(この記事は、2023年3月6日に配信しました第367号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、ピアニストの藤田真央さんのお話です。
「情熱大陸」というテレビ番組で、藤田真央さんを特集していたので見てみました。
藤田真央さんは、20歳の時にチャイコフスキー国際コンクールで第2位に入賞し、昨年モーツァルトのピアノソナタ全曲演奏のアルバムを発売して世界デビューを果たしました。その時の記者会見では、「全部録音が撮り終わって聴いた時に、なんと美しいモーツァルトなんだろうと、自分でもあっけにとられて聴き入ってしまった」と、冗談を言っているのではなく真顔で話をしていて、自画自賛ではなく、本当に素直にそう感じたのだなあと思い、素直な人柄を感じました。
ルツェルン音楽祭では、カーネギーホールの総監督・芸術監督のクライブ・ギリンソンから、直々にリサイタルを依頼され、「本当に?」と驚いていましたが、それよりも、クライブ・ギリンソンに会った瞬間に「あ~っ!チャイコフスキーコンクールでもお会いしましたね」というリアクションの大きさの方がはるかにインパクトがあり、なんだか見ていて思わず笑ってしまいました。それと同時に、音楽祭本番後の立ち話で、あの世界最高峰の権威あるコンサートホールであるカーネギーホールでのリサイタルが決まるという事も、想像以上に簡単で驚きました。
番組では、昨年10月に銀座で行われたリサイタルのリハーサルの様子が放映されました。Tシャツ姿というラフな格好で丸眼鏡をかけた藤田真央さんが、モーツァルトのピアノソナタを弾いていましたが、テレビの画面越しでも素晴らしいとしか言いようのないモーツァルトの演奏が流れていました。
「指先は時に戯れるように、時に情感豊かに鍵盤を踊る」「プロには最も難しいと言われるモーツァルトを、伸びやかに弾きこなす力が藤田にはある」というナレーションにも納得です。そんな素晴らしい演奏のリハーサルの合間には、「なんか脇腹が痛いんだよね~。なんでだろう?今日来ているバンクシーの絵の呪いかしら。ははは」と、屈託のない笑顔で笑い飛ばしている所が、とても無邪気で、本番を控えているピリピリした緊張感を全く感じさせず、かえって大物ぶりを感じてしまいました。
それでも、いざ本番ということで楽屋から舞台へ向かう時には、さすがに少し緊張するのか、歩いている途中で、「最初のフレーズがわからなくなった。ソだっけ?ファだっけ?」と楽屋に引き返し、楽譜を見て確認して、フレーズを口ずさみながら再度舞台へ向かって歩き始めていました。そんな様子は、天才ピアニストといえども人間味を感じさせ、かえって親近感を感じさせるものです。
本番を終えて舞台から戻ってきた藤田さんは、演奏を振り返りつつ笑顔になり、「ひと呼吸置くところがあるんですよ。いつもだったら入っているタイミングなんですが、まだ入らないという、あの間の絶妙さが天才的だったなあ。うまかった」と、身振り手振りを交えつつ、やはり記者会見の時と同じような素直に感じている様子で話したかと思えば、すかさず「凡人だったら入っちゃう、ははは」と思いっきり笑っている様子もあり、モーツァルトの天真爛漫さと重なるような気さえしました。
その後、楽屋に戻って顔の汗をタオルで拭いているシーンが流れていましたが、「暑いとかの汗ではなく、焦りや恐怖の汗なんです」「本番、これだけ音があるので私も間違えます。間違えた瞬間に、交感神経がグワッ~っと作用して、時が止まったような感覚が強いんです。間違えというより、自分の思ったこの高さ(座っている時の頭上)で両手の音の響きが合わないとダメなんです。ただ、右手と左手を同じタイミングで音を出したから響きが合っているとかではなく、飛んでいる音の響きで、左右の手で出している音が混じり合わないといけないんです。それが演奏中は永遠に続くわけです。なので、ピアノを弾くって物凄いんです」と真剣な表情で語っていました。一般的な弾く音を間違えたと言うことではなく、理想の音と違っていたという間違えの事を話していたわけですね。ごく普通に話しているのですが、話の内容がレベルが高くて、凄いなあと思いました。
番組では、素顔の藤田真央さんも映し出していて、友人の結婚式で弾く結婚行進曲をリハーサルしている様子や、結婚式で瞳がうるんでいる様子、去年の春から住んでいるドイツのベルリンでの生活の様子も流れていました。もっぱら自炊をしているそうで、YouTubeで料理を学んで、唐揚げを作っていました。たっぷりの量を作るそうで、3食同じメニューでも気にしないようです。料理の時は、素手で食材を触ると何度洗っても手が気になるようで、手袋をしていました。上手においしそうな唐揚げを作って食べていましたが、ご飯と唐揚げだけという献立で、ある種のこだわりも感じました。
音を出すことが許されない日曜日も、部屋に置いてある消音のアップライトピアノで、ヘッドフォンをしてデスク用の椅子に座って、練習に明け暮れる姿も映していました。人気のピアニストと言えども、自由に24時間思いっきりピアノが弾けるわけでもないのですね。練習の合間に、ふとヘッドフォンを外したかと思えば、「可能なら、洗濯物を干してもらえませんか?」と急に番組スタッフさんにお願いをしてみたり、お茶目な一面ものぞかせていました。
その後、番組では、藤田さんの生い立ちも紹介していました。
1998年に東京で生まれ、お兄さんの影響もあり3歳でピアノを始めます。番組では、ご実家の様子も流れていました。お母様が、一番最初に真央さんのピアノの才能に気がつきスパルタ教育をされたそうで、時にはお母様と取っ組み合いの喧嘩をしたり、真央さんがピアノに傷を付けたこともあったそうです。でも、真央さん自身は、その時の記憶が全くないそうで、なんだかちょっと不思議な気さえします。
小学6年生の時に、全日本学生音楽コンクール小学校の部で優勝したのですが、その時の審査員であり、後の藤田さんの恩師となる野島稔さんが、その才能を見抜いたのだそうです。野島稔さんと言えば、圧倒的な表現力を持ち、1970年24歳の時にカーネギーホールでのリサイタルも行った大変有名なピアニストです。藤田さんはその後、東京音楽大学で学長だった野島さんのレッスンを受けています。その様子も、番組の中で紹介されていました。静かな雰囲気ではありますが、真摯に音楽に向き合うお二人の様子は、大変貴重な映像だと思いました。
一切の妥協を許さない故に、野島さんはコンサート活動を止めていましたが、それにも関わらず、練習に没頭する恩師の姿を藤田さんは目にしたことがあるそうです。3時間後に再びその場へ戻ると、3時間前に練習をしていた、ある箇所のたった1つの和音の弾き方をずっと練習していたのだそうです。その恩師の姿を見て、「音楽に対して贖罪(しょくざい)しているのではないかというくらいの気持ちの詰め方だった」と、藤田さんが敬意を持って話されていました。藤田さんのピアノ演奏に対するこだわりは、恩師からの教えも影響しているのかもしれません。
藤田さんが住まいを構えているベルリンでは、ジャズにも精通しているピアニストのキリル・ゲルシュタインに学んでいて、カーネギーホールでのコンサートに向けてのレッスンの様子も映していました。このシーンも、見ることができない貴重なものだと思います。ピアニストのキリル・ゲルシュタインは、藤田さんの演奏後に和やかな様子ではありますが単刀直入に、「ちょっと明確ではないね」と、そのものずばりの感想を話し、楽譜を見ながら立ち上がり、ピアノに向かいつつ、「作曲者が何を込めているのか、きみが何をしたいのか聴いているけれど…、ひとつ明らかな計算違いをしている」と大変レベルの高いレッスンへと進んでいきました。
ある箇所の左手のリズムについて、作曲者が心を病んだ夫を支えつつ、不安と孤独が見え隠れする不穏さを表現するためには、この拍に重さを少しかけた方がよいというアドバイスでした。また、「このフレーズで、不協和音を隠して弾いているから平凡な表現になってしまう」「ここが、君にとって軽いフレーズなら、この箇所は表現が逆だと思う」など、既に完成していると思うような藤田さんの演奏に対して、より良いものを引き出そうとする先生と、アドバイスを素直に受け止めて消化し、すぐさま自分の演奏に反映させて、より良いものを目指す藤田さんの様子を見て、決しておごらず、謙虚さを持ちながら、ひたすら理想とする将棋を指している藤井総太5冠との共通点さえ感じました。本当の天才とは、こういうものなのかもしれません。
藤田真央さんが番組の中で語っていた、「音楽って、仕事として捉えるのではなく、自分の人生として捉えたい。だから、あそこのホールでコンサートをやって、そのコンサートでもらったお金を他に費やすという事は絶対にしたくない。だから散財しないんです」「一音一音大事にして、生きるか死ぬかというように命を懸けてピアノを弾いている」というポリシーも、大変印象に残りました。
恩師と同じ24歳でカーネギーホールでのコンサートも終え、本当に世界一流のピアニストになった藤田真央さんが、今後どんな高みに向かっていくのか、目が離せないですね。
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