芸術の都パリ


2023年5月15日


(この記事は、2023年5月1日に配信しました第371号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、芸術の都パリのお話です。

「クラシックTV」というテレビ番組で、「アンミカさんと!芸術の都パリ」というタイトルのエピソードが放送されていたので見てみました。コロナの影響で、海外旅行へ行けない状況がしばらく続きましたが、このような番組で旅行へ行った気分に浸れたら嬉しいですね。

番組の司会者でもある、ピアニストの清塚信也さんが弾く「オー・シャンゼリゼ」の音楽から番組はスタートしました。もう一人の司会者である、歌手でモデルの鈴木愛理さんも、にこやかな笑顔で音楽に耳を傾け、「パリに行った気分!」と感想を話していました。番組のテーマがパリなので、パリと言えば誰もがイメージする音楽ですね。

番組のゲストは、パリコレのモデルをされていたアンミカさんで、パリコレのランウェイでのウォーキングを見ているかのような、きれいな歩き方で登場しました。

パリと言えば、「芸術の都パリ」という事で、音楽、美術、グルメ、ファッションなどが有名ですが、このような大都市になったきっかけは、フランス革命だったようです。「今では当たり前ですが、自由・平等というものは、この革命の時の人々のおかげですね」とアンミカさんがコメントされていて、司会者のお二人も頷いていました。この革命後、パリは人口が爆発的に増えて、新しいものが生まれていったという経緯があるのですね。

その中で、才能ある芸術家たちもパリに集まってきて、サロンで活躍をしていました。サロンは、芸術家たちが自分の才能を売り込む場でもあったのです。「サロンって、感化されたり刺激を受けて、切磋琢磨していった場でもあったんですかね」「サロンなくしては、その後の文化も生まれないものがいっぱいあったんじゃないかな。ハイクラスなホームパーティーとも言えるかな」「ホームパーティーと思うと、親近感が湧きますね」と、次々にコメントと笑いが飛び出していました。

このようなサロンを上手に利用していた音楽家として、ショパンの話題へと移りました。ショパンは、コンサートホールなどでの演奏は数えるほどしか行っておらず、サロンを一晩に何軒もはしごして生きていたのだそうです。ショパンと、ショパンのライバルであり親友でもあったリストが、サロンで弾いていた曲を番組で紹介していました。

ショパンの「ノクターン作品9-2」の演奏では、ピアニストの仲道郁代さんが、ショパンが当時愛していたプレイエル社のピアノで演奏していました。えんじ色っぽい木で作られたピアノで、ピアノ側面の金属の装飾や譜面台の透かし彫りがとても美しく、少し素朴な雰囲気のある音色が印象的です。清塚さんが、「ショパンの作品は、曲によっては大ホールで弾くと合っていないなあと思う事があり、もっと演奏者の近くで聴いてもらう音楽だなあと思う事が多々あります。繊細な強弱の違いとかを、堪能していただきたい」とピアニストならではのお話をされていました。ちなみに、この作品はショパンのパリでの生活を支えたマリーへ捧げられた音楽です。

また、リストの「セレナード」は、シューベルトの歌曲の作品をリストがピアノ曲に編曲したものですが、当時のサロンでは、ワインを飲みながら、また会話を楽しみながら思い思いに耳を傾けていたようです。ショパンがパリに来た当時、既にリストはサロンの大スターでした。ショパンは神経質な性格もあり、なかなか苦戦していたようですが、リストは、そんなショパンをいろいろと支援して、社交界にもデビューさせてあげたようです。ショパンの才能を高く評価していたのですね。

ショパンやリストは、19世紀の作曲家ですが、20世紀に入ってもサロンの文化は続きます。フォーレは、サロンの女性たちに旅費を出してもらったり、ラヴェルがローマ賞に応募して予選落ちした時には、サロンの女性たちが新聞の紙面で非難をして、炎上させたこともあったそうです。貴族や富裕層の芸術家たちだけで、芸術論をぶつけ合うようなサロンもあり、音楽家としては、その唯一のメンバーがドビュッシーでした。そのサロンでは、物事を断定的に捉えず、曖昧さなどを好んでいたそうで、ドビュッシーの作品作りにも大きな影響を与えました。確かに、ドビュッシーの音楽は、浮遊感やグラデーションのような雰囲気があるように思えます。

アンミカさんも、「眠気のような、けだるさのような、でも心地よいような」と例えていましたし、清塚さんは、「物事をはっきりと断定的に言わないけれど、でもしっかりとした背景や物語がある。ドビュッシーは、そういう事を音楽で表現する天才だと思う。そして、私たちが思うフランスらしい音楽というのは、こういう音楽を指すことが多い」とも話していました。

サロンに入れるような後ろ盾が無い芸術家や、サロンで求められる華やかさや堅苦しさを嫌う芸術家たちは、カフェやキャバレーへと向かいます。そこでピアノを弾いていたのが、サティです。異端児とも呼ばれたそうですが、ドビュッシーやラヴェルも影響を受けており、ドビュッシーはサティの「ジムノペディ」がとても気に入り、オーケストラ用に編曲したくらいです。

いろいろなジャンルの芸術家が集まると、コラボレーションも生まれるもので、1924年に上演されたバレエ「青列車」は、衣装デザインをガブリエル・シャネル、舞台担当をジャン・コクトー、音楽をダリウス・ミヨー、舞台の幕を描いたのはパブロ・ピカソと、ありえないくらいの豪華メンバーで作られています。若者のトレンドを描いたバレエで、番組でも映像が流れましたが、私達がイメージするバレエとは全く異なり、「こんなバレエは見たことがない!」というほどの斬新さで、大変すばらしいものでした。「今見ても、モダン!」と、アンミカさんが話すほどです。

新しいものを見せていくのが、当時のパリのトレンドであり、パリで初演や発表することはステータスでした。そして、熱心に見たり聴いてくれる有識者が集まっていて、芸術への愛が強いところがパリなのだそうです。

番組の最後には、清塚さんが、サティの「あなたが欲しい」をアレンジして、パリの空気感を表現しながら演奏していました。

久しぶりに、海外にいるかのような雰囲気を味わうことができ、また、パリで活躍した芸術家たちの事をいろいろと学べました。当時の芸術家たちが集っていたカフェなどは、まだお店が残っているようですし、パリへ行く機会があったら、是非訪れてみたいと思いました。

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