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ヨーロッパ音楽紀行 |
ウィーンの次は、同じオーストリアのザルツブルグ(Salzburg)を訪ねました。ウィーンからは、電車で約2時間半の旅です。
車窓からは、オーストリアの長閑な田園地帯を見ることができました。正に、絵画の世界です。
ザルツブルグは、元々「塩の城」という意味で、周囲の岩塩鉱から産出される塩の取引で繁栄した街です。また、この街は、皇帝ではなく、教会の大司教により1000年以上統治されてきました。
モーツァルトは、このザルツブルグで生まれ、25歳まで、父と共に音楽家としてザルツブルク大司教の宮廷に仕えていました。
中世の面影を残したこの街は、ユネスコの世界遺産にも登録されていますが、毎年夏に開催される「ザルツブルグ音楽祭」でも有名です。
最初に、ミラベル宮殿を見学します。
ザルツブルグのシンボルでもあるホーエンザルツブルグ城を望めるこの宮殿は、1606年に建てられましたが、1818年に火災に遭いました。再建された現在の建物は、市役所や図書館として使用されており、見学できるのは、焼失を免れた「マルモーア・ザール(大理石の間)」と「天使の階段」と呼ばれる、このホールへと続く階段部分だけです。
このマルモーア・ザール(大理石の間)では、モーツァルト親子も演奏を行っていますが、今でも、コンサートなどで利用されています。
ミラベル宮殿の「ミラベル」は、「美しい眺め」という意味ですが、この庭園からは、ホーエンザルツブルグ城をきれに見ることができます。よく、旅行のガイドブックや、パンフレットなどにも、このミラベル庭園から撮った写真が掲載されています。
庭園内は、非常によく管理されており、お花がとてもきれいでした。
このミラベル宮殿の近くに、モーツァルトの住居があります。(現在の建物は、モーツァルトが住んでいた当時の姿で再建したものです)
(BGMを用意しました)
モーツァルト作曲 ソナタ K310
モーツァルトの生家は、ホーエンザルツブルグ城に近い旧市街にありますが、その生家が手狭となり、モーツァルトが17歳のときに、一家は、この新市街にある建物の2階に引越しました。それから約7年間、モーツァルトがウィーンに移り住むまで、この家で交響曲や協奏曲を200曲も作ったと言われています。また、モーツァルトの父レオポルトは、この家で亡くなっています。
建物の中は、博物館となっており、オーディオガイドを聞きながら、当時の生活の様子や、資料、楽器などを見ることができます。
残念ながら、内部の撮影は制限されていますが、絵ハガキなどでもよく見る、このモーツァルト一家の肖像画も見ることができます。
左から2番目がモーツァルトで、モーツァルトの左が、姉のナンネル、右が父レオポルト、後ろの壁に描かれた肖像画は、亡くなって間もない母アンナです。この絵のモーツァルトは、一番実物に近かったとも言われています。
このモーツァルトの住居の向かいには、ホテル・ブリストルがあります。16世紀の貴族の館だった建物をホテルにしたもので、海外のVIPも利用する最高級の5つ星ホテルです。世界的に有名な指揮者だったカラヤンも、演奏会のたびに、このホテルに宿泊していました。
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