(この記事は、2022年9月5日に配信しました第354号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、音楽史の本についてのお話です。
音楽を専門に勉強する際には、楽器の演奏という実技と共に、ソルフェージュを学びます。楽器の演奏は、ピアノを専門とする場合は、当然ピアノの演奏になります。ソルフェージュでは、音楽のいろいろな決まり事を学んだり、音楽を聴きとって楽譜を書いたり、曲に伴奏を付けたり、曲をアレンジしたり、楽譜を見てすぐに歌う視唱力などを学びます(学校によって多少内容は変わります)。音大では、他にも副科として、声楽や専門以外の楽器のレッスンを受けたり、指揮の授業、音楽史の授業などがありました。
私の場合、音楽史については、専門とするピアノの歴史と、それ以前から広く使われていたチェンバロやオルガン(パイプオルガン)の歴史については学びましたが、それ以外の音楽史については、副読本がちょっとあったくらいで、特に授業もありませんでした。
音楽家の生い立ちなどの伝記は、個人的に興味があり、いろいろと本を読んで調べたり、実際にヨーロッパの現地へ足を運んだりしましたが、当時のヨーロッパ全体の社会的な情勢まではあまりわかっていませんでした。
そして先日、楽譜屋さんへ行った際に、「新編 音楽家の社会史」という本が目に付き買ってみました。「リアルな音楽史」という帯も付いていて、18~19世紀頃の音楽家たちがどのような社会の中で創作活動をし生きてきたのか、当時の社会と音楽の関わりについて書かれている本です。
「音楽で食べていくのは大変難しい」と昔からよく言われてきました。音大を1番の成績で卒業しても、プロになれるわけではなく、その上の大学院を首席で卒業しても、プロどころか大学で教えることもできない時代です。私が知っている限りでも、音大に通っていたピアノ科以外のあらゆる科の先輩、同期、後輩などを見回しても、今でもプロとして活躍しているのは、たったの2人です。
この本の第1章には、音楽家がステージに立つことの大変さが、とてもリアルに描かれています。現在、コンサートやリサイタルを行う際に最も苦労するのがチケットの販売です。しかし、19世紀のヨーロッパでも、同じような状況だったようです。神童と呼ばれたモーツァルトでさえ、コンサートの予約が1人しかなかったこともあったそうです。
当時、コンサートを開く際には下準備が必要で、コンサートの招待状をたくさん持って、数週間前から毎日朝から晩まで道路事情の悪い中を移動して、いろいろな家のサロンで演奏し、売り込まなければなりませんでした。そこで名前を売って、ある程度まとまった数のコンサートチケットを配布してもらうやり方です。しかし、演奏する家のサロンではお客さん扱いされず、他のお客さんとはロープで区切られていたそうです。当時の音楽家がどのような立ち位置だったのか、伺い知ることができます。
ショパンのように、サロンの演奏を通して裕福な階級のパトロンが付けば、サロンで人気者になるのですが、そのような後ろ盾を得られず、友人たちなどの援助がない音楽家たちが、当時はたくさんいたのだそうです。
演奏会場をお客さんで埋めるのは、無名の演奏家にとってはかなりの難関で、同じような音楽家の友人たちの協力を得て「さくら」になってもらったり、無料チケットをばらまくという事もあったそうです。場合によっては、ホールの3分の1くらいがタダ券だったこともあるそうです。お客さん集めの苦労は、昔も今もあまり変わらないのかもしれませんね。
ちなみに、「愛の夢第3番」や「ラ・カンパネラ」などでも有名なフランツ・リストだけは、当時大スターだったので別格だったそうですが、彼もまた違った意味で大変だったようです。午前中からお昼ごろまで、50人ほどがリストの宿泊しているホテルに面会に来るそうですが、それもリストの名声に群がるためで、お金目当てだったそうです。そんな人達の相手をした後、作曲活動などをしていたようです。
大スターであるリストは、拍手喝采を浴び成功している姿とは裏腹に、音楽家としての尊厳を保つことに疲れ、格差に苦しみ、次第にステージに立つことを拒むようになったそうです。
演奏会の最大のお客は貴族なのですが、その生活ぶりと当時の演奏会についても書かれていました。下層階級の労働者が、その日一日の仕事を得るために早朝から行列に並び、朝5時から夕方6時まで低賃金で働いている頃、貴族階級の女性は、もうすぐお昼という頃に起床し、午後2時頃から音楽や乗馬などの先生が次々と訪れて個人レッスンを受け、午後3、4時頃に昼食を取り、その後は馬車で友人の邸宅へ行き、夜になるとオペラやお芝居、舞踏会に足を運ぶのだそうです。そして深夜に帰宅したり、仮面舞踏会などがあると、翌日の早朝に帰宅する事もあったそうです。
同じ時代に生きていても、労働者と貴族はこんなにも生活ぶりが違うとは、驚きを通り越してしまいますね。
貴族の優雅な生活は、反感を持たれそうですが、当時は少し違っていて、労働者たちもそのような夜の楽しみを共有しようとしていました。庶民向けのホールが作られると、昼間は仕事をして、休息の時間だった夜が楽しみの時間となり、ダンスホールには人が殺到したそうです。それに合わせて、コンサートなども夜開催されるようになりますが、当時はまだ電気が無く、シャンデリアに何千本ものロウソクを灯すわけですが、そのロウソク代は演奏家が払うことになり、経費がかさんで大変だったそうです。ちょっと余談ですが、当時はロウソクに獣脂が多く使われており、臭いが酷かったそうです。お客さんも演奏家も大変だったのかもしれませんね。
大変なのは、これだけではなく、娯楽としての音楽が広く一般に広まると同時に、あらゆる人々を楽しませるために、演奏会自体の長さがどんどん長くなっていったそうです。この本の中には、実際に当時行われたコンサートのプログラムが書かれていますが、1回の演奏会で交響曲2曲、ピアノ協奏曲、ピアノソロの即興演奏、ミサ曲など計3時間以上ものプログラムが披露されていたようです。現在は、だいたい休憩時間を入れて2時間くらいですから、だいぶ長い演奏会だったようです。
この他にも、ジャーナリズムと音楽家との関係や、著作権についての話も書かれており、とても読み応えのある本でした。
音楽家たちの作品の素晴らしさだけでなく、生活の苦労や様々な当時の社会的な背景を深く知ることができますので、音楽の秋、読書の秋にふさわしい本かもしれません。
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