(この記事は、2022年9月19日に配信しました第355号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回は、秋へと向かうピアノ教室のお話です。

9月も半ばを過ぎて、少しずつ秋を感じる今日この頃です。ピアノ教室にいらっしゃる生徒さん方とも、「日中はともかく、朝晩は少し過ごしやすくなってきましたね」などと話をしています。みなさん、やっと突き刺さるような灼熱の暑さから解放され、ホッとされているようなご様子です。

今年の夏もかなり暑かったので、少し体調を崩された生徒さんもいらっしゃいました。その生徒さんは、ご夫婦で日常的にウォーキングをされたりと、日頃から健康管理の意識が高かったので少し驚きましたが、無理は禁物ですから1ヵ月程レッスンを休むことになりました。来週から復帰される予定ですが、お元気な姿でいらっしゃることを心待ちにしているところです。

定年を機にピアノを始めた生徒さんは、ウィンタースポーツがもう一つのご趣味です。「秋になってきましたから、(ウィンタースポーツの)シーズンが少しずつ近づいてきていますね」とお話をしますと、「そうですね」とニコニコしていました。この生徒さんは、お教室に入会されてから、毎週熱心にレッスンに来られ、着々と練習曲や自由曲を進めてきていましたが、ここ最近は若干スランプ気味のご様子です。

曲の長さは、これまでとほぼ変わらないのですが、原曲にかなり近いアレンジのため調号が多く、複雑で微妙な音の進行に少し苦戦しているのかと思っていました。とは言っても、いつもと変わらずしっかりと練習を積まれているので、指運びは全体的によく、鍵盤上でうろうろと音を探しているような動きはほぼなく、弾く直前になって1つ隣の鍵盤の音を間違えて弾いてしまうという感じでした。その個所から弾くとほぼ弾けていますので、もうゴールは間近という感じで前回のレッスンを終わりました。

この日のレッスンでは、最初の音から、この作品特有の静かで少し悲しみと幻想的な雰囲気を感じる演奏で、スランプの原因になっていると思われる最難関の箇所も落ち着いて、ほぼノーミスで弾く事が出来ていました。

演奏が終わって、私は拍手をしながら「今まで弾いてきた中で、一番良かったですね~。落ち着いて、この曲の雰囲気たっぷりの演奏でしたし、この難しいところも成功でしたね」とお話をしました。生徒さんは、「ここ(難しいところ)は、ちょっと音がちゃんと鳴らなかったですが…」とは言いつつも、誉め言葉に照れているような表情をされていました。そして、「実は、ここの部分、弾いていて音楽が聴こえてくるようになったんです」と嬉しそうにおっしゃったので、私は思わず、「え~っ! 聴こえましたか~。いやー、素晴らしい!」と興奮してしまいました。「先生の方が感激していますね」と生徒さんがおっしゃっていて、今度は私が少し照れてしまいました。

「これも、コツコツと練習をされているからこそです。あーでもない、こーでもないと思いつつ練習をしてると、ある日突然『聴こえた』という体験ができるんですよね。本当に素晴らしい。よかったですね。これが段々と、聴こえる箇所が長くなったり、あっちこっちに点として聴こえるようになって、やがてそれが繋がって聴こえるようになってくるんです」とお話をしました。

ピアノは、指で鍵盤を弾くと当然音が出ますから、ピアノの練習をしている時、音は聴こえているはずなのですが、弾くという動作に一生懸命になってしまい、自分の出している音がどのような音なのか、思ったような音が出ているのか、判断できないことがとても多いのです。こうなると、主体的に音楽を奏でているのか実際にはかなり怪しくなります。そして、「今、私が弾いた音って、合ってました?」と私に聞いたりするわけです。

客観的に、自分の出している音を意識して聴きながら弾く事がとても重要なのですが、これがまた大変難しいのです。正に、「言うは易し行うは難し」という状態なのですが、これがまた、ある日突然「(自分の音が)聴こえた」という瞬間が訪れ、この体験があって、初めて音を聴くとはどういうことなのかが分かるわけです。この生徒さんも、以前、私が説明をした時には、やはり「???」という表情をされていましたが、それでも意識して練習を続けたからこそ、今回ご自分の音が聴こえたのだと思います。

なかなか仕上がらなかった曲も、この日のレッスンで無事に仕上がり、次は大変神聖な雰囲気の、ゆったりとしたテンポの曲を練習することになりました。この体験を大切に、これからますます、ご自身の音が聴こえてくるのかと思うと、私もとてもワクワクします。

小さい生徒さん方は、学校の2学期の授業が始まり、学年によっては初めての6時間授業も始まり、ややお疲れ気味の生徒さんも見受けられます。「今日は、レッスンの30分前に帰ってきたから、急いで来た~」と言いながら、小学生姉妹の生徒さんがレッスンに来られました。

小学2年生の生徒さんは、先日からモーツァルトのアレンジ作品を練習しています。ソナタのテーマ部分が、お子様が弾きやすいようにアレンジされていて、「静かな春」という題名も付いていました。この曲の練習を始めた時に、原曲はソナタというタイトルになっていて、ソナタ形式という形で作られた作品であること、また「静かな春」というタイトルは、モーツァルト自身が付けたものではないので、タイトルを気にしないで弾いてほしいとお話しました。

そして、先日この曲をレッスンで扱ったのですが、タイトルにこだわることなく自分のイメージを大切にきれいに弾いていました。弾き終わった後に生徒さんが、「音楽って自由なんだね」としみじみと話していて、小学2年生ながら音楽の本質を捉えている様子に、凄いなあと思い嬉しくなりました。

曲のタイトルに関連した、別のカワイらしいエピソードもあります。こちらも小学生の生徒さんですが、新しい曲を練習して、だんだん弾けるようになってきたことが嬉しようで、いつにも増して張り切って弾いていました。でも、曲には「夕べのうた」というタイトルが付けられています。「夕べ」の意味について説明しましたが、それでも張り切って元気よく演奏しているのでした。

そのため、「夕方の曲だから、これからだんだん夜になって暗くなっていくんだね。それで、お家に帰って、あ~今日も一日頑張ったから疲れたという感じになって、ご飯を食べて、その後寝るのかもね。例えばこんな感じの曲かな」とお話をしますと、生徒さんは、「えっ?そうなの? 夕方って、これからお家の中で何して遊ぼうかなあ~という、お楽しみの時間だと思った」と言うのです。楽曲を実際に弾くと、やはり静かで落ち着いた感じに弾いた方がふさわしいのですが、曲のタイトルからイメージするという点では、それも一つのアイデアだと思い、「なるほど~」と思ってしまいました。

お子様の自由な発想やイメージ作りは、大人顔負けの幅の広さで、凄いなあと改めて感じました。このような感性も、音楽には大変重要だと思いますので、大切に育んでいきたいと思いました。

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音楽家の社会史


2022年9月19日


(この記事は、2022年9月5日に配信しました第354号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、音楽史の本についてのお話です。

音楽を専門に勉強する際には、楽器の演奏という実技と共に、ソルフェージュを学びます。楽器の演奏は、ピアノを専門とする場合は、当然ピアノの演奏になります。ソルフェージュでは、音楽のいろいろな決まり事を学んだり、音楽を聴きとって楽譜を書いたり、曲に伴奏を付けたり、曲をアレンジしたり、楽譜を見てすぐに歌う視唱力などを学びます(学校によって多少内容は変わります)。音大では、他にも副科として、声楽や専門以外の楽器のレッスンを受けたり、指揮の授業、音楽史の授業などがありました。

私の場合、音楽史については、専門とするピアノの歴史と、それ以前から広く使われていたチェンバロやオルガン(パイプオルガン)の歴史については学びましたが、それ以外の音楽史については、副読本がちょっとあったくらいで、特に授業もありませんでした。

音楽家の生い立ちなどの伝記は、個人的に興味があり、いろいろと本を読んで調べたり、実際にヨーロッパの現地へ足を運んだりしましたが、当時のヨーロッパ全体の社会的な情勢まではあまりわかっていませんでした。

そして先日、楽譜屋さんへ行った際に、「新編 音楽家の社会史」という本が目に付き買ってみました。「リアルな音楽史」という帯も付いていて、18~19世紀頃の音楽家たちがどのような社会の中で創作活動をし生きてきたのか、当時の社会と音楽の関わりについて書かれている本です。

「音楽で食べていくのは大変難しい」と昔からよく言われてきました。音大を1番の成績で卒業しても、プロになれるわけではなく、その上の大学院を首席で卒業しても、プロどころか大学で教えることもできない時代です。私が知っている限りでも、音大に通っていたピアノ科以外のあらゆる科の先輩、同期、後輩などを見回しても、今でもプロとして活躍しているのは、たったの2人です。

この本の第1章には、音楽家がステージに立つことの大変さが、とてもリアルに描かれています。現在、コンサートやリサイタルを行う際に最も苦労するのがチケットの販売です。しかし、19世紀のヨーロッパでも、同じような状況だったようです。神童と呼ばれたモーツァルトでさえ、コンサートの予約が1人しかなかったこともあったそうです。

当時、コンサートを開く際には下準備が必要で、コンサートの招待状をたくさん持って、数週間前から毎日朝から晩まで道路事情の悪い中を移動して、いろいろな家のサロンで演奏し、売り込まなければなりませんでした。そこで名前を売って、ある程度まとまった数のコンサートチケットを配布してもらうやり方です。しかし、演奏する家のサロンではお客さん扱いされず、他のお客さんとはロープで区切られていたそうです。当時の音楽家がどのような立ち位置だったのか、伺い知ることができます。

ショパンのように、サロンの演奏を通して裕福な階級のパトロンが付けば、サロンで人気者になるのですが、そのような後ろ盾を得られず、友人たちなどの援助がない音楽家たちが、当時はたくさんいたのだそうです。

演奏会場をお客さんで埋めるのは、無名の演奏家にとってはかなりの難関で、同じような音楽家の友人たちの協力を得て「さくら」になってもらったり、無料チケットをばらまくという事もあったそうです。場合によっては、ホールの3分の1くらいがタダ券だったこともあるそうです。お客さん集めの苦労は、昔も今もあまり変わらないのかもしれませんね。

ちなみに、「愛の夢第3番」や「ラ・カンパネラ」などでも有名なフランツ・リストだけは、当時大スターだったので別格だったそうですが、彼もまた違った意味で大変だったようです。午前中からお昼ごろまで、50人ほどがリストの宿泊しているホテルに面会に来るそうですが、それもリストの名声に群がるためで、お金目当てだったそうです。そんな人達の相手をした後、作曲活動などをしていたようです。

大スターであるリストは、拍手喝采を浴び成功している姿とは裏腹に、音楽家としての尊厳を保つことに疲れ、格差に苦しみ、次第にステージに立つことを拒むようになったそうです。

演奏会の最大のお客は貴族なのですが、その生活ぶりと当時の演奏会についても書かれていました。下層階級の労働者が、その日一日の仕事を得るために早朝から行列に並び、朝5時から夕方6時まで低賃金で働いている頃、貴族階級の女性は、もうすぐお昼という頃に起床し、午後2時頃から音楽や乗馬などの先生が次々と訪れて個人レッスンを受け、午後3、4時頃に昼食を取り、その後は馬車で友人の邸宅へ行き、夜になるとオペラやお芝居、舞踏会に足を運ぶのだそうです。そして深夜に帰宅したり、仮面舞踏会などがあると、翌日の早朝に帰宅する事もあったそうです。

同じ時代に生きていても、労働者と貴族はこんなにも生活ぶりが違うとは、驚きを通り越してしまいますね。

貴族の優雅な生活は、反感を持たれそうですが、当時は少し違っていて、労働者たちもそのような夜の楽しみを共有しようとしていました。庶民向けのホールが作られると、昼間は仕事をして、休息の時間だった夜が楽しみの時間となり、ダンスホールには人が殺到したそうです。それに合わせて、コンサートなども夜開催されるようになりますが、当時はまだ電気が無く、シャンデリアに何千本ものロウソクを灯すわけですが、そのロウソク代は演奏家が払うことになり、経費がかさんで大変だったそうです。ちょっと余談ですが、当時はロウソクに獣脂が多く使われており、臭いが酷かったそうです。お客さんも演奏家も大変だったのかもしれませんね。

大変なのは、これだけではなく、娯楽としての音楽が広く一般に広まると同時に、あらゆる人々を楽しませるために、演奏会自体の長さがどんどん長くなっていったそうです。この本の中には、実際に当時行われたコンサートのプログラムが書かれていますが、1回の演奏会で交響曲2曲、ピアノ協奏曲、ピアノソロの即興演奏、ミサ曲など計3時間以上ものプログラムが披露されていたようです。現在は、だいたい休憩時間を入れて2時間くらいですから、だいぶ長い演奏会だったようです。

この他にも、ジャーナリズムと音楽家との関係や、著作権についての話も書かれており、とても読み応えのある本でした。

音楽家たちの作品の素晴らしさだけでなく、生活の苦労や様々な当時の社会的な背景を深く知ることができますので、音楽の秋、読書の秋にふさわしい本かもしれません。

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(この記事は、2022年8月22日に配信しました第353号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、「題名のない音楽会」というテレビ番組のお話です。

まだまだ夏休みを満喫中のお子様を羨ましく思いつつ、お盆休みも終わり、やれやれという事で日常生活を再開された方も多いのではないでしょうか。

先日放送された「題名のない音楽会」には、昨年行われたショパン国際ピアノコンクールで最高位を受賞された反田恭平さんとアレクサンダー・ガジェヴさんが揃って出演されました。「コンクールの秘策を語る音楽会」というタイトルにも興味を持ち、見てみました。

コンクールではライバル同士だったと思いますが、コンクールが終わって、これからどうするのかという会話をしたそうです。その時に、お二人とも、音楽教育について何かしたいと思っていると話したそうで、意外な共通点があるのだなあと思って驚きました。

スタジオには、これから国際コンクールでの活躍を目指している若いピアニスト達が集まっていて、質疑応答をしていました。「反田さん、ガジェヴさんに質問のある方」と司会者が話しますと、ピアニスト全員が一斉に手を挙げていて、反田さんが笑顔でその様子を見ているシーンもありました。「コンクール前日には、どのような練習をしているのか?」という質問が、最初に飛び出していました。コンクールでなくても、発表会やグレードなどの前日に、どのような練習をしたらよいのか、いつも通りでよいのか、はたまた何か工夫が必要なのか、気になりますね。私も興味津々で見ました。

反田さんは、「本番1週間前からルーティーンを決める」と回答していました。本番のプログラム全体を通す練習を行い、前日は、あまりピアノを弾かないようにしているとも話していました。どんどん練習量を増やすのではなく、逆にどんどんフェイドアウトしていくようなイメージで、良い響きで弾きたいという気持ちを、本番にぶつけるという事なのだそうです。スタジオのピアニストたちは、真剣なまなざしで話を聞いていて、「へえ~そうなんだ」と呟いている様子さえ伺えました。

私も、「なるほど」と思っていたのですが、しかしその時、「私のやり方と違いますね」と穏やかな表情でガジェヴさんが感想を話していて、反田さんもガジェヴさんも笑顔だったところが印象的でした。ガジェヴさんが、「実際に本番前にやっている事は、譜面と新鮮な気持ちで向き合う事です。できる限り新鮮で、一度もその曲を聴いたことが無いような、頭の中を空っぽにすることで、曲と向き合う気持ちを切り替えたいのです」と話していました。

反田さんも、「練習しなきゃ、練習しなきゃ」と思うと、自分が何を弾いているのかわからなくなる。ショパンコンクールの2次予選の時は、1日半全くピアノを弾かないようにしていました。練習して息詰まったら、ピアノと離れるというのもいいかもしれない」と話していました。

本番前に、ピアノと離れるという事は、かなり勇気のいることのようにも思えますが、その勇気を持つことで、混乱している頭の中がリセットされ、再構築することができるのですね。それにしても、世界最高峰のコンクールで、ピアノを弾かないという事をしていただなんて、びっくりです。

質問していた中学生が、「ピアニストでも、そういう事があるのだなあと思って安心しました」という感想を話していると、スタジオではドっと笑いが起きていました。

番組では、反田さんとガジェヴさんが、それぞれショパンコンクールで弾いていた作品を1曲づつ披露していました。反田さんはワルツ第4番、ガジェヴさんはマズルカ第35番です。ちなみに、反田さんが弾いていたワルツ第4番は、ご本人が話していた「2次予選前に1日半ピアノを弾かないようにした」というエピソードのときの曲です。

ワルツ第4番は、「華麗なるワルツ」というタイトルなのですが、正にその通りの華やかで美しい演奏でした。ショパンのワルツは、ショパンの作品の中では手頃な長さとテクニックなので、初めてショパンを弾くときに選ぶことも多いものですが、一流のピアニストが弾くと、大変聴きごたえのある作品になっていました。

スタジオでは、「オーケストラと共演するコンクールのファイナル(本選)の時に、リハーサルで指揮者とどういう話をしたのか?」という質問もされていました。ショパンコンクールに限らずですが、国際コンクールでは、ファイナルでオーケストラとピアノ協奏曲を演奏することが多いものです。大変限られた時間で、どのような打ち合わせをしているのか、興味深いものですね。

ガジェヴさんは、「リハーサルは時間がないので、オーケストラと擦り合わせたいところを理解していないといけない。その上で、擦り合わせたい箇所を2、3カ所にして、詳細を簡潔に伝え、オーケストラを信頼することがとても大事です」と話していました。ピアノ協奏曲は、全般的に長いですし、いくつも楽章があります。その中で、ココを打ち合わせしたいと絞り込む時点で、かなり大変な作業とも思えますが、それを実際に行っているからこそ、第2位という最高位受賞に繋がったのかなあと思いました。

一方で反田さんは、「運が良いことに、コンクール以前に共演したことのある指揮者だったんです」と話していて、それを聞いたガジェヴさんが、とびきりの笑顔で「ラッキーボーイ!」と声を掛けていて、反田さんも、「そうそう!!」と言わんばかりの笑顔をしていました。「僕は、ここをこう弾くよと、2、3カ所伝えたけれど、リハーサルの時は、オーケストラが他のファイナリストとのリハーサルの影響が残っていて、演奏が全然合わなかった。どうしようかと思ったけれど、本番では、自分がソリストだからとオーケストラを引っ張らないといけない」と話していました。

確かに思い返しますと、ショパンコンクールのファイナルで、反田さんは演奏しつつ箇所によっては指揮者のように手を振っていて、まるで弾き振り(指揮者をしながらピアノのソリストもする兼任)しているかのような動きになっていました。音楽に入り込んでいると思っていたのですが、それだけではなく、オーケストラを引っ張っていたのですね。

質問の後、ガジェヴさんのマズルカの演奏が流れました。独特のマズルカのリズムを見事に捉え、一音一音が内容深く、それでいて勿論1つの作品としてまとまっていて、味わい深く心に染みわたるような演奏で素晴らしいものでした。目の前で演奏を聴いていたスタジオの若いピアニスト方が、とても羨ましく思いました。「すべての声部に命がある」という感想を話していたピアニストに、大変共感しました。

その後も、「コンクールに向けて、ショパンの練習曲作品10-8を練習していますが、どのようなイメージを持って弾くとよいのか」という、とても具体的な質問も出ていました。練習曲は、曲のスタイルのことなので、はっきりとした題名がなく、どんな場面の作品なのかをイメージすることは難しいものです。また、ピアニストが、どのようなイメージを持って弾いているのかを、自分の言葉で説明することなど滅多にないので、凄い番組だなあと思いながら聴きました。

ガジェヴさんの具体的なアドバイスの後、質問した中学生が感想を話したところで、反田さんが、「今、弾ける?」と無茶ぶりをしていて、まさかの展開に中学生は戸惑いを隠しきれず固まっていました。スタジオからも、「えっ!」と驚きの声が上がりましたが、公開レッスンの始まりとなりました。他の若いピアニストたちが、番組の展開に驚きつつ、公開レッスンをしてもらえる中学生をとても羨ましいという眼差しで見ていたシーンが、大変印象的でした。

反田さんがアドバイスされていたことは、「右手が難しいんだけど、簡単に弾ける方法として、右肘をちょっと開けると、関節がスムーズに動く」というものです。この作品を練習されている方は、ぜひ取り入れてみるとよいかもしれません。

ショパンコンクール最高位2人の出演だけでも豪華なのですが、それぞれの演奏あり、コンクールの裏話あり、具体的な演奏方法のアドバイスありという大変見ごたえがあり、満足感の高い番組でした。次回のショパンコンクールで、もしかしたらスタジオに参加していた若いピアニスト達の演奏が聴けるかもしれませんね。

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