(この記事は、2020年12月21日に配信しました第312号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、前回の続きで、ベートーヴェンの難聴と作品作りについてのお話です。前回の記事は、以下で読むことができます。
ベートーヴェンは、難聴のあらゆる治療法を試しますが、良くなるどころか日に日に悪化していき、遂に自殺を考えるまで追い詰められます。
「僕は絶望し、自殺することすら考えた。しかし、芸術への思いがそれを引き止めた。僕は、自分に課せられている使命を果たすまで、この世を去ることはできない」と、弟に手紙を書いています。
当時、「自由・平等・博愛」を掲げたフランス革命を指揮していたナポレオンの姿から刺激を受け、尊敬もしていたそうです。ナポレオンに捧げるため、「交響曲第3番英雄」を書き、彼の代表作の一つになりました。その後、「傑作の森」と言われる奇跡の10年を迎えます。
絶望から這い上がって、傑作を生み出していくという不屈の精神が、ベートーヴェンの凄いところですね。
ピアニストの清塚さんも、「音楽家として、難聴は命を取られた事に近い。ベートーヴェンは、難聴になるまで、むしろピアニストとしての方が売れていた。それが難聴でピアニストは無理となり、作曲家として生きていくという別の道を見つけたことで大作を生み出している」と話していました。
次は、ベートーヴェンとその前の時代に活躍したモーツァルトの音楽の比較です。
「モーツァルトは、貴族のパーティ─や食事に合うような、軽い感じの音楽を作曲していて…」と、清塚さんがモーツァルトのトルコ行進曲を演奏し、ゲストの方も、「軽い音楽ですよね」「聴きながらお食事できますよね」と話していました。次に、清塚さんがベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」の冒頭部分を弾き出した途端、ゲストの方々が苦笑して、「食欲がわかないですよね」「暗いですよね」と口々に話していました。
「ベートーヴェンは、食事に合うような音楽を書く気はさらさらなくて、広い劇場で多くの人々に自分のストレスや不安、苦悩などを込めた音楽を聴いてほしいと思っていたので、モーツァルトとは音楽作りのコンセプトが全然違うんですよね」と話していました。
ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」も取り上げていて、第1楽章の冒頭部分を弾きながら、「タタタタという一つの小さなパーツであるリズムだけで、ほぼ作られている曲で、このリズム独特の切迫感が必ず音楽の中のどこかに鳴っている状態の音楽です。このような手法はベートーヴェンが編み出したもので、ベートーヴェン以降、この手法を用いて(1つのパーツで)お城のような音楽を作った作曲家は現れていない」と話しますと、「怖いおじさんというイメージから、魅力的な人に見えてきましたよね」「革命児ですよね」と、ゲストの驚きの声が上がっていました。
交響曲第6番「田園」やベートーヴェン自身が最高の出来と評したピアノソナタ第23番「熱情」など、傑作を次々と生み出した時に使用していた補聴器なども紹介されていました。ヘッドセット型から、大きいものは、マグカップよりもはるかに大きなラッパが付いたサイズのものまでありました。難聴の初期のものは小さく、難聴が酷くなるにつれてラッパ部分のサイズは大きくなっていきました。大きなサイズのものは、手に持って仲間の声を聴くには重いので、ピアノの上に置いて使用していたそうです。
ベートーヴェンが難聴になって引きこもっていたハイリゲンシュタットの家は、現在「ベートーヴェン ミュージアム」になっていますが、そこにはベートーヴェンが使用していたボックス付きのピアノがあります。茶色いグランドピアノで、蓋が閉められピアノの弦は全く見えませんが、譜面台がある場所の一部が切り取られていて、そこにボックスが付けられています。作曲や演奏をする時は、このボックスに頭を入れて音を聴いていたのだそうです。難聴を受け入れてからのベートーヴェンは、このような涙ぐましい努力をしていました。
ベートーヴェンが40代半ばになると、音はほとんど聞こえなくなってしまいます。会話も困難となり、コミュニケーション手段として筆談をしていました。その筆談帳が、400冊以上もありました。話すことはできたので、相手の質問のみ書かれています。家政婦に頼んだ買い物の金額など、買った品物や価格などが事細かに書かれていました。
ベートーヴェンの曲を分析をすると、難聴の進行に合わせて、高音部の使用頻度が減ってきて、聴き取りやすい低音と中音を使うようになっていきます。
耳が聞こえなくても絶対音感があれば、作曲は可能ですが、ベートーヴェンは当時としては珍しく、楽譜に細かく具体的な演奏の指示を書き込み、意図する曲のイメージを演奏者に正確に伝えていました。そして、本当に楽譜通りに演奏されているか自分で確かめていたのです。音楽は自分の感情を表現するもので、確実に人々に届けたいと思っていたのでしょう。
50歳で黄疸になり、3ヵ月も寝込んでしまいます。毎日ワインを1本は飲んでいたそうで、それが原因でアルコール性肝硬変になってしまったと考えられます。音楽家として致命的な難聴に苦しみながら作曲活動をしていたわけですから、飲まずにはいられない心境だったのでしょう。
黄疸は、当時の医学では治せない病気で、死刑宣告を受けたようなものですが、その頃、王侯貴族が復権しつつあり、自由と平等を求める市民が、また各地で弾圧にさらされていました。
自分に残された時間はそんなになく、自分が思っていた「世の中は、こうあってほしい。世界は、こうあるべきだ」というメッセージを、最後に形にして、音楽を市民の元に取り戻すとばかりに、交響曲第9番の作曲に着手します。ドイツの詩人シラーが書いた「歓喜に寄せて」の一節「時の流れが厳しく分かつものを、喜びの神秘的な力が再び結ぶ」を使用しています。
このドイツ語の「喜び」という意味の「フライデ」のよく似た綴りで「フライハイト」という言葉があり、自由という意味なのだそうです。シラーは、もともと「フライハイト」(自由)という言葉を使用したかったそうですが、当時の政府の検閲を恐れて「喜び」という言葉に替えたのだそうです。そのため、このシラーの一説は、自由の力が身分や階級の差をなくすという意味になり、ベートーヴェンが第九に込めた思いとなります。
この思いを人々に届けるため、交響曲に合唱を取り入れるという大変画期的な作品となりました。人類の理想を、音だけでなく具体的な言葉を伴うものにしたのです。
しかし、この合唱の練習が始まると、歌手たちは不満を爆発させ、「あなたの作る歌は、発声器官への拷問だ」と言い始めます。第九を聴いてお分かりかもしれませんが、ソプラノの高音がものすごく高く、悲鳴に近いもので、しかもずっと長く伸ばさなければなりません。真ん中のドからドレミ…と数えてラがありますが、その1オクターブ高いラを、8小節くらい伸ばすのですから、不満が出るのは当たり前ですね。
この部分の歌詞は「全世界に」という部分にあたり、自由の力が身分や階級の差をなくし、全世界に広がってほしいというメッセージを伝えるため、人間の肉体の限界に挑戦している部分でもあり、また難聴だからこそ理想通りに書くことができた音とも言えます。
耳が完全に聴こえなくなり、心に耳を傾けて高音の使用が復活しますが、それがベートーヴェンの音楽を豊かにし、不朽の名作を生み出していったのです。
ゲストの方々は、「年末になると、なんで第九ばっかりやっているのかと疑問に思っていたけど、今日初めて意味が分かった」「中学生の時に第九を歌ったことがあり、貧血を起こしていた人が何人もいて、なんて体力のいる歌なんだろうと思っていた」と話していました。
ピアニストの清塚さんも、「第九は、好きとか嫌いとかを言ってはいけない曲で、音楽家というより人類の到達点の一つとも言える」と話していて、ゲストの方も共感されていました。
第九の聴きどころについて、有名な歌の部分はサビが出てくるまでに、約1時間かかるという話をされていて、ゲストの方々は、「え~、そうなんだ。じゃあ我々はサビから聴いているわけですね。じゃあ、第九の最初の方を聴いたら第九だってわからないわけですね」「サビから始まるものだと思っていた」と口々に話していました。
清塚さんが演奏を交えながら、「有名な歌のメロディーも、ちょっと出てきては消えて、高さが変わって出てきてと、ずっとお預けを食らっていて、じらされた上に、フレーズの最初の方で終わってしまったリして、来る?来ない?という状態があり、その後暗くなって、いよいよ来るぞ来るぞという状態になって、最後のフリの後に間髪入れずに有名な歌の部分が出てきて鳥肌が立つので、1時間の前振りに耐えた後の、このオチは最高」と話していました。
そして、「音楽家にとって、ベートーヴェンは尊敬を超えてある種コンプレックスを感じるもので、ずっとベートーヴェンが付きまとっていて、何かを生み出しても、ベートーヴェンがあの作品でやっているよねと、何をやってもベートーヴェンにやられてしまう。ベートーヴェンがいなきゃよかったのにとさえ思う(笑)。でも、彼が切り開いてくれて、音楽の時代を100年は早めてくれたおかげで、我々はコンサートが出来ているので感謝したい」と話して、番組は終わりました。
作曲家の人となりを深く知ることで、その音楽も深く知ることができますから、とても良いきっかけになりました。
(この記事は、2020年12月7日に配信しました第311号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、ベートーヴェンの難聴と作品作りについてのお話です。
今年は、クラシック音楽の世界では、ベートーヴェン生誕250年のメモリアルイヤーです。本来なら、ベートーヴェンの話題で盛り上るはずですが、新型コロナウイルスの影響で、コンサートどころか外出自粛が続きました。しかし、ここへ来て Go To イベントの効果もあるのか、コンサートも少しずつ開催されるようになり、メモリアルイヤーにちなんだ話題も聞かれるようになってきました。
ベートーヴェンは、偉大な音楽家の一人です。あの怖そうな肖像画、ソソソ♭ミーという大変印象的なメロディーの「運命」、ピアノ曲「エリーゼのために」、難聴を乗り越えて作品を生み出した作曲家など、誰もが知っている事ばかりで、いかに世の中に広く知られているのかがわかります。
先日は、テレビで「偉人たちの健康診断 ベートーヴェン 第9誕生!難聴との闘い」という番組が放送されていました。生徒さんの中にも、ご覧になった方がおられました。
ベートーヴェンを難聴というキーワードから健康診断していく番組で、関根勤さん、はいだしょうこさん、カンニング竹山さん、ピアニストの清塚信也さんが出演していました。
最初に、名曲「エリーゼのために」について、演奏を交えながら清塚さんが解説されました。エリーゼは、本当はテレーゼという名前で、ベートーヴェンのピアノの弟子であり、年下の貴族の娘です。「エリーゼのために」は、彼女に捧げた恋文のような曲だったのに、テレーゼの死後、いつの間にか出版されてしまった事を話すと、ゲストの皆さんは、「ラブレターを後に誰かが勝手に出版しちゃったって事でしょ?」と、驚きの声を上げていました。
ベートーヴェンは、1770年にドイツの宮廷音楽家の家に生まれました。ベートーヴェンの生家があるドイツのボンでは、街のいたるところでベートーヴェンのグッズが売られ、信号機も青信号にベートーヴェンの顔がデザインされています。ベートーヴェンの生家は、現在ベートーヴェンハウスという博物館になっています。
ベートーヴェンは、宮廷音楽家の父から音楽の英才教育を受けました。7歳で演奏会を開くほどの腕前で、番組ではその様子を描いた絵が紹介されていました。貴族たちの前で、ピアノの両脇に燭台を乗せて、まだ小さいため床に足が届かず、椅子にちょこんと座りピアノを弾いている姿は、なんとも可愛らしいものです。
12歳の時には自ら曲を作り、13歳で宮廷オルガニストになりました。既に立派な音楽家ですが、いざ宮廷音楽家として仕事を始めますと、息が詰まるようなところだったようです。当時の宮廷音楽家は、命じられるがままに作曲して演奏するのが仕事で、身分も低く召使として扱われていました。
音楽は、宮廷生活を彩るためのもので、1回聴いたら終わりという使い捨てだったそうです。音楽も音楽家も使い捨てで、代りはいくらでもいるという伝統の中で苦しめられた一人が、ベートーヴェンの父ヨハンでした。声楽家として活躍していた宮廷を追われて、酒におぼれていった姿をベートーヴェンは身近に見ていました。
1789年、ベートーヴェンが18歳のときにフランス革命が起こります。富と権力を独占して優雅に暮らしていた貴族の陰で、苦しい生活をしてきた貧しい市民が立ち上がったのです。「全ての人は自由で平等であるべき。国、社会、富を貧しい人の手に取り戻す」というフランス革命の理念は、ベートーヴェンにも大きな影響を与えました。
親友に宛てた手紙には、「僕の芸術は、僕と同じ貧しい人々の運命の改善に捧げられなければならない」と記しています。貴族のための音楽から、市民のための音楽を作ることを決意し、21歳の時に音楽の都ウィーンへと向かいます。
24歳の時にウィーンの音楽出版社と結んだ契約書が残されていますが、楽譜を出版して収入を得るという当時ではとても斬新な方法を取りました。多数の出版社に楽譜を持っていき、例えば1社に半年だけ出版の権利を与え、その後は他の出版社に持っていき収入を得ることで、音楽家は自立できないという慣習を変えたのです。現在では、ごく一般的に行われている事ですが、遡ればベートーヴェンが元祖なのかもしれません。
演奏会の在り方にも、革命を起こします。当時の演奏会のポスターを見ますと、料金表が書かれていますが、最高で約5万円、一番安い価格で約3,500円と、座席によって8段階もの価格差を付けて販売していました。極端に安い席もたくさん用意されていたそうで、お金を払えば身分に関係なく演奏が聴けるようにしたのです。これも、現在では当たり前ですが、当時は貴族のための音楽ですから、演奏会は宮廷で行われチケットも不要でした。ベートーヴェンは、自分の音楽を広く一般市民に聴いてもらいたいと思い、音楽はみんなで聴けるものだという流れを作ったのです。
この革命の精神は、音楽の創作にも表れます。例えばピアノソナタ「悲愴」という作品は、ベートーヴェン自身が付けた曲名ですが、フランス語の本来の意味では「激情」になるのだそうです。ベートーヴェンの3大ピアノソナタとして知られている作品で、弾いたことがある方もいらっしゃるかと思いますが、私も思い返すと、悲愴という言葉のイメージとは裏腹に、とても激しい感じの曲で違和感を感じていた覚えがあります。当時の一般的なソナタは、娯楽的な作品が多かったわけですが、この作品はベートーヴェンの激しい感情が色濃く表現された新しい音楽と言えます。宮廷で捕らわれの身となっていた音楽を、自由にしたいと思っていたのでしょう。
しかし、この頃から難聴に苦しみ始めます。友人への手紙に、「耳が一日中、ぶんぶんざわざわ言っている」「話し声は聞こえるのに、意味がさっぱり分からない」と書いています。難聴は、聞こえづらいとか、全く聞こえない症状だと思っていましたが、このような症状もある事を知り驚きました。
「僕は、もう何度も創造主を呪った。僕の体で最も大切な部分、聴覚がひどく衰えてしまったのだ。僕の耳のことは絶対に秘密にして、どんな人にも話さないでほしい」と、他の友人にも手紙を書いています。音楽に関わっている身としては、この心情は大変よくわかります。難聴を隠すために、一切の人付き合いを隠して、ハイリゲンシュタットという郊外の町に引きこもってしまいます。
ベートーヴェンは、なぜ難聴になってしまったのでしょうか。
近年、ウィーン大学病理学解剖学博物館の書庫に、ベートーヴェンの解剖結果の記録が残されていることが分かりました。ベートーヴェンが亡くなった翌日に、ベートーヴェンの自宅で解剖が行われたようです。
これまで難聴は、耳硬化症という耳の中の耳小骨が正しく動かなくなることで起きる病気と考えられていました。しかし、ベートーヴェンの解剖結果の記録には、耳小骨について書かれていません。
現在の難聴医療の専門家の意見では、高い音が聞こえづらくなると、子音が聴き取れなくなるため、例えば「あかさたな」と言っていても、全てが「あ」と聞こえてしまうのだそうです。音は聞こえるが言葉がわかりにくいというベートーヴェンの症状は、鼓膜のもっと内側にある内耳の病気だったと考えられ、現代医学では「若年発症型両側性感音難聴」という病気と疑われます。
40歳未満で発症する難聴で、日本では厚生労働省が難病指定していて、患者数は国内で約4,000人いると言われています。内耳が壊れる遺伝子を、先天的に持っていることが原因と明らかになっているそうです。現在では、人工内耳が開発されていますが、それ以前は有効な治療法がありませんでした。
次回に続きます。
(この記事は、2020年11月23日に配信しました第310号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回は、晩秋のピアノ教室の様子です。
秋も深まってきました。暖かい日もあれば、冬のような寒さの日もあり、寒暖の差が激しい今日この頃ですが、生徒さん方は、みな元気にレッスンにいらしています。
大人の生徒さんは、発表会も終わり、ほっとされている様子です。今は、ゆったりとマイペースでピアノを楽しんで弾かれているのではないでしょうか。
発表会後の最初のレッスンで、バッハの「アンナ・マグダレーナの音楽帳」の中の曲を持ってこられた生徒さんは、「譜読みの段階なので、音が合っているのか見てほしい」「どうも、この箇所が変な気がする」とおっしゃっていました。
「ここは、2拍ずつ調性が変わっている部分なんですよね。その瞬間だけ取り出すと、少し変に感じるかもしれませんが、前から音楽の流れを聴くと、良いところなんですよね。ちょっと弾いてみますね」とお話し、見本としてその曲を全部弾いてみました。
すると、問題の箇所を弾いたとたん、「あ~っ」と感嘆の声を上げ、演奏が終わりますと「本当にきれいでしたね~」と笑顔でおっしゃっていました。
私もつい嬉しくなってしまい、「そうなんですよ。ここが一番変化に富んでいて、いいんですよね」と、お話しました。
その後、生徒さんにまた弾いていただきましたが、疑問に思っていた箇所も、納得された上での演奏に変化していきました。これから、フレーズを意識して、曲の作りの理解をより深め、細かい部分の表情を付けていく事になりそうです。
子供の生徒さん方(幼稚園生、小学生、中学生)は、発表会まで1ヵ月余りとなりました。
全員、用意万全という感じで、いつでも発表会が開けそうな状態です。
小さい生徒さんの中には、「もう、見なくても弾けるよ。弾いてあげようか~」とレッスン開始とともに弾き始める生徒さんもいて、なかなか頼もしい限りです。小さいながらも、自分で選んだ曲ですから、とても楽しく弾いているようです。
「この生徒さんには、この曲がピッタリ」と思い、難しい曲を紹介した生徒さんも、案の定すっかり曲を気に入られて、毎回レッスンが始まって少し経つと、「発表会の曲、まだ弾いていないよ~」と、早く弾きたいという気持ちが抑えられない様子です。
先日も、同じように「発表会の曲、まだ弾かないの~?」と言うので、「早く弾きたい? じゃあいいよ、弾いてみて」というと、「楽譜いらないよ。発表会みたいにしようよ」と言って、楽譜を私に預け、譜面台を倒して、間髪入れずに弾き始めました。
お母様も、「発表会の曲、とても良い曲ですね。とても気に入っているみたいで、家でも楽しそうに弾いています」とおっしゃっていましたが、その様子が伝わるような演奏をしていました。
演奏が終わり、「上手になったねえ。とっても良かったわよ。途中でちょっと早くなってしまったけれど、よくテンポを元に戻せたね。凄いっ!」とお話しますと、楽譜を見て「ここで速くなっちゃった」と自己分析を始めました。
「そうそう、ここは曲の最初と同じところだからね、同じ速さだと揃ってきれいだよね」とアドバイスしました。
ペダルの練習を始めた当初は、ペダルを踏む時に体が前傾に動いて、弾みをつけてペダルを踏んでしまったり、かかとが床から離れてしまっていましたが、見事に直っていて、とても自然な動きでペダルを踏めるようになっていました。
その後は、レッスンの前半で、少し苦戦していた曲を改めて弾いて、仕上げることができました。それでも「今日は、2曲しか終わらなかった」と少しがっかりした様子でしたが、「この曲は、左手が次々と変わってしまうから、ややこしくて難しい曲なのよ。でも、ちゃんと終わって凄いわ」と話してお別れをしました。
ピアノが家に来てからの上達ぶりは相変わらず目を見張るものがあり、これからの進歩も楽しみなところです。
次は、体験レッスンのお話です。
今年は、新型コロナウイルスの影響で、3月から5月末まで休講となり、これからピアノを始めようという方への体験レッスンも止まっていましたが、その反動もあるのか、夏あたりから体験レッスンにいらっしゃる方が増えてきました。
最近体験レッスンに来られた方は、70歳くらいに見えましたが、御年80歳でした。お子様が小さい頃に弾いていたピアノが家にあって、弾いてみたいという事でいらっしゃいました。
ピアノ教室に行くのだから、ちょっとは弾けた方が良いと考えたそうで、1ヵ月前からお孫さんに音階の弾き方を教えてもらい練習してきたとおっしゃっていました。既に、とても熱心な様子が伝わってきます。
その音階を弾いていただきつつ、軽く基本的な説明をして、短い曲を早速弾いてみることにしました。80歳ともなりますと、なかなか手が思うように動かない方が多いのですが、かなりすらすらと弾いていてびっくりしました。
それでも、両手で弾くことは難しいようで、片方の音を伸ばしたまま、もう片方の音を連打するところでは、つられてしまい両手で連打してしまったり、止まってしまうこともありました。
「これは、だいぶ家で練習しないとね…」と、やる気満々な事をおっしゃっていました。
その後、入会いただきレッスンを開始していますが、連弾の曲を弾いて「いや~、いいですね」と、とても満足そうなお顔をされていて、楽しくレッスンが出来ているように感じます。
もう一人の方は、数年前から日本の美術大学で勉強している留学生です。当初の予定では、とっくに帰国しているはずが、コロナの影響で帰国が先延ばしになっています。それまでの間、ピアノに興味があるので弾いてみたいという事で、いらっしゃいました。
しかし、よくよく話を聞いてみますと、帰国後に結婚式をする予定で、お相手の方は昨年既に帰国されていて、待ってくれているのだそうです。
ご親戚など周りの方々が、「美術を勉強しているなら、同じ芸術系の音楽も出来るんじゃないの?」と思われているそうで、また、待っていてくれているお相手の方にも、結婚式でピアノ演奏のプレゼントをしたいという事で、体験レッスンにいらしたのだそうです。久しぶりに、ときめくような美しいお話を聞きました。
「弾きたいとおっしゃっている曲は、確かに原曲通りでは難しいと思いますが、音数を減らすなどして弾きやすくアレンジすれば、弾けるようになると思いますから一緒に頑張りましょう!」とお話しました。早速入会されて、来週からレッスンに来られることになっています。
今年も残り少なくなってきましたが、年末まで気を引き締めてレッスンを行おうと思います。
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