(この記事は、2023年12月4日に配信しました第386号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、仲道郁代さんのピアノリサイタルのお話です。

先日、仲道郁代さんのピアノリサイタルに行ってきました。2000人以上の客席数がある、かなり大きなホールで行われました。通常、このくらい大きなホールで演奏会が行われる場合は、オーケストラとの協奏曲を弾く時が多く、そうでない場合は、もう少し小さいホールで行われることが多いように思います。海外の巨匠クラスや大人気の演奏家などでないと、数千人のお客さんを集めることは大変だと思いますから、仲道郁代さんの人気ぶりが伺えます。

会場の入り口に着く前から、大勢のお客さんが一斉にホールを目指して歩いていて、「人が多くて凄いね」と友人と話しながら会場に向かいました。コロナがきっかけだと思いますが、ホールスタッフがお客さんのチケットの半券をちぎって渡す「チケットもぎり」がなくなっています。今回も、チケットを見て確認するのみでしたので、スムーズにホールに入ることができました。開演10分前くらいに到着しましたが、既にかなりのお客さんが入っていましたし、「本日は満席のため…」という会場アナウンスも流れていて、やっぱり客席が埋まっていて人気なのだなあと改めて感じました。

リサイタルは、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」から始まりました。黒地にゴールドの柄の入ったドレスを着た仲道さんが登場し、自ら「月光」というタイトルについての解説を話してから演奏をされました。解説が終わってマイクを置いた瞬間に、すぐ演奏が始まりましたので、弾く前に呼吸を整えるとか、集中力を高めてからという行動が全くないように見えてビックリしました。おそらく、解説をしながら既に演奏モードに入っているのかなあと思いますが、リサイタルの全ての流れを、完全にご自分のベストなタイミングでコントロールされているようでした。

「月光」は、全楽章を一気に弾かれていたので、とてもまとまりのある演奏でしたし、キャリアを重ねてこられた深みを感じるもので、さすが日本を代表するピアニストだなあと思いまいした。仲道さんは、近年ベートーヴェンに力を入れて取り組まれていて、私も以前から興味を持っていました。と言うのも、仲道さんが30代くらいの時に、ベートーヴェン研究家の故・諸井誠先生から、徹底的な楽譜の読み方や解釈を教えていただいたそうで、それがピアニスト人生の大きなターニングポイントになったとインタビュー記事で答えていたからです。これほど思い入れのあるベートーヴェンの演奏を、プログラムの最初に聴くことができて、既に満足した気分になりました。

その後は、ベートーヴェンと同じくドイツ系の作曲家ブラームスの晩年の小品を、数曲弾かれました。ブラームスを語る時に、切っても切れないのがシューマン夫妻との関係性です。三角関係だったとか、ブラームスの片思いだったとかいろいろと言われていますが、仲道さんの解説では、深い友情というような内容でした。ロベルト・シューマンの評論でブラームスの知名度が上がり、そのロベルトの奥さんのクララは、天才少女として各国に演奏旅行してきた名ピアニストともなりますと、ブラームスから見ると、自分の名を世に紹介してくれた恩人と、憧れの先輩ピアニストと捉えていたかもしれません。そこに深い友情が芽生える事にも、納得できる気がします。リサイタルでは、小品集の中から数曲の演奏でしたが、あっという間に演奏が終わってしまいましたし、とても味わい深い演奏をされていましたので、続きの作品も聴きたくなってしまいました。

休憩後の後半は、ショパンの名作がずらっと並んでいるプログラムになりました。

舞台に登場した仲道さんは、淡いピンク色のオーガンジーのような軽やかな生地のドレスを纏って登場されました。まさかドレスのお召し替えをされるとは、客席の誰もが思っていなかったようですし、仲道さんに大変よくお似合いのドレスだったこともあるのか、登場した瞬間に「うわ~」という驚きとため息交じりの声が上がっていました。

マイクを持ち、「今日は、ピアノを弾かれている方がたくさんお見えになっているとお聞きしましたので、プログラムには載っていないのですが、ショパンの幻想即興曲を演奏します」と話され、嬉しいサプライズにひときわ大きな拍手が沸き起こっていました。ピアノを弾いている方にとっては、いつかは弾いてみたい憧れの曲ですが、このくらい大変有名な曲ともなりますと、意外にリサイタルの曲目に並ばないものです。

「曲の途中の明るい場面になるところで、どこか懐かしい感じがしますが、何故そのように感じるのか?」という仲道さんの問いかけに、「ああ、確かに何故だろう?」「調性の影響かしら」と思っていました。会場のあちこちで、「?」という雰囲気のささやき声などが上がり、「今、理由を聞きたい?」と物腰柔らかな話し方で、仲道さんが話しかけていて、会場の雰囲気が一気に明るく楽しく変化していきました。「何だろうと思いながら、聴いてみてください」というトークの後、間髪入れずに演奏が始まり、演奏に種明かしがありました。

この曲は、最初のメロディーの音の長さを引き延ばした形で作られていて、結局ずっと同じメロディーを聴いているから、懐かしく聴こえるというものでした。曲の背景だけではなく、楽曲分析のようなトークも、曲を理解して楽しむにはとても嬉しいものです。いつもとは違う視点を持って、演奏を聴かれたお客さんも多かったのではないかと思いました。

その後も、子犬のワルツやバラード第3番、第4番、英雄ポロネーズなど、ショパンの曲というと名前の挙がる曲が勢ぞろいでした。ショパンの作品を弾く時、とても華やかに、華麗に弾かれるピアニストがとても多い気がしますし、それがまた美しい音楽に聴こえる訳ですが、仲道さんの演奏は一味違っていました。華麗で上品ではあるのですが、どこか落ち着きというのか、影というのかを感じました。高音部の音が特に、キラキラした感じを抑えていたように感じました。ショパンがずっと病弱だったことや、革命が起きて家族や友人たちと離れて、ショパンのみがフランスに渡り、生涯祖国に帰ることができなかったこと、死後はせめて心臓のみを祖国ポーランドに持ち帰ってほしいと願ったこと(教会に安置されています)という、仲道さんのトークを踏まえて聴きますと、「なるほど」と納得するような演奏でした。

また、仲道さんは、以前から作曲家が当時使っていたフォルテピアノなどの古楽器を用いたリサイタルも行っています。ショパンが活躍をしていた時は、ピアノという楽器がほぼ完成していたのですが、何千人も入るような大きなホールで、大きな編成のオーケストラにも負けないような大音量で響かせる楽器ではなく、もっと繊細は響きなのです。当時のショパンが聴いていたであろう音の響きを、現代のピアノで表現していたのかなあと思います。

リサイタル全体を通して、仲道さんのトークに「何故、○○なのか?」というフレーズが何回も使われていて、楽曲分析や時代背景、作曲家の事、当時の演奏スタイルなど、作品のあらゆる視点から作品を奥深く研究されている感じがして、さすが日本を代表する名ピアニストだなあと思いました。「ピアノというのは、ピアノに向かって音符が弾けるかどうかではありません」とインタビュー記事でも答えていて、とても戒めにもなりましたし、「本気で曲を解釈し、自分が納得するくらい丁寧に曲と向き合ってください」というアドバイスも、とても重みのある言葉で心に刺さりました。生徒さん方にも、折を見て共有していけたらと思いました。

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