(この記事は、第57号のメールマガジンに掲載されたものです)

たのしい音楽小話、今回は、ショパンコンクールに関連して、ショパンとその友人についてのお話です。

バッハやモーツァルト、ベートーヴェンなど、クラシック音楽の音楽家や作曲家の周りには、いろいろな人達がいました。幼なじみや、憧れの人、尊敬する人、先生、ライバルなどなど。今回お話しするショパンにも、その人生には色々な人との関わりがありました。一番有名な人は、ジョルジュ・サンドです。

ジョルジュ・サンドは、当時人気の女流作家で、男装の麗人とも呼ばれていました。結核だったショパンを献身的に看病した話は有名ですね。ヨーロッパ音楽紀行のパリ編でも、このジョルジュ・サンドゆかりのサロン(パリ市立ロマン主義博物館)を訪ねていますので合わせてご覧ください。

ヨーロッパ音楽紀行・パリ11

ジョルジュ・サンドを通して知り合い、ショパンが尊敬し、とても仲の良かった友人の一人が、画家のウジェーヌ・ドラクロワです。ドラクロワは、1798年生まれでショパンより12歳年上です。

フランスを代表する画家で、1830年に起きたフランスの7月革命を主題として描かれた「民衆を率いる自由の女神」の絵画がとても有名です。以前、フランスとの文化交流の一環として、パリのルーブル美術館から貸し出され、日本でこの絵画が披露された事がありましたので、生でご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。(私も見に行きました)

女神がフランス国旗を高々と揚げて、民衆の先頭に立っている絵は、とてもリアルに描かれ印象深い作品です。(ちなみに、フランス国旗を高々と揚げている女神の右隣に描かれている、帽子をかぶり銃を掲げている男性は、ドラクロワ自身だと言われています)

ドラクロワ自身もショパンのことをとても尊敬していて、ショパンが亡くなる晩年には、何度もお見舞いに足を運んだそうです。

ショパンとジョルジュ・サンドの仲が良かったショパンが28歳の頃、ドラクロワは、彼とジョルジュ・サンドの肖像画を描いています。ピアノを弾いているショパンの横で、ジョルジュサンドがその演奏を聴いているという構図です。

しかし、その絵は完成することなくドラクロワは他界してしまいます。そして、その後、誰かの手によって絵は破られてしまいます。その経緯は今もわかっていませんが一説にはジョルジュ・サンドの息子でドラクロワの弟子でもあったモーリスが、破ったとも言われています。

実際、ショパンとジョルジュ・サンドは、結婚することもなく別れてしまいましたがこの絵が破られたことと重なり、なんだか切ない気もします。

この絵のショパンが描かれている部分は、パリのルーブル美術館に、ジョルジュ・サンドが描かれている部分は、コペンハーゲンのオードロップゴー美術館に展示されています。今でも別々に展示されていることが、益々やりきれない気持ちになりますね。

ショパンの絵
ジョルジュ・サンドの絵

同じように思う方が多いからなのか、以前ショパンの展覧会でこの2つの絵を合成した復元画が披露されました。今度は2つの原画を並べて、見られる日が来ると良いですね。

なお、ショパンとドラクロワの交流を中心に描いた平野啓一郎作の有名な小説があります。「葬送」です。第1部、第2部合わせて4巻シリーズになっていますので、読みごたえがあります。読書の秋にピッタリかもしれません。

葬送
平野啓一郎 (新潮社)
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(この記事は、第54号のメールマガジンに掲載されたものです)

たのしい音楽小話、今回は、音楽とグルメのお話です。

私自身、料理やスイーツを作るのも食べるのも、とても興味があり好きなのですが、音楽が好きな方や職業とされている方でグルメ好きな方は結構多いように思います。

例えば、ピアニストであり音大の教授でもある横山幸雄さんは、自身でレストランを経営されています。音楽とグルメを結びつけたコンサートをなさっている方もいらっしゃいます。

また、音楽とグルメは切っても切れない関係という見方も出来ます。レストランに行きますと、必ずと言っていいほど音楽が BGMで流れていますし、オペラ鑑賞の後にレストランで、今見てきたオペラについて語り合う光景は、ヨーロッパではごく当たり前のようです。

最近では、牛などの動物にクラシック音楽を聴かせるとか、お酒やパンの発酵の時に音楽を聴かせたり、植物を育てるときにモーツァルトを聴かせる事も行っているそうです。音楽は、もはや人間だけではなく、あらゆる生物の生長や癒しに、欠かせないアイテムになっているのかもしれませんね。

以前、フランス料理の「牛肉のステーキ ロッシーニ風」とは、作曲家のロッシーニのことであるとお話をしました。彼は、イタリア生まれですが、途中でフランスのパリに移り住んでいます。その理由が「美味しいものを食べるため」とも言われています。それだけではなく、養豚場を始めたり、レストランを始めて色々なメニューを生みだしているのです。

また、グルメを題材にした音楽も次々と作曲しました。デザートを題材にしたり、食材を題材にしているのですが、その中で特に面白い題名の曲は「ロマンチックな挽き肉」という曲です。まだ、聴いたことがないのですが、どうも挽き肉にする機械の音を表している音楽のようです。

ロッシーニ以外でも、「主よ、人の望みの喜びよ」などで有名な J.S.バッハは、「コーヒーカンタータ」という曲を書いています。コーヒーにすっかりはまっている娘と、それをやめさせようとする父親がテーマの楽しい音楽です。バッハが活躍していたライプツィヒは、コーヒーが有名な土地なのだそうです。またコーヒーを飲めるコーヒーハウスでコンサートも行っていたそうで、そこで演奏するために、バッハは「コーヒーカンタータ」を作曲したと言われています。(ライプツィヒについては、ヨーロッパ音楽紀行・ライプツィヒもご参照ください)

音楽家は、貴族のお抱え音楽家だったり貴族のサロンで演奏していたので、貴族たちに美味しい食事をご馳走になりグルメな人が多かったのだそうです。

しかし、時にはそうでない作曲家もいます。

ベートーヴェンは、ロッシーニのように自ら料理をして友人達にふるまっていたそうですが、かなりイマイチな味だったそうです。イマイチどころか、その料理を食べた友人達が、お腹を壊したり食中毒にかかったこともあるそうです。でも、ベートーヴェンは「こんなに美味しいのに」と納得がいかなかったそうです。

音楽もグルメも美を追い求めていく部分がありますが、それはかなり個人差があるのかもしれませんね。

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(この記事は、第53号のメールマガジンに掲載されたものです)

前回まで、今年10月に行われるショパン国際ピアノコンクールについてお話をしてきました。

今回は、その特異なコンクールであるショパン国際ピアノコンクールに参加したピアニスト達とコンクールにまつわるエピソードについてお話をいたします。

世界には、ショパンコンクール以外にも色々なコンクールがありますが、これだけ話題性のあるコンクールはあまりないのではないでしょうか。コンクールに優勝しますと、一夜にして全世界に名前が知れ渡り、その後も世界一流のピアニストとして認知されます。

このコンクールに優勝した以下のようなピアニストの名前を聞いたことがある方も多いかと思います。勿論今でもコンサート活動などで大活躍されています。

ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(ポーランド)
マウリツィオ・ポリーニ(イタリア)
マルタ・アルゲリッチ(アルゼンチン)
クリスティアン・ツィメルマン(ポーランド)
ダン・タイ・ソン(ヴェトナム)
スタニスラフ・ブーニン(ソヴィエト連邦)
ユンディ・リ(中国)

例えば、ブーニンが優勝した時には、日本でも大ブームとなりコンサートも大盛況だったようです。また、ポリーニが18歳で優勝した時には、満場一致の優勝で、審査委員長をしていたピアニストのルービンシュタインが「ここにいる我々(審査員たち)の中で、彼より上手く弾ける人がいるだろうか」と、大絶賛のコメントをしたという話も残っています。

日本人ピアニストに優勝者はまだ残念ながらいませんが、入賞した方は結構います。

内田光子(第2位)
横山幸雄(第3位)
中村紘子(第4位)
小山実稚恵(第4位)
関本昌平(第4位)
山本貴志(第4位)
高橋多佳子(第5位)
宮谷理香(第5位)
海老彰子(第5位)
佐藤美香(第6位)
遠藤郁子(第8位)

みなさん、ショパンコンクールの入賞をきっかけとして、ピアニストとして活動をされているようです。

その中で、中村紘子さん、内田光子さん、小山実稚恵さんに関しては、日本国内だけでなく世界を舞台に活躍をされています。

中村紘子さんや小山実稚恵さんは、ショパンコンクールの審査員としても活躍されていますし、内田光子さんは、シューマン・モーツァルト・シューベルトの演奏に関しては世界的に評価が高いピアニストで、日本国内でコンサートが行われる時には、チケットが即完売してしまうという、ものすごい人気ぶりです。

また、コンクールには色々なエピソ-ドも残されています。

例えば、マルタ・アルゲリッチは優勝の後、今度はショパンコンクールの審査員になりますが、その時に参加していたイーヴォ・ポゴレリチというピアニストが本選に進めなかった事に異議を唱え、「彼は天才」と言って審査員を辞退しました。しかし別の審査員は、彼が1次予選を通過したことに抗議して審査員を辞任しています。このピアニストは、今でも個性的な演奏で人気のあるピアニストです。

同じように、アシュケナージが第2位という結果に猛抗議した審査員のミケランジェリは、審査結果のサインを拒否し、それ以降のショパンコンクールの審査員を拒否しました。

また、日本人として初出場した原智恵子さんが入賞しなかった事に聴衆が激怒して、警官が出動する程の騒ぎとなったこともあるようです。勿論、審査結果を取り消すことは無かったのですが、特別に賞を送って事態が鎮静したという話もあります。

このようなエピソードを聞きますと、世界一流のピアニストや教授陣達の間でも、音楽については意見が分かれますので、いかに音楽がある意味個人の好みによるものなのかがわかりますね。

今年のショパンコンクールでは、どんなエピソードが生まれるのでしょうか。

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