|
|
ヨーロッパ音楽紀行 |
ライプツィヒから、ワイマールへと出かけました。ワイマールは、神聖ローマ帝国時代にはザクセン・ワイマール公国の首都だったところです。ドイツ語読みですと、ヴァイマルとなるようです。
ワイマールは、文豪ゲーテやフリードリヒ・シラー、音楽家ではバッハやリストが活躍した場所で、学校の世界史で「ワイマール憲法」という言葉を学んだことを記憶している方もいるかもしれません。現在では、ワイマールのリスト音楽院に留学する日本人も多く、また建物の一部は、世界遺産(文化遺産)にも登録されています。
最初に、リストの家へ行きました。フランツ・リストは、死を迎える晩年を中心に、合計で30年くらい このワイマールに住んでおり、ワイマール宮廷の楽士長なども務めています。この家は、リストが最後の晩年を過ごした家です。
残念ながら、この内部は写真撮影が許可されていませんが、リストの若い頃から晩年までの像や、デスマスク、作曲に使用したピアノや旅先での手の練習に使用した鍵盤、手紙などが展示されていました。特に興味深かったのが、1オクターブ以上軽く届いたといわれるリストの手の石膏で、確かに自分の手と比べてみると、とても大きな手であったことが確認できました。
リストの仕事部屋も再現されており、天井がとても高く赤を基調としたシックで落ち着いたデザインで統一されていました。このような場所で、リストの曲が作られていたことを思うと、その曲についても、改めて考えさせられるものがありました。
現在、リストの家の周りは公園となっており、野生のリスも見かけました。
次は、ゲーテの家を見学しました。文豪ゲーテは、82歳で亡くなるまでの大半をワイマールで過ごしています。
この家は、ゲーテが「もっと光を」という言葉を残して亡くなるまで住んでいた家で、「ファウスト」をはじめとする多くの名作が生まれた場所でもあります。
内部の撮影はできませんが、庭で写真を撮ることができました。この庭で、作品の構想などを練っていたのでしょうか。
ゲーテの家を出て、市内を歩きながら、国民劇場へと向かいます。
国民劇場が見えてきました。
ワイマールというと、必ずと言ってよい程この国民劇場の写真が登場します。ゲーテの「ファウスト」やシラーの「ウィリアム・テル」が初演された劇場で、リストやシューマン、ワーグナーなども、この劇場で活躍しています。ワイマール憲法が採択されたのも、この場所です。この劇場は、これまでに何度か焼失しており、現在の建物は1907年に建てられたものです。この劇場の前には、ゲーテとシラーの像が立っていました。
|
|
|
|
|
|
Copyright (c) 2007-2023, con Vivace. All rights reserved. |
|