(この記事は、第244号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、ピアニストやヴァイオリニストの日常のお話です。

先日、ピアニストやヴァイオリニストなど、クラシック音楽の演奏家の日常を密着取材した番組が放送されました。2つの番組だったのですが、1つはヴァイオリニストの千住真理子さん、もう一つはピアニストの熊本マリさんを取材したものです。

ヴァイオリニストの千住真理子さんの一日を見てみますと、いつでも小走りどころか、かなり本気で走っていました。番組スタッフと駅で待ち合わせをしていても、タクシー乗り場に一目散に走って移動していて、番組スタッフが慌てて引き止めたり、コンサート会場でも、出迎えていたスタッフの横を走り去り、会場内を迷ってあたふたとしている様子が映っていました。

常に意識している事は、「時短」だそうで、1秒でも長く練習するためなのだそうです。さすが、プロの演奏家は凄いですね。移動時間を短時間で済ませるだけではなく、食事についても、生卵を飲むような事もしているそうで、とても驚きました。短時間で栄養を摂るため、映画のロッキーからヒントを得たそうです。なかなかストイックな面もありますね。

コンサートの前には、ピーナッツバターにハチミツをたっぷりとかけて食べ、コンサートの合間には、ハチミツをそのまま口に流し込むような場面も放送されていました。ハチミツは、すぐにエネルギーになるそうで、その効果を利用しているようです。舞台では、華やかなドレスを着て、優雅に美しいヴァイオリンを奏でていますが、舞台の裏ではこのような状況だったとは、想像できませんでした。

コンサートでは、2時間は演奏するので、人によっては1回のコンサートで2キロ痩せるという話を聞いたことがあります。体力の消耗も思った以上に激しいので、限られた時間でいかに効率よくエネルギーを補給するかは、大切なことですね。小さい頃から、プロのヴァイオリニストとして活躍してきた経験から生み出された方法なのかもしれません。

演奏が終わっても、ドレスを着たままヴァイオリンを持って、猛ダッシュで走って、ファンが待つサイン会に駆けつけ、笑顔でサインをしたり、握手をしていました。

使用しているヴァイオリンは、世界的に有名なストラディヴァリウスという名器で、家族総出で金策に追われながらも、現金で購入されたものです。数億円ともいわれる大変貴重な楽器なので、楽器のために普段から色々な事をしているそうです。

例えば、普段からお兄様のおさがりのコートを羽織り、目立たないような服装をしたり、コンサートなどでホテルに宿泊する場合は、現金をわざと見えるところにおいて、もし窃盗犯が入っても、現金に目が行くようにして、楽器を守っているのだそうです。

もちろん、楽器のために高額な保険をかけていたり、自宅にも厳重なセキュリティー対策をしているそうです。マンションにお住まいですが、お部屋もベランダも無数の赤外線の監視システムが設置されているそうです。完全防音の練習室はシェルターのような作りになっていて、地震などで万が一マンションが崩壊しても、練習室だけは壊れないような作りになっているのだそうです。とにかく、ヴァイオリンを大切にされている様子が、とてもよく伝わってきました。

次は、ピアニストの熊本マリさんです。

熊本マリさんは、小さい頃スペインに住んでいて、スペイン王立マドリード音楽院や、アメリカのジュリアード音楽院、英国王立音楽院で学ばれました。日本では馴染みのなかったスペインの作曲家モンポウのピアノ曲全曲を録音して、一躍話題となりました。

NHK 教育テレビの「芸術劇場」の司会もされ、現在は、大阪芸大の教授としても活躍されています。

先程の千住真理子さんのコンサート前の食事とは異なり、熊本マリさんの場合は、お母様が作られたお弁当を食べるのが恒例なのだそうです。メニューは牛肉で、200gはペロッと食べるのだそうです。本番前は、お腹が空かない程度に軽く食事を済ませる方が多い中、しっかりとお肉を食べるというのは凄いですね。

千住真理子さんも、世界最高齢のピアニスト室井摩耶子さんも、普段から牛肉を食べるそうで、「パワーが付く」とみなさん揃って言われます。演奏家は体力も大切なので、アスリートの様な食生活も必要なのかもしれません。

熊本マリさんの日常は、飼っているインコを常にかわいがりながら、毎日6時間のピアノの練習は欠かさないそうです。大変貴重な数千万円もするピアノを所有しており、それぞれの鍵盤の奥には、たくさんの傷がついていました。ピアノでオクターブなどを弾く時に、2・3・4番の指が少し伸びた状態になりますが、それが、ピアノの奥に当たり削れてしまうらしいのです。指でピアノを掘っているとでも言うのでしょうか。普通はそんなに当たらないと思うのですが、手が大きく、激しく動かして弾いていますと当たるのかもしれません。

コンサートでは、ぐるっと一周動くような舞台上で演奏をして、色々な角度から演奏風景が鑑賞できるような事をしたり、俳優や宝塚のスター、落語家など色々なジャンルの方とのコラボレーションもされています。国民栄誉賞を受賞された将棋の羽生善治さんや、iPS細胞の研究でノーベル賞を受賞された山中伸弥さんなどとも交流があり、幅広い人脈をお持ちのようです。

演奏家の多くが、小さい頃から練習漬けの毎日を送り、天才少女や天才少年としてデビューしていますから、まるで別世界に住んでいる様に思えますが、実際に覗いてみますと、イメージ通りに演奏中心のストイックな生活を送っていると感じると同時に、意外な面も垣間見えて、やっぱり同じ人間なのだと、少し身近にも感じられました。

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(この記事は、第243号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、福間洸太朗さんのピアノリサイタルのお話です。

先日、友人と福間洸太朗さんのピアノリサイタルへ行ってきました。私は、福間洸太朗さんというピアニストを知りませんでしたが、評判が良く人気もあるとのことで、楽しみにしていました。

少し早めに会場に着いたのですが、すでに多くの方が入り口に列を作っていて、福間さんの人気ぶりに驚きました。

開演時間になりますと、かなり大きなホールが、ほぼ満席の状態になりました。

光沢感のある黒いジャケットを着た福間さんが舞台に登場し、バッハのカンタータの1曲を弾きました。「羊は安らかに草を食み」という曲で、とても美しく厳かな雰囲気の音楽でした。

この日は、東日本大震災からちょうど7年目だったこともあり、追悼の意を込めて選曲したのだそうです。

その後は、ベートーヴェンの「テンペスト」全楽章と、スメタナの「モルダウ」を演奏されました。

「テンペスト」は、ベートーヴェンのピアノ曲の中では有名な作品で、ピアノ教室にいらっしゃる生徒さんにも人気の曲です。ベートーヴェンの激しい感情が表れている音楽で、ある意味ベートーヴェンのイメージ通りの音楽かもしれません。

1楽章の途中には、静かでゆったりとした部分があり、この部分をきれいに弾く事はなかなか難しいわけですが、さすがピアニストが弾きますと魅力的に聴こえてきます。

前半のプログラムの最後は、スメタナ作曲の「モルダウ」です。プログラムのほとんどがピアノ曲なのに、なぜオーケストラの作品が1曲混ざっているのか疑問に思っていましたが、福間さんご自身がピアノソロ用に編曲したのだそうです。

以前、あるコンサートの主催者から「モルダウ」をピアノソロに編曲して演奏してほしいというリクエストがあり、そのコンサートで弾くためだけに編曲したそうですが、それが大変好評だったため、その後何度となく弾かれているそうです。

演奏前に、そのようなお話をされ、「今日は、ロビーでも楽譜販売されるそうで・・・・。ちょっと、宣伝みたいになっちゃいましたが・・・」と少しお茶目な表情で話された時には、会場からクスッと笑い声が起こっていました。

オーケストラの演奏で有名な「モルダウ」ですが、福間さんの編曲したピアノ曲は、オーケストラの迫力も、ピアノで表現できる繊細さも見事に表現され、素晴らしい作品になっていました。演奏後に友人と、「オーケストラの原曲より、福間さんの編曲した方が好みかも」と話していたくらいです。

その後休憩時間になり、「モルダウ」の演奏を大変気に入った友人が、CDと楽譜が欲しいという事で、すぐにロビーに行きました。すると、すでにCD販売の場所も楽譜販売の場所も、商品が何も見えないくらいに多くの人が集まり、大混雑していました。まだ、前半の演奏が終わっただけですが、この休憩時間に全ての商品が完売してしまうかもと思うくらい、まさに飛ぶように売れていました。

なんとかCDと楽譜が購入できて、満足そうな表情をしていた友人ですが、演奏を聴いてすぐにCDなどを購入したのは今回が初めてかもとご自分でも驚かれていました。もう、すっかりファンになったようでした。

休憩時間が終わり、後半が始まりますと、黒いシャツに鮮やかな青系のベストに衣装替えをした福間さんが、颯爽と舞台に登場しました。

ショパン作曲の「前奏曲集」や「幻想即興曲」「英雄ポロネーズ」、リストの「愛の夢 第3番」「ラ・カンパネラ」など、名曲が勢ぞろいというプログラムでした。前半と同じく、曲の間には福間さん自身で、曲目の解説などがありました。

「幻想即興曲」の演奏前には、この曲との思い出を話されていました。小学校4年生くらいで弾いていたというお話をされた時には、そんな小さい時に、この曲を弾いていたなんてスゴイというどよめきが湧き起こっていて、思わぬ反応だったのか福間さんも驚き、「あっ、いや、そういうのではなくて・・・」と後ずさりしながら、はにかんだ表情で少し照れ笑いをしていました。福間さんの謙虚さや親近感を覚える瞬間でした。

ピアノリサイタルは、もちろんピアニストの演奏を聴きに行くわけですが、このようなお話もありますと、ピアニストの人となりが垣間見えて、遠い存在のピアニストが少し身近に感じられるものですね。

演奏後には、会場中が大盛り上がりで拍手喝采でした。

福間さんは、すぐに舞台に戻ってこられてマイクを手に取り、「会場の都合で、5時までには外に出ないといけないのですが・・・」とお話をされ、「でも、アンコールで弾きたい曲が3曲あるんですよね。では1曲目!」とお話された時には、会場中が大きな笑いに包まれました。

小さい頃にコンクールで弾いて、すごく緊張して予選落ちした曲を「今日は挽回したい」と茶目っ気たっぷりなお話の後に、とても美しく弾かれていました。2曲目、3曲目もとても魅力的に演奏され、リサイタルが終わりました。

物凄いテクニックを見せつけるような弾き方ではなく、良い意味でごくごく普通に弾かれていたので、生徒さん方やピアノを弾かれている方には、とても参考になる所がたくさんあるように感じました。

また、今回かなり前方の席だったので、ペダルさばきを大変よく見ることができました。とても細かく踏み替えている所もあれば、大胆に長めに踏んでいたりしていましたが、一番驚いたのは、ウナコルダという一番左にあるシフトペダルをよく使っていたことです。

通常、このペダルを踏みますと、踏んだ瞬間に音色が変わり、音が弱くなるだけでなく、柔らかい少しこもったような音になります。今、シフトペダルを踏んだとか、シフトペダルを踏み続けていることが、すぐにわかる踏み方になります。しかし、福間さんは、音楽を聴いているだけでは、いつシフトペダルを踏み始めたのかわからないくらいに、徐々に踏み込んでいて、着物などのぼかしの技術の様な、絵画などのグラデーションのような、段差や境目がわからないような踏み方をしていて、このようなシフトペダルの使い方があったのかと驚きました。

福間さんは、ピアノリサイタルだけでなく、フィギュアスケートの羽生選手やパリオペラ座バレエ団のダンサーとのコラボレーションなど幅広い分野で活躍されているようです。今後の活躍も目が離せないですね。

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(この記事は、第242号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、ピアノの巨匠リヒテルのお話です。

カンフー映画などで有名な俳優ブルース・リーをこよなく愛すピアノの巨匠スヴャトスラフ・リヒテルは、旧ソビエト連邦出身のピアニストです。

現在でも、リヒテルを超えるピアニストは現れていないと言われる天才で、当時アメリカと旧ソ連の間では冷戦が続いていましたが、鉄のカーテンの向こうにいる幻のピアニストと呼ばれていました。

リヒテルは、1915年にウクライナで生まれました。お父さんは、ドイツ人のピアニストでした。

リヒテルがピアノを弾き始めたのは9歳の頃ですが、練習方法が独特だったようです。

音階練習などは一度もやらず、基礎と呼ばれるものは何もやりませんでした。

では、何から始めたのかというと、まずはショパンのノクターン第1番、次にショパンの練習曲ホ短調だったそうです。

通常、ピアノを始める時は、バイエルの様な初心者用の練習曲を弾き、チェルニーの100番練習曲、30番練習曲、40番練習曲、50番練習曲を全曲弾いてから、やっとショパンの練習曲に取り掛かれるものです。

音楽大学のピアノ科の入学試験に出てくるショパンの練習曲を、ピアノを習い始めたばかりでいきなり弾くというのは、私も聴いたことが無く、やはり天才にしか出来ない技だと思います。

22歳でモスクワ音楽院に入学し、当時名教師と呼ばれていたネイガウスに師事します。

ネイガウス先生とクラス全員の前でリストの曲を4度目に弾いた時、先生から「もう言う事はない」と言われたそうです。

世界最高峰の音楽学校のピアノレッスンで、名教師からそのような事を言われるなんて、これもまた天才としか言えないエピソードです。

普通なら順調にキャリアを積み上げていけるはずですが、当時の旧ソ連はスターリンが粛清を行っており、ドイツ人だったリヒテルのお父さんはスパイ容疑で銃殺刑となり、リヒテル自身も長い間、国家から監視されていました。

リヒテルの演奏には、圧倒的な迫力が感じられますが、そのエネルギーの源の一つは、この辛い経験だったのかもしれません。

1960年にアメリカのカーネギーホールでリサイタルを行いますが、リヒテルの演奏は世界に衝撃を与え、伝説のピアニストと呼ばれました。

初来日は、1970年の大阪万博が開催された年で、リヒテルが55歳の時でした。新聞には、「幻のピアニスト リヒテルが来た」と大きく掲載され、多くの聴衆がリサイタルに押しかけました。その後、8回も日本を訪れるほどの親日家になったそうです。

8回の来日で訪れた都市は、62都市となり、リサイタル数は162回にもなりました。

私も学生時代に聴きに行きましたが、コンサートのチケットを買うのがとにかく大変でした。

当時は、チケット売り場に電話を掛ける方法しかありませんが、とにかく電話がつながらず、やっとつながったのがチケット販売開始から1時間後で、既に5階席しか空いていませんでした。

それでも購入して、後輩と一緒に聴きに行きましたが、とにかく素晴らしいという言葉しか出てこない演奏で、感激した思い出があります。

リヒテルは、旧ソ連ではなかなか見ることができなかった外国映画が大好きで、ブルース・リー主演の映画が一番のお気に入りだったそうです。

リヒテルが来日した際にいつも通訳をしていた人は、映画のセリフ一つ一つまで通訳をしていたようです。

リヒテルは、「ブルース・リーは、肉体的に世界で一番美しい。筋肉の動きの美しさも顔も、あんな美しい人間はこの世にいない」と、すごく感激していました。

ある時、通訳の人が、リヒテルの演奏中の背中の動きに躍動感があり、美しく、まるでブルース・リーのようだとリヒテルに話したら、「あんな美しい男性と私を一緒にするな。ブルース・リーに悪い」と、随分と怒られたそうです。

他のエピソードもあります。

リヒテルは、小さい神社やお寺を訪ね歩いていたそうですが、その時口癖のように話していたのが、「厳か(おごそか)」という日本語で、母国にはそのような言葉がないと嘆いていたそうです。

日本の伝統文化も好きだったようで、茶会に参加して、茶室でコンサートも行っていました。

ドビュッシーの前奏曲第1巻の「沈める寺」を弾いている映像を見ましたが、まさに厳かな雰囲気で、会場と音楽が見事に一体となっていました。

「華美なものはいらない。余計な音は要らない。ピアニッシモを静かに演奏することが大事。大きな音を出すのは誰にでもできる。そぎ落とした芯の音が大切」とよく話していたそうです。日本の美意識である、「わび・さび」にも通じるものがあると感じました。

調律師の村上輝久さんは、フランスで行われた音楽祭でリヒテルと出会いました。

リヒテルは気難しいと聞いていましたが、彼の好みの音色がわからず、まずは基本に忠実に調律を行ったそうです。

本番で、偶然にも村上さんが大好きな曲を弾かれたそうですが、「あんなに感激したことはない。聴いていて涙が出た」と話していました。

リヒテルに、「ピアノはどうでしたか?」と聞いたところ、「良かったよ。でも私にはちょっと易しすぎたかもしれない」と感想を話されたそうです。

易しすぎたという事は、もう少し鍵盤が重い方がよいのかと想像し、翌日のコンサートでは、鍵盤の下にある0.2ミリの紙を抜いて、タッチを重くしたそうです。

翌日のコンサートでは、終了後にリヒテルがすぐに村上さんをハグして、「ありがとう。よかった、よかった」と物凄く感激してくれたのだそうです。

リヒテルは生前、「悪いピアノは、この世にない。演奏者が悪いんだ」「私は、決してピアノを選ばない。ピアノを選ぶのは、ピアニストにとって有害である。それは、心理的な重圧になるからだ。調律師やスタッフを信じている」と話していたそうです。

自分の演奏の出来を、ピアノのせいにしてしまう事がありますが、リヒテルのように謙虚な気持ちでピアノに向かわないといけないと痛感させられます。

リヒテルは、日本で多くのコンサートを行いましたが、調律師を目指す学生のために、無料でコンサートを開いていました。「母国には、調律師になるための学校がない。優秀な調律師を育てる学校があるなんて、日本は素晴らしい」と話していたそうです。

リヒテルのように、素晴らしくピアノを奏でるためには、どうしたらよいのでしょうか?

リヒテルに師事していたお弟子さんの話では、「ピアノを弾く時に、指を鍵盤にねじ込むように、鍵盤の下から指が出てくるようなイメージで弾くように」と話していたそうです。

浅いタッチではなく、深いタッチを心がけると、ほんの少しリヒテルに近づけるかもしれませんね。

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