(この記事は、第251号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、フジコ・ヘミングさんのお話です。

先日、ピアニストのフジコ・ヘミングさんを取り上げた映画を観てきました。雨が降る平日の朝一番の時間帯でしたが、ネット予約ができない映画館だったので、かなり早く着くように家を出ましたが、チケット売り場の前には既に10人くらい並んでいました。

ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコさんといえば、独特の雰囲気を持つピアニストですが、以前、大ブレイクのきっかけとなった半生を紹介したテレビ番組を偶然に見て、大変衝撃を受けました。あれから月日が経ち、映画化されるということで興味を持ったわけです。

ピアニストをしていたフジコさんのお母様は、東京芸術大学の前身である東京音楽学校の出身です。当時は、「荒城の月」で有名な滝廉太郎などが教鞭をとっていた時代です。その後、留学先のドイツでスウェーデン人のデザイナーと出会って結婚し、フジコさんが生まれました。

映画は、14歳の時に書いていた絵日記の回想シーンとともに、現在の日常生活に密着したドキュメンタリー映画となっていました。

御年80歳を超えるピアニストですが、現在でもマネージャーを付けずに自らスケジュール管理をしながら年間60ものコンサートをこなし、アメリカやヨーロッパ、アフリカ大陸にもコンサートに出かけているそうです。

密着シーンでは、相当ハードはスケジュールで、お疲れモードの姿も見えつつ、それでも、毎日4時間のピアノの練習を欠かさない姿が映し出されていました。

古いシャンデリアが優しく照らし出すパリの自宅の中は、フジコさんがコンサートなどで着ている衣装のような世界観の内装が施され、そこに、ラグのかかった小さ目のグランドピアノと伴奏者が使用するためのアップライトピアノが置かれ、壁一面にある大きな本棚には古本がびっしりと並べられていました。時代や国を超えた独特の雰囲気の自宅で、大好きな猫も3匹くつろいでいました。

それでも、キッチンには招き猫などの柄の生地が飾られていたり、日本の食器を使っているところが面白いです。

フジコさんは、パリだけでなく日本や他の国にも自宅を持っていますが、日本の家は、パリの家とは全く異なり驚くほど伝統的な日本の家屋でした。昔の職人が手をかけて作ったものに、味わいを感じているのでしょう。

フジコさんは、大の動物好きでもあり、日本に住んでいた時には、30匹ほどの猫と一緒に暮らしていたこともあったようです。

パリでは、猫の他に小犬も一緒に住んでいて、コンサートなどで自宅を離れる時には、友人に預けているそうです。コンサート後に、6時間かけて電車に乗って愛犬を迎えに行くシーンが流れていました。フジコさんの姿と声を聞いた犬が、遠くから全力疾走で駆けつけ、体をくねくねさせて尻尾を思いっきり振りながら、何回も何回もフジコさんに飛びかかるシーンでは、映画館の中で、あちこちから笑いと歓声が起こっていました。

街中で出会ったお散歩中の犬をずっと見ているシーンがあったり、動物愛護のためのコンサートを開催しているシーンもあり、動物への愛情が伝わってきました。

絵日記の回想シーンでは、当時の生活ぶりが紹介されていました。

フジコさんの独特の世界観は絵にも表れていますが、小さい頃からお母様の厳しいピアノの指導を受けつつ、食べ物の配給を取りに行ったり、家事の手伝いをして大忙しの日々を送っていた様子が描かれていました。ハーフであることで差別を受けた辛さも、インタビューの中で語っていました。

当時習っていた世界的に有名なレオニード・クロイツァーについても、絵と共に日記に書かれていました。クロイツァーは、ロシア出身のピアニスト兼指揮者で、ベルリン音楽大学の教授や、日本でも芸大の教授を務め、多くの日本人ピアニストを育てて日本の音楽界に大きな貢献をしました。現在でもクロイツァーとゆかりの深い芸大、国立音大、武蔵野音大の大学院ピアノ科を主席卒業した学生には、クロイツァーの功績を記念した賞が授与されています。

クロイツァーは来日した時、既に世界的に有名だったわけですが、当時10歳だったフジコさんのピアノを聴いて「これは凄い」と喜び、無償でピアノのレッスンを受けられるようになりました。既に相当な腕前だったのですね。

フジコさんがクロイツァーのレッスンについて語っていて、常に人が歌っているように弾くことを指導されていたそうです。機械的に指を動かす練習をさせられなくてラッキーだったとも話していました。

16歳の時に、中耳炎をこじらせて右耳の聴力を失いましたが、芸大に進学し、卒業後には、かねてより希望していたベルリン留学をすべくパスポート申請をするのですが、そこで国籍が無いことが発覚します。元々スウェーデン国籍を持っていたらしいのですが、一度も行ったことがなく抹消されてしまったようです。日本人パスポートもなかなか取得できず、28歳の時にようやく難民としてドイツに渡り、ベルリンに留学します。

指揮者のカラヤンやバーンスタイン、ピアニストのサンソン・フランソワやパウル・バドゥーラ=スコダにも認めら、いよいよ大きな舞台でのリサイタルに漕ぎつける目前で、風邪をこじらせて聴力を失うという不幸が起こります。致命的な出来事によって世界デビューが白紙となり、耳の治療をしながらピアノ指導者としての日々を送りました。

その後、左耳の聴力は40%くらい回復したものの、16歳の時に失った右耳の聴力はもちろん失ったままです。

お母様の死をきっかけに日本に帰国して、月日が流れ、そして、私がテレビで見たフジコさんの半生を紹介したテレビ番組に繋がるのです。この番組をきっかけに、CDデビューを果たし数百万枚の売り上げを達成して数々の賞も受賞し、カーネギーホールでのリサイタルも果たしました。現在では、コンサートのチケットが入手困難なほど、世界的にも大ブレイクしています。

フジコさんのこれまでの軌跡を知るだけでも、波乱万丈で驚くばかりですが、映画の中ではいろいろなシーンでフジコさんのピアノ演奏が流れるのも魅力的でした。バッハからモーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、ドビュッシーまで、様々な作曲家のピアノ曲を聴くことができますが、やはりフジコさんの代名詞とも言えるリスト作曲の「ラ・カンパネラ」がほぼ全曲流れていたのは印象的でした。

リストの作品は、音楽的な内容よりも超人的なテクニックの方に目が行きがちですが、「魂を込めて弾いている」と言うフジコさんの言葉通り、激動の半生を過ごしてきたからこそ奏でられる、奥深く味わい深い演奏に、とても引き付けられました。

生徒さんにも、この映画をお勧めしたいと思いました。

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