(この記事は、第242号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、ピアノの巨匠リヒテルのお話です。

カンフー映画などで有名な俳優ブルース・リーをこよなく愛すピアノの巨匠スヴャトスラフ・リヒテルは、旧ソビエト連邦出身のピアニストです。

現在でも、リヒテルを超えるピアニストは現れていないと言われる天才で、当時アメリカと旧ソ連の間では冷戦が続いていましたが、鉄のカーテンの向こうにいる幻のピアニストと呼ばれていました。

リヒテルは、1915年にウクライナで生まれました。お父さんは、ドイツ人のピアニストでした。

リヒテルがピアノを弾き始めたのは9歳の頃ですが、練習方法が独特だったようです。

音階練習などは一度もやらず、基礎と呼ばれるものは何もやりませんでした。

では、何から始めたのかというと、まずはショパンのノクターン第1番、次にショパンの練習曲ホ短調だったそうです。

通常、ピアノを始める時は、バイエルの様な初心者用の練習曲を弾き、チェルニーの100番練習曲、30番練習曲、40番練習曲、50番練習曲を全曲弾いてから、やっとショパンの練習曲に取り掛かれるものです。

音楽大学のピアノ科の入学試験に出てくるショパンの練習曲を、ピアノを習い始めたばかりでいきなり弾くというのは、私も聴いたことが無く、やはり天才にしか出来ない技だと思います。

22歳でモスクワ音楽院に入学し、当時名教師と呼ばれていたネイガウスに師事します。

ネイガウス先生とクラス全員の前でリストの曲を4度目に弾いた時、先生から「もう言う事はない」と言われたそうです。

世界最高峰の音楽学校のピアノレッスンで、名教師からそのような事を言われるなんて、これもまた天才としか言えないエピソードです。

普通なら順調にキャリアを積み上げていけるはずですが、当時の旧ソ連はスターリンが粛清を行っており、ドイツ人だったリヒテルのお父さんはスパイ容疑で銃殺刑となり、リヒテル自身も長い間、国家から監視されていました。

リヒテルの演奏には、圧倒的な迫力が感じられますが、そのエネルギーの源の一つは、この辛い経験だったのかもしれません。

1960年にアメリカのカーネギーホールでリサイタルを行いますが、リヒテルの演奏は世界に衝撃を与え、伝説のピアニストと呼ばれました。

初来日は、1970年の大阪万博が開催された年で、リヒテルが55歳の時でした。新聞には、「幻のピアニスト リヒテルが来た」と大きく掲載され、多くの聴衆がリサイタルに押しかけました。その後、8回も日本を訪れるほどの親日家になったそうです。

8回の来日で訪れた都市は、62都市となり、リサイタル数は162回にもなりました。

私も学生時代に聴きに行きましたが、コンサートのチケットを買うのがとにかく大変でした。

当時は、チケット売り場に電話を掛ける方法しかありませんが、とにかく電話がつながらず、やっとつながったのがチケット販売開始から1時間後で、既に5階席しか空いていませんでした。

それでも購入して、後輩と一緒に聴きに行きましたが、とにかく素晴らしいという言葉しか出てこない演奏で、感激した思い出があります。

リヒテルは、旧ソ連ではなかなか見ることができなかった外国映画が大好きで、ブルース・リー主演の映画が一番のお気に入りだったそうです。

リヒテルが来日した際にいつも通訳をしていた人は、映画のセリフ一つ一つまで通訳をしていたようです。

リヒテルは、「ブルース・リーは、肉体的に世界で一番美しい。筋肉の動きの美しさも顔も、あんな美しい人間はこの世にいない」と、すごく感激していました。

ある時、通訳の人が、リヒテルの演奏中の背中の動きに躍動感があり、美しく、まるでブルース・リーのようだとリヒテルに話したら、「あんな美しい男性と私を一緒にするな。ブルース・リーに悪い」と、随分と怒られたそうです。

他のエピソードもあります。

リヒテルは、小さい神社やお寺を訪ね歩いていたそうですが、その時口癖のように話していたのが、「厳か(おごそか)」という日本語で、母国にはそのような言葉がないと嘆いていたそうです。

日本の伝統文化も好きだったようで、茶会に参加して、茶室でコンサートも行っていました。

ドビュッシーの前奏曲第1巻の「沈める寺」を弾いている映像を見ましたが、まさに厳かな雰囲気で、会場と音楽が見事に一体となっていました。

「華美なものはいらない。余計な音は要らない。ピアニッシモを静かに演奏することが大事。大きな音を出すのは誰にでもできる。そぎ落とした芯の音が大切」とよく話していたそうです。日本の美意識である、「わび・さび」にも通じるものがあると感じました。

調律師の村上輝久さんは、フランスで行われた音楽祭でリヒテルと出会いました。

リヒテルは気難しいと聞いていましたが、彼の好みの音色がわからず、まずは基本に忠実に調律を行ったそうです。

本番で、偶然にも村上さんが大好きな曲を弾かれたそうですが、「あんなに感激したことはない。聴いていて涙が出た」と話していました。

リヒテルに、「ピアノはどうでしたか?」と聞いたところ、「良かったよ。でも私にはちょっと易しすぎたかもしれない」と感想を話されたそうです。

易しすぎたという事は、もう少し鍵盤が重い方がよいのかと想像し、翌日のコンサートでは、鍵盤の下にある0.2ミリの紙を抜いて、タッチを重くしたそうです。

翌日のコンサートでは、終了後にリヒテルがすぐに村上さんをハグして、「ありがとう。よかった、よかった」と物凄く感激してくれたのだそうです。

リヒテルは生前、「悪いピアノは、この世にない。演奏者が悪いんだ」「私は、決してピアノを選ばない。ピアノを選ぶのは、ピアニストにとって有害である。それは、心理的な重圧になるからだ。調律師やスタッフを信じている」と話していたそうです。

自分の演奏の出来を、ピアノのせいにしてしまう事がありますが、リヒテルのように謙虚な気持ちでピアノに向かわないといけないと痛感させられます。

リヒテルは、日本で多くのコンサートを行いましたが、調律師を目指す学生のために、無料でコンサートを開いていました。「母国には、調律師になるための学校がない。優秀な調律師を育てる学校があるなんて、日本は素晴らしい」と話していたそうです。

リヒテルのように、素晴らしくピアノを奏でるためには、どうしたらよいのでしょうか?

リヒテルに師事していたお弟子さんの話では、「ピアノを弾く時に、指を鍵盤にねじ込むように、鍵盤の下から指が出てくるようなイメージで弾くように」と話していたそうです。

浅いタッチではなく、深いタッチを心がけると、ほんの少しリヒテルに近づけるかもしれませんね。

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