本選出場者では、東京芸術大学の大学院生で、今回が3回目の挑戦、前回も本選に出場した方は、サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番を演奏しました。「身を削って弾くのだから、心から好きで、曲の魅力を何時間でも語れるくらいの曲を弾きたい。自分の特性で、音がパワフルに出るタイプではないので、そういう曲ではなく、叙情性や心情の吐露を表現したい」と語っていました。
演奏後には、ブラボーの掛け声があちこちで上がっていました。「盛り上げてくれたので、とても楽しかった」と演奏後のインタビューに答えていました。
5回目の挑戦で桐朋学園の大学院修士1年の方は、ショパンのコンチェルト第1番を演奏しました。「自分のすべてを出す気持ちで、オーケストラとの掛け合いを楽しんで弾きたい」と語っていました。
もう一人の本選出場者は、東日本大震災でピアノを弾くどころではない生活を経験された方です。予選の演奏中、ピアノの弦が切れるアクシデントがありましたが、無事本選に進まれました。本選では、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏しました。演奏後のインタビューでは、「パワーがもたない感じで大変だったけど、気持ちよく弾けた」と話していました。
本選演奏後、お客さんもたくさん残っているロビーに結果が張り出されました。
優勝したのは、最年少の高校生です。この結果を見た瞬間、ご本人は笑顔を見せず、とても戸惑っている表情をしていました。
「ビックリしているけれど、これで終わりではないので、次に繋げていける欠点や課題がたくさん見つかり良い収穫になった」とインタビューに答えていました。本当にストイックな方だと、改めて感じました。
第2位は、3回目の挑戦の芸大大学院生で、観客による投票で決まる聴衆賞も受賞しました。「1位の方はとても上手で、優勝は少し羨ましいけれど、聴衆賞がもらえて嬉しい」とインタビューに答えていました。
3位は、5回目の挑戦で桐朋学園大学院生の方で、涙を浮かべて喜んでいました。
東日本大震災を経験された方は、入選となりました。悔しさを感じていたようですが、「今の実力が出たかな。自分の中でも明確に成長を感じられる期間だったので、これからの音楽人生のためになると思う。これからも頑張っていきたい」と話していました。
いろいろなドラマがあるコンクールの裏側が見れて、とても興味深い番組でした。3月にはコンクール受賞者による演奏会も行われますので、実際に生で演奏を聴かれるのも良いのではないでしょうか。
(この記事は、第238号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、今年没後100年となるドビュッシーのお話です。
クロード・ドビュッシーは、近現代を代表する音楽家でフランスを代表する音楽家でもあります。印象派の代表として紹介されることも多いですね。
1874年に、モネが「印象、日の出」という絵画を発表し、それ以前からフランスで起きていた芸術運動が「印象派」「印象主義」と呼ばれるようになりました。代表的な画家として、マネやルノワールなども有名です。
ドビュッシー以前の音楽家、例えばショパンなどもそうですが、当時はサロンなどで芸術家や作家などとの交流があり、お互いに様々な影響を受けていました。今でいう異業種交流会のようなものでしょうか。ドビュッシーも、当時の詩人たちの作品に音楽を付けるなど、大いに刺激を受けたようです。
しかし、ドビュッシーが影響を受けたのは、画家や詩人たちだけではありません。
ドビュッシーが活躍していた当時、ワーグナーブームが起こっていて、ワーグナーの音楽に影響された音楽家がたくさんいました。ドビュッシーもその一人です。また、ロシア人で、長年チャイコフスキーのパトロンでもあったフォン・メック夫人の子供たちのレッスンをしたり、夫人の連弾相手もしていたので、ロシア音楽にも身近に接していたようです。フランスはカトリックの国なので、教会音楽も身近にあり、そして、パリ万博でジャワのガムラン音楽や日本のジャポニズムなど東洋の文化に接して大きな影響を受けました。
このような多国籍の芸術や文化に接していたからなのか、ドビュッシーの音楽は独特です。
ドビュッシーの音楽には、バッハのような厳格さはなく、モーツァルトやベートーヴェンのようなカチッとした形式美の音楽でもありません。また、ショパンのように人のいろいろな感情が込められたり、センチメンタルな感じの音楽でもありません。
ドビュッシーの音楽には、独特の透明感や曖昧さがあり、記憶や想像力から引き出された自然美を表現したような作風や、ふわっと宙を漂っているような重力を感じさせない作品は、初めて弾くと、その独特の音の響きに戸惑う事もあるでしょう。
モーツァルトやベートーヴェンの作品を練習している時は、たとえ知らない曲であっても、音の間違いが聞き取りやすく、自分で練習をしていても、「あっ、今、間違えた」と気が付きやすいものです。
しかし、ドビュッシーの場合は、元々不思議な音の響きなのか、それとも譜読みが間違っているのか、耳が音の響きに慣れるまでは判断が少々難しいところがあります。もちろん、練習していくうちに音の響きに慣れるので、モーツァルトやべートーヴェンの曲を練習している時と同じように、譜読みの間違いも気が付く事になりますが。
私自身も、初めてドビュッシーの音楽を練習した時、その独特の音の響きに大変戸惑い、いつもよりも譜読みに時間がかかったことを覚えています。変な音の響きと思いながら弾いていたので、なかなか音が覚えられず苦戦していました。
しかしその状態を通り過ぎますと、ドビュッシー独特の音の響きの美しさが理解でき、魅了され、フランス音楽全般に興味を持つきっかけにもなりました。
ピアノ教室に20年も通われている生徒さんなども、ドビュッシーやその後の時代のサティなどの音楽が大変お好きな方がおられます。もちろん、好き嫌いは好みの問題でもあるので、「ドビュッシーなどの音楽は、よくわからない。だからショパン以降の音楽は聴かない」という生徒さんもいらっしゃいます。
「戦場のメリークリスマス」などで有名な坂本龍一さんは、若かりし頃、自分はドビュッシーの生まれ変わりだと感じるくらいドビュッシーがお好きだったそうです。中学2年生の時に、ドビュッシーの弦楽四重奏曲を聴いて衝撃を受け、半年くらい毎日聴いていて、特に好きな第3楽章は、ピアノ譜に書き起こして和声を勉強したそうです。
「戦場のメリークリスマス」などを聴くと、坂本さんの音楽には、ゆったりとした柔らかい美しさを感じますが、ドビュッシーの音楽に通じるところがあるようにも思えます。
ドビュッシーは、モーツァルトやベートーヴェン、ショパンと比べると、ややマイナーなイメージが否めませんが、今年はドビュッシーを取り上げたコンサートなども多くあるようですから、ドビュッシーのマイナーなイメージを払拭する機会が多いかもしれません。もしかしたら、今年一年でドビュッシーにはまる方も出てくるかもしれませんね。
(この記事は、第237号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、「鈴木雅明のドイツ・オルガン紀行」の続きです。
先日テレビで放送された、「鈴木雅明のドイツ・オルガン紀行」という番組のお話です。前回は、ドイツのドレスデン近郊のフライベルクという街が舞台でした。今回は、2番目の街アルテンブルクからです。
アルテンブルクは、フライベルクから60kmほど西にある街で、バッハが生涯の後半を過ごしたトーマス教会があるライプツィヒからは30kmくらいのところにあります。
街の中心部には、城壁で囲まれたお城があり、その城壁内の教会にオルガンがあります。いくつもの塔が特徴的なお城の外壁には、バッハが1739年に、このオルガンを弾いた事を示すプレートが掲げられていました。
14世紀頃にお城の中に教会を作り始め、修復を繰り返しながら建築されたため、色々な建築様式が混ざった教会となっています。教会の中は、ちょうど光が差し込んで壁の白さが際立ち、左横にあるオルガンのシルバーのパイプと、あちこちにある金色の装飾がキラキラと輝いていました。
このオルガンは、トロースト・オルガンと呼ばれ、1739年に完成しました。製作者のトローストは、代々続くオルガン製作の家系で、アルテンブルクの宮廷オルガン製作者です。バッハもその音色を絶賛したという記録が残っています。
「煌びやかですね」と鈴木さんも話していましたが、象眼細工や象牙を存分に使用した贅沢な作りになっています。
2段鍵盤の両横には、木彫りの顔が付けられており、この教会のオルガニストであるフェリックス・フリードリヒ博士は、「この顔は、演奏者にミスしたなと言わんばかりですね。舌を突き出していますよ」と話し、その話を聞いた鈴木さんは大笑いされ、「怒った顔ですね」と話していました。確かに、かわいらしい顔とは程遠く、全てを見据えているような表情なので、演奏する時には妙に緊張しそうな気がします。
トローストは、前回紹介したオルガン製作者ジルバーマンとは対照的に、とても先進的な考えを持っており、鍵盤の数も多く調律も近代的な方法で行われていたのだそうです。
力強い響きのジルバーマンのオルガンとは対照的で、トローストのオルガンは、弦楽器的で繊細な音が魅力です。弦楽器系の音色が出せるパイプがたくさんあるので、どのパイプを組み合わせて、どんな音色で演奏するのか、オルガン奏者の腕の見せ所なのだそうです。
番組では、鈴木さんが、自ら色々なパイプを使用して、音色の変化を具体的に音に出して説明していました。
また、トローストのオルガンの弾きにくさは天下一品という話もしていました。鍵盤は重く粘りが強いので、ピアノのような少し叩くようなタッチでは音が鳴らないのだそうです。しかし、力を入れすぎると指が壊れそうになるので、時間をかけてゆっくり、しっかり圧力をかけていくようなタッチで弾くのだそうです。
この楽器で、鈴木さんは、バッハ作曲の「パストラーレ へ長調」オルガン小曲集より「来たれ、異教徒の救い主よ」「イエス・キリストよ 汝はたたえられん」「天使の群れ 天よりきたれり」など、たくさんの曲を演奏していました。
パストラーレは、キリストの降誕(キリストの誕生)を祝う音楽で、足鍵盤の低音がずっと伸びている中で、中音域のメロディーが柔らかく鳴り響いていました。優しい感じで、どこかゆったりとした雰囲気の音楽です。オルガン小曲集は、バッハが讃美歌を編曲した教育用の小品集で、短くシンプルですが色々な表情のある音楽です。「イエス・キリストよ」は、ゆったりとして少し憂いに満ちたような音楽です。「天使の群れ」は、柔らかい高音で、天使がふわふわと舞い降りているような浮遊感のある音楽です。
そして、最後に訪れたのは、ライプツィヒとワイマールの中間にあるナウムブルクという街です。
落ち着いた朱色の屋根瓦が印象的な街並みで、中世の頃から交通の要所として栄えてきました。18世紀からは、ワインの生産地としても知られています。
街の中心にある聖ヴェレンツェル教会には、バッハも演奏した優美なオルガンが残っています。これまでの教会と比べますとシンプルな感じがしますが、それがかえって教会の白い壁と一体となって白いパイプオルガンをより引き立たせているような感じがしました。
ジルバーマンの弟子だったヒルデブランドが製作したオルガンで、1746年に完成しました。このオルガン製作の時、師匠であるジルバーマンと弟子のヒルデブランドが競い、ヒルデブランドが最終的に仕事を獲得しています。そして、このオルガンが、バッハが生涯で最後に鑑定したオルガンとなりました。
この教会のオルガニストであるダーヴィット・フランケさんの演奏後、鈴木さんは開口一番に「美しい響きですね」と感想を話していました。フランケさんも「バッハは、このオルガンの力強い響きに感激したでしょうね。同時に、室内楽的な音色にも感銘を受けたと思います」と話していて、鈴木さんも頷いていました。
このヒルデブランドのオルガンは、中部ドイツのオルガンには珍しく、リュックポジティフというものがあります。演奏者の後ろにあるパイプの塊で、本体と離れている所にパイプがあるので、響きがより立体的になるのだそうです。
ジルバーマンのオルガンと比べて、トロースト・オルガンのような繊細な面もありますが、行き過ぎることはなく、攻めてくるような力強さも兼ね備えたオルガンなのだそうです。バッハの理想に近かったのかもしれないと鈴木さんは話していました。
この楽器を使って、「幻想曲とフーガ ト短調」などが演奏されました。バッハの即興演奏を思わせる、劇的な幻想曲とリズミカルな対位法で書かれたフーガから作られた作品です。
番組の最後に鈴木さんは、バッハの作品の中で一番好きという「前奏曲とフーガ ホ短調」を演奏しました。重厚で軽やかさもある荘重な前奏曲と、楔のフーガとも呼ばれているような作りで、もはやフーガなのかわからないくらい速いパッセージが駆け巡る躍動感あふれるフーガから作られた作品です。
旅行先でオルガンを見たり、音色は聴いたことはありますが、製作者の事は全く知らなかったので、とても興味深い番組でした。そして、鈴木さんのバッハの演奏も存分に楽しめました。
日本の大きなホールでは、オルガンが設置されている所もあり、そこではオルガンのコンサートも行われていますので、ご興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。
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