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ヨーロッパ音楽紀行 |
ライプツィヒ市内の東側を見ていきます。
ライプツィヒには、ヨーロッパでも最大級の中央駅があります。この中はモールにもなっているのですが、ここにはまた夜来ることにします。
この駅の東口を出て南下していくと、オペラハウスがあります。
もともと17世紀作られたものですが、第2次大戦で破壊され、1960年に再建されたものです。
その向かいには、ゲヴァントハウスがあります。
民間のオーケストラとしては世界最古のライプツィヒ・ゲヴァントハウス・オーケストラの本拠地で、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ワーグナーなどが指揮者として活躍した舞台でもあります。戦争で破壊され、1981年にこのような近代的なホールとなりました。
このゲヴァントハウスの近くに、メンデルスゾーン・ハウスがあります。メンデルスゾーンの没後150年を記念して開館されたものです。
メンデルスゾーンは、1835年から亡くなる1847年までライプツィヒに住んでいましたが、38歳の短い人生の最後の2年を、この家で過ごしました。当時、メンデルスゾーンは、この家の2階に住んでいたようです。現在は、当時の家を再現した博物館となっており、当時の生活の様子を見ることができます。
(BGMを用意しました)
メンデルスゾーン作曲 無言歌集第1巻 Op.19 より No.3「狩りの歌」
(この曲の音楽CD)
入ってすぐのところには、メンデルスゾーンの像が置いてありました。
こちらは、メンデルスゾーンの当時の仕事部屋を忠実に再現したものです。とても小さいのですが、結構おしゃれな部屋だったのですね。ここでメンデルスゾーンの代表作である、オラトリオ「エリヤ」が生まれました。この作品は、オラトリオ全体の中でも大変著名なものの1つです。
メンデルスゾーンのデスマスクと永眠時のデッサンも展示されていました。脳卒中で倒れ急逝しましたが、わりと穏やかな顔をしています。
メンデルスゾーンは、早熟の天才として有名で、音楽のみならず水彩画でも画家並の実力を持っていました。彼の描いた素晴らしい作品の数々も展示されています。
こちらは、当時のリビングルームです。
1836年に発表されたオラトリオ「聖パウロ」の楽譜なども展示されていました。連弾で伴奏が出来るように編曲されています。
こちらは、メンデルスゾーンの手の石膏です。男性なのにゴツゴツしておらず、きれいな手です。
音楽サロンも再現されていました。メンデルスゾーン一家は、家族の中で日曜日にコンサートを行う伝統がありましたが、シューマンやワーグナーなどの有名な音楽家の憩いの場にもなっていたようです。
現在でも、この場所では毎週日曜日にコンサートが開かれています。
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