(この記事は、2024年7月22日に配信しました第402号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回は、「ミュージック・ヒストリオグラフィー」という本のお話です。

各地で梅雨も明け始め、本格的な夏になりました。パリ・オリンピックの開会も、刻々と近づいていますね。

スポーツの世界ではオリンピック、物理や化学、医学などではノーベル賞、音楽や美術などではコンクールと優れた個人や作品を表彰する制度があります。文学の世界では、先程のノーベル賞のほか、日本国内では芥川賞や直木賞、もっと一般的なものでは本屋大賞などもあります。

昨年、書籍の中でもクラシックやポップスなど、世界の様々な音楽をテーマにした書籍を表彰する「音楽本大賞」というものが創設されました。そして、先日第2回の受賞作が発表されましたが、大賞に選ばれたのが、「ミュージック・ヒストリオグラフィー」です。

音楽史をテーマに、学校の理科室に科学者の肖像画はほとんどないのに、なぜ音楽室にベートーヴェンなどの肖像画が掲げられているのかなど、身近な疑問を取り上げたり、歴史上の人物が西洋の白人男性に偏重している点に着目して、ジェンダーや人種の問題にも迫り、音楽の新たな可能性を切り開いた点が評価されたそうです。

本の帯には、「音楽史学で読み解く、まったく新しい音楽史の世界!」「なぜ、音楽史はこんなに珍妙でケッタイなものになっているのか?」「音楽史は演奏の役に立つのか?」など、気になる文言ばかりでしたので早速読んでみました。

3部構成になっていて、パート1では、これまでの音楽史が持っていた問題点。パート2では、音楽史の書き方から問題が起きた背景。パート3では、音楽史の将来について書かれています。それぞれの項目を見てみると、「ちっともロマンティックではないロマン派」「ヒットチャートを駆け抜けたお坊さんのお経」「嘘とジョークの音楽史」など、気になるものばかりでした。

その中でも最初に書かれている、「なぜ、音楽室には作曲家の肖像画あるの?」は、当たり前で疑問にすら感じていなかったことを、まずは再認識しました。言われてみますと、先程も書きましたが、理科室に科学者の肖像画がないどころか、同じ芸術である美術室にもレオナルド・ダ・ビンチやゴッホ、ルノアール、葛飾北斎などの肖像画は一枚もありません。かなり特殊なことだったのですね。

学校の音楽室に作曲家の肖像画がある理由は、楽器販売会社が、学校へ楽器を販売するときのおまけとして作曲家の肖像画を集めたものをカレンダーとして配布したことがきっかけだそうです。しかし、そもそも作曲家の肖像画がたくさん描かれた理由は、歴史的にみると画家などの肖像画にはなかった役割があったそうです。

人に好きな楽曲を説明する場合、その音楽がどのような音色だったのか、どのような作曲技法によって書かれたのかなど、音楽そのものを言葉で説明することは、かなり難しいものです。そのため、「まあ一度聴いてみて」と音源そのものを紹介して終わることが多いように思います。

画家の作品のように、見ることもできませんし(音楽の訓練を積むと、楽譜を見ると頭の中で音が鳴るので理解できますが)、文学作品のように読むこともできません。そのため、作曲家の人となりについて書き、その人物のイメージをつかむために肖像画を描いて、音楽の代わりに語っていたのだそうです。そう言われてみますと、描かれている作曲家のほとんどは、きりっとした少し凛々しい雰囲気を醸し出しつつ、J.S.バッハは、少し厳しそうな肖像画なので、「きっちりした音楽なのかな」とか、モーツァルトは、宮廷の貴族のような服装をしていて明るい表情の肖像画なので、「上品で華やかな明るい音楽なのかな」とか、ベートーヴェンは、髪の毛がぐしゃぐしゃで怖い顔つきをしている肖像画なので、「激しい音楽なのかな」と何となく感じていたものです。

音楽家の初めての肖像画は、吟遊詩人という現在のシンガー・ソング・ライターがモデルだったそうです。フィドルという弦楽器を持つ人物画で、当時の絵画スタイルなので仕方がないのかもしれませんが、かなり変形して描かれているそうです。その後、いろいろな音楽家の肖像画が描かれてきましたが、信憑性が疑わしいものもかなりあるそうです。この本の中には、肖像画の図が掲載されていて、「確実に〇〇(作曲家の名前)」「たぶん〇〇」「確実に〇〇ではない」と具体的に書かれています。どれも似通っていますが、別人もいて驚きました。

他にも、音楽室の一番最初に飾られていたであろうヴィヴァルディの肖像画についても書かれていました。ヴィヴァルディは「四季」で有名な作曲家ですが、見慣れている肖像画は本人なのか、かなり眉唾ものなのだそうです。当時、「四季」を出版したときに、銅版画家によりヴィヴァルディ像が挿絵として使われたそうです。その服装が、音楽室に飾られていた肖像画と大変似ていたということで、おそらくヴィヴァルディだと推測されたそうなのです。服装がかなり似ていただけで、ヴィヴァルディ本人と言ってしまっていたとは驚きですね。

また、このヴィヴァルディを描いた銅版画を鏡写しに反転したものが、中世の別の作曲家マショーの肖像画だとして、一時期英語版のウィキペディアに掲載されてしまっていたそうです。ヴィヴァルディもマショーも、この事実を知ったらびっくりするに違いありません。

ちなみに、18世紀後期以降は、特定の音楽家をモデルに肖像画を描いたことが明確にされているので信憑性が上がるそうです。それまでの時代の作曲家は、文化人として尊敬されず、ブラック企業のサラリーマンのような立場でしたが、17世紀以降は作曲家のステータスが上がり、18世紀には文化人として社会に認知されるまでになっていったそうです。例えば、イギリスでは劇場のホワイエ(人々が団らんする場所)に、「イングランドが生んだ天才たち」と銘打って、シェークスピアなどと共に音楽家のパーセルの肖像画が飾られていたそうです。シェークスピアと肩を並べるまでになったとは、音楽家の地位も以前とは比べ物にならないほど向上したのですね。そして、19世紀になり、より社会的に認知されるようになりますと、音楽家の肖像画もますます重要になっていったのだそうです。

肖像画の重要性が強いのは、近年のポピュラー音楽のように、音楽だけではなくアーティストが前面に出て、ルックスなども全て込みで売るという事とは、かなり違うようです。肖像画は、たいてい若い頃の姿ではなく中高年の姿なので、ルックスも使って音楽を売るのではなく、ステータスや権威を強調して、いかに立派な音楽家であったのかを手っ取り早く表現し、楽曲の素晴らしさを伝えようとするものだったと書かれています。学校の音楽室で当たり前のように飾れていた肖像画ですが、音楽家の肖像画にこの様な歴史的な背景があったとは思いもよらず、とても驚きました。

ちなみに、この本はそれぞれの単元が長くなく、エッセイのようなとても読みやすい文章で書かれていますので、スルスルと読めてしまうことも特徴の一つかなと思います。また巻末には、世界史と音楽史、日本史の年表が一つにまとめられているので、例えばパレストリーナが最初のミサ曲を出版した年の4年後に、イングランドではエリザベス1世が即位して、日本では5年前にザビエルがキリスト教を伝えていたという事がわかるようになっています。

本格的な夏到来で猛暑どころが酷暑となっていますので、休日にエアコンの効いた涼しい室内で、この本を読んでみるのも良いかもしれません。

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