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ピアノのしらべ

リスト作曲「ハンガリー狂詩曲第2番」



(2011年4月第72号のメールマガジンの記事を元にしています)
今回の「ピアノのしらべ」では、リスト作曲の「ハンガリー狂詩曲第2番」をご紹介します。

「ハンガリー狂詩曲第2番」は、ハンガリー狂詩曲集という全部で19曲から成る作品集の中の一曲です。 第2番は、この作品集の中で一番有名な曲で、リストのピアノ曲の中でもとても有名で、リストを代表する音楽になっています。

フランツ・リストは、ハンガリーで生まれますが、幼い頃にオーストリアのウィーンやフランスのパリで学びます。カール・チェルニーや、サリエリから音楽教育を受けました。

チェルニーは、当時音楽教師として大変有名で、かのベートーヴェンの一番弟子と言われた人物です。 また、サリエリは、モーツァルトと敵対した音楽家として有名(ただし、実際のところはよくわかっていません)ですが、ベートーヴェンやシューベルトなどを育てた人物でもあります。

リストは、10才以前に、すでに演奏会を開いており、12才の時には、大巨匠となっていたベートーヴェンの前でピアノを弾いて称賛されています。 15才では、ピアニストとして活躍し、亡くなった父の代わりに家計を支えていたようです。

超絶技巧で、あまりに素晴らしい演奏をしていたので「悪魔に魂を売った」とか「指が6本あるのではないか」など、色々な噂も飛び交っていました。

また、技術の高さや力強い演奏から、演奏中にピアノの弦が切れたり、ハンマーが壊れる事も時々起こっていたようです。 今では考えられない事ですが、当時のピアノはリストの演奏に耐えられなかったようなのです。

ピアノメーカーも、リストの演奏に耐えられるピアノを作ろうと研究し、一躍有名になったのが、現在世界3大ピアノの1つに数えられる、ウィーンのピアノメーカー・ベーゼンドルファーです。 (趣味の音楽:日本ベーゼンドルファーのも参照)

リストの素晴らしい演奏に惹きつけられたファンは多く、女性との噂も絶えない華やかなイメージが多いリストですが、晩年は心疾患やうつ病、気管支炎などに苦しめられていました。

ハンガリー狂詩曲集は、1つの作品集ですが、第1番から15番までは、1853年のリストが42才の時に出版され、それ以降の曲は、晩年の1882年〜85年に作曲され、追加で出版されました。

第2番は、ディズニー映画でも使用されているので、聴いたことがある方も多いのではないでしょうか。
それでは、お聴きください。今回は弾きやすくアレンジして弾いています。

リスト作曲 「ハンガリー狂詩曲第2番」  
(Windowsで聴く場合は左側の
WMP、MacやiPadなどは右側のMP3のアイコンをクリック)

難易度は、「エリーゼのために」と同じくらいです。

リスト作曲 「ハンガリー狂詩曲第2番」が収録された音楽CDをいくつかご紹介しておきます。

debut
辻井伸行

avex

ラ・カンパネラ(ベスト・オブ・リスト)
シフラ(ジョルジュ)

TOSHIBA-EMI

リスト:ハンガリー狂詩曲全集

Brilliant Classics

こちらは、オーケストラ・バージョンです。
リスト:前奏曲/ハンガリー狂詩曲第2・4・6番

ユニバーサル ミュージック

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