左手のピアニスト


2020年8月30日


(この記事は、2020年8月17日に配信しました第303号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、左手のピアニストのお話です。

先日、「こころの時代」というテレビ番組で、左手のピアニスト智内威雄さんを取り上げていました。

智内威雄さんは、海外でも個展を開く画家のお父様と、かつて劇団四季で活躍していたお母様の元で育ちました。小さい頃から、「美しいか、美しくないか」という教育方針で育てられ、味わい深いもの、いびつなものの中に美しさを見出せるかという事を、お父様が一緒に探してくれたそうです。

食器の欠けている部分に、生活の営みを想像し美しさを感じるなど、美しさは、常に自分で探していかなければならないという事なのでしょう。なかなかユニークで、芸術一家ならではという感じがします。

3歳でピアノを始め、音大付属の音楽教室でピアノの英才教育を受けましたが、その生活スタイルもまた一風変わっていました。

朝の3時に、家族全員で起きて、お母様が朝ご飯を作り始め、お父様は4時に絵を描き始めていたそうです。朝3時というと、夏でもまだ夜が明けていない時間ですから、早朝というよりも夜中に起きているような感じですが、毎日清々しく起床されていたそうです。朝食などを済ませ、4時半頃からにピアノの練習を始めていました。

「人と違うことをやりたければ、人とは違う時間を過ごしなさい」という教育だったのだそうです。

グレングールドというピアニストに憧れて、演奏のスピード感や超絶技巧に憧れて、ひだすら技術を磨く練習をしていたそうですが、小学5年生の時に学校でピアノを弾く機会があり、「自分が演奏して喜んでくれる人がいる」という事に気が付きます。

東京音大付属の高校に特待生で入学し、その後大学、ドイツにも留学をします。

コンクールでも結果を残せるようになり、ピアニストとしてやっていこうと思った25歳の時、演奏中に右手に違和感を覚えます。「局所性ジストニア」という病気で、今でも画一された治療法がありません。脳の誤作動で起こる病気で、現在でも、ピアニストやヴァイオリニストなどの演奏家で苦しんでいる人が何人もいます。

智内さんの場合、これまで難なく弾けていた個所が、段々と弾きにくくなり、そのような箇所が徐々に増えていったそうです。

その時は、練習不足が原因と思い、練習をどんどん増やしていきました。しかし、実際は練習してはいけない状況で、急速に悪化させてしまいます。

問題のある指を、他の指がかばって弾き、今度はその指が問題を起こすようになり、最終的には、ピアノ演奏の時だけでなく、日常生活にも支障が出てきます。髪の毛を洗うとき、通常は指先で洗うと思いますが、無意識のうちに指先が手の平の方にどんどん丸め込まれていき、気が付くと握りこぶしになってしまうのだそうです。

病気だと知った時には、自分の努力不足が原因ではないとわかり、少しほっとしますが、しかしそれからが大変でした。

1本の指をゆっくりと動かし、最小限の力でピアノを弾き、指先の感覚を研ぎ澄ますというリハビリを懸命に続けます。このリハビリは2年続き、日常生活に問題がないほどには回復しましたが、それでもピアノが弾けるようにはならず、逆に絶望感を味わうことになります。

そんな時、小学生の頃を思い出し、自分がピアノを弾きたいのは、人を喜ばせたいからだということに気づき、それなら他の手段もあるのではないかと考え始めます。

指揮や声楽など他の分野も探り始めますが、なかなか見つからず、そんなときに音大の恩師に呼び出され、スクリャービンやブラームスの左手のための作品を渡されます。

以前から左手だけで弾く音楽の存在は知っていたそうですが、片手しか使えない人が仕方なく弾いている分野で、両手に比べ半分くらいの魅力しかないのではないかと思っていたそうです。しかし、練習を始めてみると、左手だけのピアノ音楽は両手の音楽に比べてシンプルで、妙に迫ってくる感じがして驚いたそうです。

文章や言葉なども、たくさん書けば人に伝わるわけではなく、たくさんの言葉を使うよりもシンプルに伝えた方が、受け手がいろいろと想像することができるのと同じで、シンプルな分、音楽の行間を読ませる事ができ、場合によっては、両手の演奏よりもピアノの能力を引き出すことができると左手の音楽に新たな希望を感じるようになります。

「これまで、ピアノの勉強はたくさんしてきたけれど、ピアノが出す音にそんなに耳を傾けていなかったのかもしれない。ピアノの声みたいなものを、片手で弾くことになって初めて気が付いた。思ったよりも、たくさんピアノが語りかけてくれていたんだと気がついて驚いた」と話していました。

左手のピアノ曲は、第1次世界大戦の頃に多く作られ、戦争で右手を失ったピアニストのためにラヴェルやプロコフィエフなど有名な作曲家が、左手のためのピアノ曲を作曲し、当時 3000曲以上の左手のためのピアノ曲が書かれました。

戦争という絶望の中で生まれた左手の音楽にこそ、音楽の原石があると感じ、音楽の持っている強さや癒しを紹介していく事が、自分の使命なのではないかと思い始めます。主治医や先生には反対されますが、家族は、「素晴らしい。やるべきだ」と賛成してくれたそうです。

練習を始めてみますと、曲の途中で体や精神的にも疲れてしまい、かなり大変だったそうですが、右手のリハビリでの動きを左手に応用し、新しい演奏法を見つけていきます。そして、29歳の時に左手のピアニストとして、本格的にデビューすることになりました。

現在では、ピアニストとしての活動だけでなく、同じように左手だけでピアノを弾いている方々にレッスンも行っているそうです。

かつては超絶技巧のピアニストとして、国際コンクールにも入賞し将来を嘱望されていた智内さんですが、大きな挫折の後に、新たなピアノの世界を切り開いて進まれていく姿勢と、冷静かつ秘めた熱意にとても感動しました。

番組内で智内さんの演奏が少し流れていましたが、両手の音楽よりもすっきりとしていて、音楽の奥にあるメッセージがストレートに伝わってくる感じがしました。

コロナの影響でコンサートがなかなか開催されない状況ではありますが、再開された時には、生で聴いてみたいと思いました。

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