(この記事は、2023年12月18日に配信しました第387号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、12月6日に出版されたばかりの「指先から旅をする」という本のお話です。
たまたま何かふとした時に、この本が近々出版されることを知り、慌てて先行予約をして入手しました。なにしろ、大人気ピアニスト藤田真央さんの初エッセイという事ですから、大変注目度が高いのではないかと思います。本の帯にも、「Amazon演奏家・指揮者・楽器の本 第1位」というマークが大きく書かれていました。
木漏れ日の降り注ぐ森の中の小道で、藤田さんが無邪気にピアノを楽しそうに弾いている姿の描かれた表紙は、美しい風景を見ているかのような感じさえして、ついうっとりと見とれてしまいました。
演奏家の本といっても、ライターの方が演奏家を取材して書かれたものもありますが、この本は、「WEB別冊文藝春秋」に掲載されている連載のエッセイをまとめたもので、藤田さん自らが文字を綴ったものです。忙しい演奏活動の中で書かれたのかと思うと、それだけで驚嘆してしまいます。「WEB別冊文藝春秋」は、フリーで読めるのは前半の少しだけですし、今回の本は出版されたばかりで、これから読もうと楽しみにされている方もいらっしゃるかと思いますので、その楽しみを阻害しないように気を付けつつ、でも印象に残ったことなどを少し書いていきたいと思います。
この本は、2021年から23年までの2年間の記録をまとめたもので、260ページ以上ある本ですが、写真も多く掲載され、各項目ごとのお話は短く、インタビュー記事や対談のコーナーもありますので、すいすいと読み進めることができます。写真は、藤田さんの演奏会の写真や、街中でのスナップ写真など、いろいろなものが掲載されていますが、印象深かったのは、藤田さんが使用されている楽譜の写真です。リストの作品の楽譜なのですが、藤田さんの恩師である故・野島稔さんからのアドバイスも書き込まれています。ピアニストの使用している楽譜、しかも書き込みがされているものなんて滅多に見ることができませんので、必見かなと思いました。
故・野島稔さんは、日本を代表するピアニストで、東京音楽大学の学長も務めていました。高校3年生の時に日本音楽コンクール第1位を受賞、その後ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール第2位も受賞され、カーネギーホールでデビューコンサートを行いました。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールやエリーザベト王妃国際コンクール、仙台国際音楽コンクールなど数々の国際コンクールの審査員も務め、国際的に大変評価の高いピアニストです。平成25年度には、日本学術院賞も受賞されています。
野島先生とは、藤田さんが11歳の時に出会ったそうです。全日本学生音楽コンクールの小学生部門で、藤田さんが第1位を受賞された時に審査員をされていたのが野島先生でした。小学生の部を初めて審査したら、藤田さんに出会ったということですから、何かご縁があったのかもしれませんね。その後、野島さんは東京音大の学長となり、しばらくして藤田さんは東京音大の付属高校に入学、さらに同大学へ進学され、17歳くらいから野島先生の直接指導を受けるようになったそうです。そこで、「野島イズム」ともいうべきピアノ演奏への向き合い方や演奏法をたっぷりと学んだそうです。一音一音の響きを大切にすることやハーモニーへのこだわりは、野島先生から受け継いだものと書かれています。
野島先生とのレッスンの様子も描かれています。ピアニストがどんなレッスンを受けてきたのか、なかなか知ることができませんので大変興味深く読みました。いくつか、印象深い言葉を挙げておきます。
・ピアノは「弾く」のではなく、鍵盤を「押さえる」もの・左右それぞれの音の響きを合わせる
・弾き方は自由でよろしい、その代わり、あなたの理想とする音に近づけるよう努力しなさい
全ての意味は分かりませんが、でも、これらの言葉からストイックに真摯さを持ってピアノに向き合うという姿勢が見えてくる気がしました。以前、藤田さんが海外でのコンサートが増えていた時期に、「いろいろな経験を積んで、人間として見聞を深めたい」と話したそうです。この時の野島先生の答えが、大変驚きました。「音楽を学ぶ以上に、幸せなことなどあるのでしょうか。」世界各国で演奏活動をされてきたピアニストの発言は、大変重みがあるなあと感じました。藤田さんも、この言葉を心の大切な場所に刻み付けていて、折に触れてこの言葉や野島先生の声を思い出すでしょうと綴っていました。
全体を通して、藤田さんの感受性の豊かさと、語り口の丁寧さを感じました。そこがまた、藤田さん得意のモーツァルト作品の演奏にも通じるものがある気がします。
ちなみに、この「指先から旅をする」の愛蔵版の発売も決定したそうです。写真をたくさん見たい方や動画も見たいという方は、こちらの愛蔵版の方が良さそうですね。
(この記事は、2023年12月4日に配信しました第386号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、仲道郁代さんのピアノリサイタルのお話です。
先日、仲道郁代さんのピアノリサイタルに行ってきました。2000人以上の客席数がある、かなり大きなホールで行われました。通常、このくらい大きなホールで演奏会が行われる場合は、オーケストラとの協奏曲を弾く時が多く、そうでない場合は、もう少し小さいホールで行われることが多いように思います。海外の巨匠クラスや大人気の演奏家などでないと、数千人のお客さんを集めることは大変だと思いますから、仲道郁代さんの人気ぶりが伺えます。
会場の入り口に着く前から、大勢のお客さんが一斉にホールを目指して歩いていて、「人が多くて凄いね」と友人と話しながら会場に向かいました。コロナがきっかけだと思いますが、ホールスタッフがお客さんのチケットの半券をちぎって渡す「チケットもぎり」がなくなっています。今回も、チケットを見て確認するのみでしたので、スムーズにホールに入ることができました。開演10分前くらいに到着しましたが、既にかなりのお客さんが入っていましたし、「本日は満席のため…」という会場アナウンスも流れていて、やっぱり客席が埋まっていて人気なのだなあと改めて感じました。
リサイタルは、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」から始まりました。黒地にゴールドの柄の入ったドレスを着た仲道さんが登場し、自ら「月光」というタイトルについての解説を話してから演奏をされました。解説が終わってマイクを置いた瞬間に、すぐ演奏が始まりましたので、弾く前に呼吸を整えるとか、集中力を高めてからという行動が全くないように見えてビックリしました。おそらく、解説をしながら既に演奏モードに入っているのかなあと思いますが、リサイタルの全ての流れを、完全にご自分のベストなタイミングでコントロールされているようでした。
「月光」は、全楽章を一気に弾かれていたので、とてもまとまりのある演奏でしたし、キャリアを重ねてこられた深みを感じるもので、さすが日本を代表するピアニストだなあと思いまいした。仲道さんは、近年ベートーヴェンに力を入れて取り組まれていて、私も以前から興味を持っていました。と言うのも、仲道さんが30代くらいの時に、ベートーヴェン研究家の故・諸井誠先生から、徹底的な楽譜の読み方や解釈を教えていただいたそうで、それがピアニスト人生の大きなターニングポイントになったとインタビュー記事で答えていたからです。これほど思い入れのあるベートーヴェンの演奏を、プログラムの最初に聴くことができて、既に満足した気分になりました。
その後は、ベートーヴェンと同じくドイツ系の作曲家ブラームスの晩年の小品を、数曲弾かれました。ブラームスを語る時に、切っても切れないのがシューマン夫妻との関係性です。三角関係だったとか、ブラームスの片思いだったとかいろいろと言われていますが、仲道さんの解説では、深い友情というような内容でした。ロベルト・シューマンの評論でブラームスの知名度が上がり、そのロベルトの奥さんのクララは、天才少女として各国に演奏旅行してきた名ピアニストともなりますと、ブラームスから見ると、自分の名を世に紹介してくれた恩人と、憧れの先輩ピアニストと捉えていたかもしれません。そこに深い友情が芽生える事にも、納得できる気がします。リサイタルでは、小品集の中から数曲の演奏でしたが、あっという間に演奏が終わってしまいましたし、とても味わい深い演奏をされていましたので、続きの作品も聴きたくなってしまいました。
休憩後の後半は、ショパンの名作がずらっと並んでいるプログラムになりました。
舞台に登場した仲道さんは、淡いピンク色のオーガンジーのような軽やかな生地のドレスを纏って登場されました。まさかドレスのお召し替えをされるとは、客席の誰もが思っていなかったようですし、仲道さんに大変よくお似合いのドレスだったこともあるのか、登場した瞬間に「うわ~」という驚きとため息交じりの声が上がっていました。
マイクを持ち、「今日は、ピアノを弾かれている方がたくさんお見えになっているとお聞きしましたので、プログラムには載っていないのですが、ショパンの幻想即興曲を演奏します」と話され、嬉しいサプライズにひときわ大きな拍手が沸き起こっていました。ピアノを弾いている方にとっては、いつかは弾いてみたい憧れの曲ですが、このくらい大変有名な曲ともなりますと、意外にリサイタルの曲目に並ばないものです。
「曲の途中の明るい場面になるところで、どこか懐かしい感じがしますが、何故そのように感じるのか?」という仲道さんの問いかけに、「ああ、確かに何故だろう?」「調性の影響かしら」と思っていました。会場のあちこちで、「?」という雰囲気のささやき声などが上がり、「今、理由を聞きたい?」と物腰柔らかな話し方で、仲道さんが話しかけていて、会場の雰囲気が一気に明るく楽しく変化していきました。「何だろうと思いながら、聴いてみてください」というトークの後、間髪入れずに演奏が始まり、演奏に種明かしがありました。
この曲は、最初のメロディーの音の長さを引き延ばした形で作られていて、結局ずっと同じメロディーを聴いているから、懐かしく聴こえるというものでした。曲の背景だけではなく、楽曲分析のようなトークも、曲を理解して楽しむにはとても嬉しいものです。いつもとは違う視点を持って、演奏を聴かれたお客さんも多かったのではないかと思いました。
その後も、子犬のワルツやバラード第3番、第4番、英雄ポロネーズなど、ショパンの曲というと名前の挙がる曲が勢ぞろいでした。ショパンの作品を弾く時、とても華やかに、華麗に弾かれるピアニストがとても多い気がしますし、それがまた美しい音楽に聴こえる訳ですが、仲道さんの演奏は一味違っていました。華麗で上品ではあるのですが、どこか落ち着きというのか、影というのかを感じました。高音部の音が特に、キラキラした感じを抑えていたように感じました。ショパンがずっと病弱だったことや、革命が起きて家族や友人たちと離れて、ショパンのみがフランスに渡り、生涯祖国に帰ることができなかったこと、死後はせめて心臓のみを祖国ポーランドに持ち帰ってほしいと願ったこと(教会に安置されています)という、仲道さんのトークを踏まえて聴きますと、「なるほど」と納得するような演奏でした。
また、仲道さんは、以前から作曲家が当時使っていたフォルテピアノなどの古楽器を用いたリサイタルも行っています。ショパンが活躍をしていた時は、ピアノという楽器がほぼ完成していたのですが、何千人も入るような大きなホールで、大きな編成のオーケストラにも負けないような大音量で響かせる楽器ではなく、もっと繊細は響きなのです。当時のショパンが聴いていたであろう音の響きを、現代のピアノで表現していたのかなあと思います。
リサイタル全体を通して、仲道さんのトークに「何故、○○なのか?」というフレーズが何回も使われていて、楽曲分析や時代背景、作曲家の事、当時の演奏スタイルなど、作品のあらゆる視点から作品を奥深く研究されている感じがして、さすが日本を代表する名ピアニストだなあと思いました。「ピアノというのは、ピアノに向かって音符が弾けるかどうかではありません」とインタビュー記事でも答えていて、とても戒めにもなりましたし、「本気で曲を解釈し、自分が納得するくらい丁寧に曲と向き合ってください」というアドバイスも、とても重みのある言葉で心に刺さりました。生徒さん方にも、折を見て共有していけたらと思いました。
(この記事は、2023年11月20日に配信しました第385号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、食通な音楽家たちのお話です。
だいぶ秋が深まってきました。街中でも紅葉している木々を見かけるようになってきました。11月なのに気温が25度を超えて、100年ぶりの夏日と報道されたかと思うと、かなり冷え込んで「暖房のスイッチを入れちゃいました」とお話された生徒さんもいらっしゃいました。寒暖差が大きいので、少し体調を崩してしまった生徒さんもいて、心配しているところです。
今回は、「秋と言えば…」という事で、グルメと音楽について取り上げようと思います。
ピアノのレッスンでは、生徒さん方に練習している曲の上達をお手伝いしていますが、それだけではなく、曲の時代背景や作られた経緯、楽譜について、作曲家の人となりなど、様々な角度から曲の理解を深めたり、ピアノや音楽にもっと興味を持って楽しんでいただけるようなお話をしています。クラシック音楽の作曲家は、かなり昔の時代の異国の人達なので、あまりリアルに感じられないところもあると思います。それが、ちょっとしたエピソードを知ることで、生きている時代は違えど、同じ人間だと感じられて、親近感さえ感じてしまうのですから面白いものです。
「おとなの週末Web」に、先人たちの食への情熱ぶりを綴った歴史グルメ・エッセイ「美食・大食家びっくり事典」が掲載されていましたので、読んでみました。
先人たちを扱っていますので、様々なジャンルで活躍をした人々が登場しますが、その中に作曲家たちも当然ですが登場します。
シュットという作曲家は、作曲で得た収入を何に使ったかというと、自分専用のパン工場を作ってしまったそうです。それだけではなく、次は畑を作って野菜を育て、その次は牧場を作って家畜を飼って、とうとうマスが釣れる川まで敷地にしたそうです。また、開発したポタージュスープは、パリの食通たちにも人気だったそうです。食へのこだわりが凄いですね。
幼少期から素晴らしい才能を開花させていた神童モーツァルトは、華やかなイメージがあると思いますが、下ネタ好きの少年の心を持ち続けていたような人柄でした。ある伝記作家は、モーツァルトの事を、地味で気弱な男であったと書き記したそうです。結構意外な感じがしますね。でも、食事中はひたすら黙々と目玉焼きを6個食べるだけだったり、スープも好物だったそうですが、やはりひたすら黙々とすすっていたそうですから、華やかさとは真逆の性格の持ち主という気もします。先程のシュットのあくなき探求心という食へのこだわりとは、だいぶ異なる食へのこだわりですね。
グルメな音楽家と言うと、最初に名前が挙がる人は、ロッシーニではないでしょうか。フランス料理のメインメニューにも登場する「牛フィレ肉のロッシーニ風」という、フォアグラとトリュフを組み合わせた料理で大変有名な音楽家です。次々と大ヒットのオペラを発表して、32歳の時に「フランス国王の第一作曲家」という称号と終身年金を得て、さっさと音楽家を引退して、好きだった食への道へ進んだ音楽家です。ロッシーニは、音楽と料理の基本が同じであると話したり、自分の結婚披露宴で、料理女を妻にすることは一石二鳥というような趣旨の話をしたりと、いかに食との関りが深いのかを想像させる話ですね。
難聴にも負けず、次々と名曲を生み出したベートーヴェンは、料理についてはだいぶ苦労をしたようです。当時の食通であるルプーという人が料理本を出版した時に、ベートーヴェンに進呈しているのですが、そこにはベートーヴェンの手料理を食べたら食中毒で半殺しになったというような内容が走り書きで残されているのです。どのような料理を作って提供したのかわからないのですが、非常に危ない事を引き起こしてしまっていたようです。ちなみに、ルプーは、「きみは、シンフォニーを作るほうが、うまい料理を作るよりはるかに易しいと、素直に認めたまえ」と続けて書かれていて、ベートーヴェンの作曲家としての才能を賛辞しつつ、料理を作ってご馳走することを、やんわりと拒否している所が興味深いところです。
「美しき水車小屋の娘」や「魔王」など、ドイツ歌曲などでも有名なシューベルトは、裕福な家庭ではなかったので、お金には大変困っていた作曲家です。一説には、作曲する五線紙を買うお金もなく、裕福な友人たちからもらっていたという話もあるくらいです。それでも、時たまお金が手に入ると、得意料理である「グーラシュ」というスープを作って、友人たちに振舞っていたそうです。グーラシュは、ハンガリーの伝統的なスープですが、ドイツやオーストリアなどにもあるようで、見た目はビーフシチューに似ていますが、パプリカパウダーを使用している所が特徴的なようです。シューベルトは、料理の最後に仔牛の肝臓と腎臓を入れて、コクを出していたそうです。シューベルトの作曲する音楽の様に、派手さはないけれど、奥深さを追求した結果なのかもしれません。
フランス音楽の大家ドビュッシーは、デザート作りが得意で、洋酒を使ったクリームを詰めた焼きリンゴを披露しているそうで、「何となくドビュッシーらしい」と、このエッセイに書かれています。美しいものや繊細なものが大好きだった音楽家らしいデザートで、確かにドビュッシーらしいと言えるかもしれません。
短いエッセイで、気軽にあっという間に読めてしまいますので、面白さ満点という謳い文句にも納得という感じがします。もう30話を超えているようですし、今後もクラシックの音楽家たちが取り上げられるかもしれませんから、目が離せませんね。
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