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ヨーロッパ音楽紀行 |
ウィーン、ザルツブルグ、プラハ、ドレスデン、ライプツィヒ、ワイマール、アイゼナハと旅をしましたが、その終着点がベルリンです。
ベルリンは、1871年にドイツ帝国の首都となり、それから1945年の第2次世界大戦の終結までドイツの首都として繁栄し、パリに負けないほどの芸術の都でもありました。
第2次世界大戦後の冷戦下で東西に分断され、28年間街の中に壁が築かれていましたが、1990年の統一以降は再び統一ドイツの首都となり、ドイツ最大の都市となっています。
歴史のある街ですが、第2次世界大戦ではナチス・ドイツの最後の戦場となり徹底的に破壊され、その後の冷戦時代には分断されていたこともあり、現在ある建物の多くは新築されたものか、戦後大規模な修復で蘇ったものです。
ドイツ連邦議会議事堂の周辺から観光をしました。ブランデンブルク門のすぐ近くです。
元々は、1884〜94年に建てられた帝国議会議事堂でしたが、戦後の冷戦下では議事堂としては使用されず、東西ドイツ統一後 8年をかけて大改修を行い再び議事堂として蘇りました。建物の中は、完全に現代の新しい建物となっています。
この議事堂の屋上にはガラス張りのドームがあり、一般の人でも見学ができるのですが、あまりに行列が長いので、また夜に来ることにしました。
この議事堂のすぐ横には、大変モダンな建物が建てられています。
ここから、ベルリン中央駅も見えましたが、こちらも2006年に完成したガラス張りの新しい建物です。
次は、ドイツ連邦議会議事堂から歩いて1分くらいのところにあるブランデンブルク門です。統一ドイツの象徴です。
(BGMを用意しました:バッハ作曲 ブランデンブルク協奏曲 No.5より 第1楽章 )
かつてベルリンは城塞都市で、18個の門があったようですが、このブランデンブルク門もその1つで、当時のプロイセン王国の首都だったブランデンブルクへ通じる門となっていました。1868年に壁が取り壊された際に、他の門は一緒に取り壊されましたが、この門だけが残ったことになります。
ブランデンブルク門は、アテネの神殿の門を手本に作られたもので、門の上には4頭立ての馬車(クアドリガ)に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像があります。
この像は一時、ベルリンを征服したナポレオンにより戦利品としてパリへ持ち去られますが、その後のナポレオン戦争によりプロイセン軍がパリを占領すると、再びベルリンへ戻り、門は戦勝と凱旋のシンボルとなりました。
東西冷戦下では、この門の近くにもベルリンの壁と呼ばれる壁が築かれ通行できなくなっていましたが、ドイツ統一により通行できるようになりました。今でも、このベルリンの壁があったところには印がつけられています。
ベルリンの街は、多くが新築の建物であるため、街全体が非常に新しい街のような印象を受けました。
ブランデンブルク門から延びる通りには、菩提樹が植えられ並木道となっています。
この並木道を通って、ベルリンの中心部を観光しました。
こちらは、ベルリンで一番美しい広場と言われるジャンダルメンマルクトに建つコンツェルトハウス・ベルリンです。
1818〜21年に劇場として建てられたもので、ワーグナー自身が「さまよえるオランダ人」を指揮した伝統ある劇場です。第2次大戦で破壊され、1984年に再建されました。現在では、オーケストラのコンサートなどで使用されています。
このコンツェルトハウスを挟んで、この広場の両脇には、非常によく似た2つの教会が建っています。フランスドームとドイツドームと呼ばれています。
更に東へ歩いていくと、フンボルト大学が見えてきます。
元々の宮殿を大学にしたものですが、アインシュタイン、マルクス、グリム兄弟などを輩出した名門です。
このフンボルト大学の向かいには、ベルリン国立歌劇場があります。
1741年からの歴史を持つ劇場で、メンデルスゾーンなども指揮者を務めています。戦争での何度かの破壊と修復を経て現在の建物となっています。
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